JUN.カヌキさんは寝惚けてる
6月
アパートと違って、家で一人で過ごすのって、なんだか寂しい。
お正月に実家から戻ってきたときに
余り構ってもらえないけれど、他の誰かと遊んでるのと違うし、いくらわたしが重い女でも、勉強よりわたしを優先させろと言い張るような超重量級バカ女までにはなりたくない。…でも、映画よりは優先してほしい、たまには。深弥は、暇さえあれば映画を観ようとするから、それを阻止するのは一苦労だ。
にしても、そう言ってる自分も卒業のこととか考えなきゃなあ。
親の会社に潜り込むことはできる。それは何だか嫌だと感じるけれど、楽は楽だろう。
何がやりたい、何が向いてる、違う、何なら自分を合わせられる?
とりあえず、資格のお勉強でもするか。
この間、大学に入ったばっかりなのに、まだ半分しか通ってないのに。でも、同い年で働いて独り立ちしている人だってたくさんいる。
ああ、もう、わたしモラトリアム真っ盛りだ。
今日も、せっかくバイトは休みなのに、夕ご飯は一人だ。
一人になると途端に家事は適当になり、帰りにスーパーマーケットで買った適当なお惣菜と冷凍してあったご飯をチンして、それで終わり。
それから、洗濯物を取り込んで畳む。
深弥の下着以外の洗濯物もついでに。変な柄のTシャツが2着。ヘビィメタルみたいな絵柄だけど、どうせホラー映画のキャラクターなんだろうな。同じ専攻の男たちに「委員長」ってあだ名が付けられるくらい外見も中身も真面目な
「今日も遅いのかなあ」
やることが何にもなかったら、この映画観ておいて。
先に見るのはこっち。前に『世界中の人から愛されていることを知らない晒し者』って言ったけど、すごくいい映画だから。
それを観たらこっちも観て。
私はこっちの方が好き。
そう言って深弥が置いていったブルーレイ。
一つは、録画したもの。
もう一つは、販売用ソフト。いくらか知らないけど、こんなの買うくらいだから、こっちの映画は相当好きなんだろうな。
わたしは一人で映画を最後まで見たことがない。
じっと大人しく座っているのが面倒臭いし、映画館に行くと眠くなるし。実は、本読んでる方が好き。
家でホラー映画を見る分には、深弥が後ろから抱きしめてても大人しくしていてくれるし、共通の話題もできるし、まあ、ホラー映画も面白いものは面白いから。そして、…怖いものはすっごく怖い。特に、悪魔が乗り移ってる系は本当ダメ。怖すぎる。
「まあ、この2本はほらぁじゃないって言ってたから、たまには一人で見てみますか」
わたしは、お茶を淹れて、湯飲みと急須を映画部屋に持ち込んだ。
クッションを腰の後ろに置いて、ソファーに座る。深弥がいないから、手の置き場がない。だからつい、また膝を抱える。体育座りで小さくなると安心するんだ。背中が丸くなるから、この姿勢で長時間過ごすのはダメだと分かっていても、つい、こうして座ってしまう。
離島の保険会社に勤める明るい青年。どこにでもあるような街のどこにでもいるような青年。しかし、どこかが不自然であり、青年も街や人々を不審に思い始める。実は、彼の人生は、テレビのリアリティショーであり、生まれた時から24時間撮影され、220の国で放映されていた。島は全てが撮影セットであり、住人も妻ですら俳優だった…
これは、ホラー映画じゃない。
でも、世界中の人に見せ物、晒し者にされるのは恐怖以外の何ものでもない。
同時に、主人公は世界中の人から確かに愛されているキャラクターだし、いわば神であるこの番組のプロデューサーは主人公を我が子のように愛していると言える。
でも、誰も、彼を本当の意味で愛していない…
愛されているけれど愛されていない人のホラー映画を見せて
そう言ったのは、わたし。
無茶振りとも言えるリクエストに深弥はちゃんと応えてくれた。しかも、いつものように、わたしを泣かしにかかってくる。
わたしの涙腺のどこが脆いのか、深弥はよく知っている、ということか。
それでも、この映画のラストには救いがあって、わたしはホッとして、冷めてしまったお茶を飲む。その温度で、時間の経過に気付く。
時計を見ると日が変わろうとしていた。
でも、深弥はまだ帰って来ていない。遅すぎる。
すると、スマホの隅っこが光っているのが目に入った。
電話かメッセージが届いていたようだった。
『まだ帰れない。徹夜かも。吉原も一緒だから心配しないで』
心配するわ!!あと、吉原さんにも、結構モヤモヤしてるんだからね、わたし!同じ研究室とかって、ずっと一緒にいるからズルい!
吉原さんは、深弥と親しい友人である。吉原には彼氏がいるんだから嫉妬するなと既に30本くらい釘を刺されている。しかし、しかし。
とりあえず、ぐっと、堪えて、寝る支度をすることにした。
おお、わたし我慢強くなった!偉い。
そして、翌朝になっても深弥は帰って来てなかった。
『おはよ、寝たの?』
『寝てない』
『帰ってきて寝なよ』
『そうしたいのはやまや』
…やまやまの「ま」が抜けたメッセージが届いた。大丈夫なの?マヌケなの?
そして、バイトが終わって、バイト前にデパ地下のデリで買っておいた惣菜を持って帰ってきた。今日のバイトは夕方シフトだから7時までで、帰って来てもまだ8時前。
なのに、家は真っ暗なままで、鍵を開けて灯りを点けると、深弥の靴はなかった。
「…もしかして帰ってない?」
『大丈夫?』
メッセージに既読は付いたけれど、返信はいつまで経っても返って来なかった。
一緒に暮らすのはいいけれど、こういうとき、心配で堪らない。
でも、何もできない。
実験室に乗り込んだら、体重無制限超重量級バカ女になってしまう。でも、心配だから、もう、バカ女になってしまいたい!
落ち着かないまま、残しておいた、もう1本のブルーレイをセットする。深弥が帰ってきたら、すぐに、再生を止めようと思いながら。
昨日見た映画の脚本の人が監督した映画らしい。
遺伝子操作による人工授精によって生まれた「適正者」と、自然分娩による「不適性者」がいる未来。勝ち組前者と負け組の後者にくっきりと分けられている。主人公は「不適性者」でありながら、「適正者」しかなることができない宇宙飛行士を命懸けで目指す…
昨日の映画も今日の映画も、管理され与えられた世界で生きていくことよしとせず、あえて運命に抗って、誰の手も届かない新しい世界へと旅立とうする者の物語だった。彼らの未来が必ずしも明るいとは限らない。それでも、無謀でも、前に進もうとする主人公に感動せずにはいられなかった。
エンドロールを見ながら、ぼたぼた落ちる涙をそのままにしていたら、突然感じた人の気配にどきんとした。
「…ははは、泣いてる泣いてる。絶対、泣くと思った」
からかうような深弥の声に、我に返った。
「わ、え、いつの間に帰ってきたの?」
「お医者さんのくだりのあたり。…声、掛けようと思ったんだけど、架乃が真剣に見てるから、気付いてくれるの待ってた」
深弥はそう言って大欠伸をした。欠伸をしたら一気に眠くなったのか、目がトロンとしている。よく見ると、目の下には隈ができていて髪もぼさついていて、疲れ切ってるのが分かる。
「架乃ぉ。ご飯食べたい、お風呂入りたい、寝たい…」
深弥はそうぼやきながら、ふらふらとソファーに座っているわたしに近付いてきた。
「…抱っこ」
は?
深弥は、わたしの膝の上を跨ぐように腿の上に座ると、そのまま上半身をわたしに預けて、首に手を回した。本当に小さい子が抱きつくように。
私は右手を背中に回して、左手を後頭部に回す。
あやすように背中を撫でて、Tシャツの上から背骨や肋骨の感触を確かめる。
骨の感触で、この数日で、深弥が痩せてしまった気がした。
「軽く何か食べて、シャワー浴びて、寝なよ。わたしが支度してあげるから」
「んん…。やだ、まだ抱っこしてて」
だから、何なの、その「抱っこ」っていうのは?
「深弥?」
スーっという鼻息の音がして、深弥がわたしに抱き付いたまま寝てしまったことが分かった。
ちょっと汗臭いけど、この匂いは、ちょっとやばい。そそられてしまう。
こうして抱きしめていたいという欲望と、この子をちゃんとさせなきゃっていう母性もどきとがわたしの中で衝突する。
「こんなカッコで寝ちゃダメだよ。起きて」
「…や、抱っこ、まだ…」
いやいやして駄々をこねながら甘えていた深弥だったが、再度の寝息とともに、その腕から力が抜けた。
「…寝落ちしてくれたか」
わたしは、起こさないようにゆっくりと立ち上がり、その体を支えたまま、一苦労してソファをベッドに変形させ、何とか、深弥を横たえることに成功した。
「眠気やお酒で意識レベルが下がってくると、ひっつくのね…」
自分で自分の肩を揉みながら、寝ている深弥の隣にしゃがんだ。なんだかんだで、深弥は甘えん坊の自分を普段は抑えている。退行して子供みたいな寝顔になっている深弥の額を突っついたけど、深弥はみじろぎひとつしなかった
翌朝、わたしは体調不良を偽って大学を休み、熟睡している深弥が目を覚ますのを待った。
昼前にようやく深弥は目を覚ました。
「あれ、私、家にいる…?」
深弥が記憶を辿ると、実験開始から30時間見守って、データを取り続け、数字と記号の区別が付かなくなりそうなところで終了し、40時間振りに帰宅したということらしい。理系は怖いところだ…。
深弥がシャワーを浴びて、食卓に付いたので、昼食に準備しておいたお茶漬けを出す。
「ゆっくり食べて」
「ありがと」
「…抱っこ」
わたしがそう言うと、深弥はお茶漬けを頬張りながら怪訝な顔をした。
「抱っこ?」
「昨日の夜、深弥が『抱っこ』って言って抱き付いてきた」
「はあ、何言ってんですか?」
なんだと、覚えてないだと? 写真撮っとけば良かったかな。
ちょっとむかついたから、お茶漬けを食べ終わってシンクに器を置きに行こうと立ち上がったところで、その顔を無理やりこっちに向けさせた。びっくりしたのか、目と口が空いている。その口を思い切り塞いでやる。
おっと、しまった、焼き鮭風味のキスはいただけない!
改めて、お茶を淹れて、二人でのんびり過ごすことにした。
「映画、面白かった。ほらぁじゃない映画も見るんだ」
「そりゃ観ますよ。…やっぱり刺さったんだ。号泣してたものね」
「号泣まではしてないもん」
「ははは、私、かなり泣きましたよ、初めて観たとき」
「深弥でも映画で泣くことあるんだ」
「あります!失礼だなあ」
「運命に抗うっていいなって思った。…でも、とりあえず、目の前の卒業と就職という運命から早く逃れたいって気にされちゃった」
「ああ、確かに」
それは働いて大人になるという意味でもあって、なんだかそれもちょっと嫌だ。もう少し、二人でこうして半分大人でいたいと願ってしまう。
そして、スマホが振動した。
ニトウからだった。
『ホソエ教授が呼んでる。パスポート持ってるかって』
パスポート?
わたしの運命みたいなものが動き出した
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ネタにした映画タイトル
「トゥルーマン・ショー」(1998)
「ガタカ」(1997)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます