キリキリ、ガクガク
空殻
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キリキリ、ガクガク。
そんな音が鳴っていた。
夜更けの町の細い路地を、一人の男が歩いている。
空は薄曇りで、月光がぼんやりと照らす夜。
男が一歩歩くたび、軋んだような音が響いた。
キリキリ、ガクガク。
彼は不安定な足取りで歩いている。
時折上体が不自然に傾きながら、かろうじてバランスを保つように歩みを進める。
ただの地面を歩いているのに、その様子はまるで綱渡りをする曲芸師のようだった。
「……ああ、『油』が欲しい」
男はひとり呟いた。
こんな夜に、その声を聞く者は誰もいない。
彼は変わらず、歩き続けている。
ふと、男が歩く道の片隅、建物の隙間の陰に、光るものが見えた。
ビー玉のように光る、二つの丸。黄色い光を発していた。
男は足を止め、その対になった丸い光を見つめた。
その光の正体はすぐに分かった。
陰から姿を現したのは、真っ黒な毛色の猫だった。黄色い瞳を爛々と輝かせている。
黒猫は一声小さく鳴いて、それから男の前をすたすた通り過ぎていく。
人に馴れているのか、その足取りは落ち着いたものだった。
「………まあ、猫の『油』でもいいか」
男は膝を曲げて少し屈み、その右手を黒猫へと伸ばした。
キリキリ、ガクガク。
相変わらず、音が鳴っていた。
「………こんな夜更けに、どうされましたか」
そんな声が聞こえて、男は伸ばしていた手を止めた。
その指先が猫に届くまで、あとほんの10センチ。
猫は走り出し、建物の陰に姿を消していった。
男が上体を起こす。道の向こうに、人影が見えた。
声と体つきからして、おそらく女性。灰色の外套を着ていて、フードを被っている。顔はよく見えない。
外套の女は、こちらへとゆっくり近づいてくる。
男はその場に立ったまま、それを待った。
「………『こんな夜更けに』、そう聞いておいてなんですが、貴方が何をしているのかは分かっていますよ」
女は軽い口調で言った。
「……『油』を探しているのでしょう?」
そう言った直後、外套を翻し、彼女は右腕を突き出した。
その手には、銀色の細長い形状の物が握られていた。
男は咄嗟に身を捻ったが、女の動きが一瞬早く、その手に握られていた物が男の左胸に当たった。
軽い抵抗の後、銀色のそれは男の胸を突き破る。その先端が、背中から突き出ていた。
彼女が突き出したのは、鋭利な銀色の杭。
それが、人体の構造から言えば、男の心臓のある位置を一突き。
しかし、男の胸からは血は流れない。代わりに琥珀色の、粘性の高い液体がこぼれた。
左胸を貫かれて、男は動きを止めていた。ただ、その目が驚きで見開かれている。
「………アン…タは…」
続く言葉は『誰だ?』という問いかけだと理解し、外套の女は答える。
「『解体屋』です。貴方のような、廃棄期限を過ぎた『人造人間』を処分して回っています」
「ああ………なる…ほどね」
男は苦々しく笑って、それから目を開いたまま動かなくなった。
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長期に渡り活動し続け、その稼働限界年数を超えても廃棄されなかった人造人間は、徐々に関節各部の稼働が悪化していく。
その結果、自己保全機能として、人造人間は適温の『油』を求める。
すなわち、自らの体を流れるオイルと構成成分の似通った、人肌ほどの温度の『血液』を。
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外套の女…『解体屋』と名乗った彼女は、右手に握っていた杭を手放しつつ、左腕で男の体を支えると、ゆっくりとその体を地面に横たえた。
それから、男の瞼に軽くなでるように触れ、目を閉じさせる。
さらに懐から小さな十字架のペンダントを取り出し、紐の部分を男の胸に刺さったままの杭に結び付ける。結び終わると、十字架はちょうど男の胸の上で留まった。
彼女はそれから、折りたたまれた大きな黒い袋を取り出し、男の体をその中に入れる。ジッパーを閉めると、外側からは完全に中が見えない。
その袋を引きずるように運びながら、彼女はその場から去っていく。
もう、キリキリ、ガクガクという、機械の軋む音は聞こえない。
代わりに時折、杭と十字架がコツンと当たる澄んだ金属音が鳴った。
キリキリ、ガクガク 空殻 @eipelppa
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