あなたは一緒に暮らしている

たまにはカヌキさんとミヤコダさん

まだ師走



 カヌキさんとミヤコダさんが12月の初旬に引っ越してきた家は築25年とちょっと古い。


 カヌキさんは、引き戸をそろそろと開ける。でも、家が古いから、どうしても音が出てしまう。家の中のどこかにいるであろうミヤコダさんにカヌキさんが帰ってきたのは丸分かりだ。


 しかも、玄関を上がれば階段で2階に上がるか、ダイニングキッチンに行くしかなく、カヌキさんが夕食を摂っていないことをミヤコダさんは知っているので、多分、ダイニングでミヤコダさんはカヌキさんを待っているだろう。


 私の恋人は嫉妬深い…


 カヌキさんは、ため息をつきながら覚悟を決めてダイニングに繋がる引き戸を開けた。


 テーブルに肘を付いて座る、明らかに不機嫌なミヤコダさんがそこにいた。

 カヌキさんはフリース地の暖かいスリッパに履き替えてダイニングキッチンに入る。

 テーブルの上には、サラダと揚げ物、伏せられた茶碗などなど二人分が並んでいる。ミヤコダさんは駅前でアルバイトをしているから、駅地下のデリで安くなったおかずを買って帰ってくる。ミヤコダさんは余り、いや、ほとんど料理はしない。料理ができなくはないらしいが、面倒臭いとカヌキさんに言っていた。今夜はご飯を炊いておくくらいはしてくれていた。


「お帰り」

「…ただいま」


 明らかに不機嫌なミヤコダさんを、カヌキさんは上目使いで見る。

 テーブルの上に350mlのチューハイの缶があって、ミヤコダさんは一人晩酌をしていたようだ。

「まだ未成年」

 カヌキさんが低い声で言うと、あと2ヶ月だからいいの、とミヤコダさんがつぶやく。

「まだあと2ヶ月」

 カヌキさんはそう言うと、テーブルの上の缶を取り上げて、シンクに中身を捨てようとしたが、残念ながら缶は既に空だった。

「ちっ…」

 忌々しそうにカヌキさんは舌打ちをした。



 それから、カヌキさんはディバッグを背中から下ろして、手洗いで手を洗う。水の冷たさに肩をすくめた。

深弥みや…」

 カヌキさんが振り返る間もなく、背中からミヤコダさんがカヌキさんのお腹に手を回す。長い右手の指が左手の指を掴んで、しっかりとカヌキさんをホールドしてしまう。

 まだ冷たい水が水道から出続けている。


架乃かの、私まだ手を洗ってるんだから、邪魔しないで下さい」

 うううう、とミヤコダさんは唸り、カヌキさんの後頭部に自分の頬をすり付けている。

 カヌキさんは、はーっとため息をつき、それからよっこいしょと言いながら、ミヤコダさんの腕の中で180度、向きを変えた。ミヤコダさんの手はカヌキさんの背中に回った。カヌキさんは濡れたままの手を宙に浮かせている。

 ミヤコダさんは、ちょっと怒った顔のカヌキさんに顔を寄せていく。


「ひょぁっ!?」

 唇が合わさる直前、カヌキさんは濡れた両手でミヤコダさんの両頬を包み、そのままぐっと自分の顔から遠ざけた。

「ひどいーー、二重の意味で冷たいー!!」

 ミヤコダさんがひるむと、カヌキさんは逃げ出してタオルで手を吹いた。


「もー、架乃、うざいです!昨日から」

「だって、深弥が浮気したらやだぁ」

「だってでも浮気でもないです!私は家庭教師のアルバイトを始めただけです!!昨日から何回言わせるんですか」


 ミヤコダさんの友達であるアライさんの紹介でカヌキさんは、受験までの家庭教師の期間アルバイトを始めたのだった。

「中学3年生の女の子に英語と数学を教えることの何が浮気ですか、もう!」

 そのままテーブルに座ると、顔を拭きながらミヤコダさんが洗面所から戻り、しぶしぶといった様子で、茶碗にご飯をよそい始めた。

 二人はもくもくと夕食を摂り始める。合間にぽつぽつと言葉が挟まる。


「…その子、可愛い?」


「可愛いですよ、素直だし。架乃と違って」


「ひどい」


「あなたは、可愛いタイプじゃなくて、きれいなタイプでしょ」



 敬語で話すカヌキさんは、理学部の2年生。真面目だが意地っ張りでもある。映画、特に古今東西の怖い映画を好んでいて、映画を観ることを何より最優先する。本人は映画好きであることは自覚しているが、マニアックとか通であるとまでは言えない、と思っている。染めたことのないストレートの黒髪は、夏にショートカットにしたが、今は耳を隠すくらいまで伸びた。小柄なので、遠目には中学生に見えてしまう。


 対して、中学生に嫉妬するミヤコダさんは、人文学部の2年生。つかみどころのない性格でカヌキさんを翻弄している。大学生というよりキレイ目のOLに見える。ただ大人っぽいだけでなく、ときどき色っぽい。その外見のせいもあって「誰とでも寝る女」という嘘の噂をを周りが信じてしまい、大学で孤立した時期があった。無趣味だが、大学に入ってからカヌキさんと映画を見て怖がってばかりおり、映画鑑賞が趣味になりつつある。


 大学に入学した二人は同じアパートの隣同士だったが、ひょんなことから親しくなり、1年ほど経って友達から恋人になり、さらに半年が経って、同じ家で暮らし始めたばかりだ。周りは仲良し二人のルームシェアだと思っているが、紛れもなく恋人同士の同棲である。二人が交際していることを知っているのは、今のところ、カヌキさんの母親と、ミヤコダさんと同じ高校に通っていたアキハさんの二人。アキハさんは二人と色々トラブルがあって、大学をやめて実家に帰ってしまったばかりである。



「大丈夫ですよ、浮気なんてしません」


「ホントに?」


「私、そんな余裕ありません」


「時間があったら浮気するの?」


「時間の余裕じゃなくて、気持ちの余裕です。まあ、浮気する時間があったら映画を観ますよ」


「映画と浮気するんだ」


「いや、映画が本気です。架乃が浮気相手です」


 真面目な顔でそう言ったカヌキさんを見て、ミヤコダさんはカラカラっと音立てて箸を落とした。


「ははは、冗談に決まってるじゃないですか」


 それ、あながち冗談じゃないのが深弥なんだよね、と箸を持ち直しながら思うミヤコダさんだった。




「でも、本当に可愛いんですよ、その子」

 お風呂から出たカヌキさんは、家庭教師の話を蒸し返して、ミヤコダさんをムッとさせた。

「わたし、もう寝る!」

 ミヤコダさんは布団を被る。


 ダイニングキッチンの横の和室が、カヌキさんの寝室兼映画を観る部屋だ。

 壁を背にした大型テレビの前にセミダブルのベッドがでんっと置いてある。昼間はベッドではなく、ソファーとして使っている。

 2階にはそれぞれの部屋があり、ミヤコダさんの部屋にはシングルベッドがあるが、ほぼ毎日、ミヤコダさんはカヌキさんのベッドに潜り込んでいる。


 潜り込むだけではないが。



「おやすみなさい。私、ちょっと昔の映画観てから寝るから」

「………」

 ミヤコダさんは、目から上を掛布団から出して、こっそり映画を盗み観る。




 妻子ある弁護士の男が、一夜限りの遊びのつもりで女と関係を持った。電話で女に呼び出された男は、また女を抱いたが、遊びだと告げて去ろうとすると、女は男の目の前で手首を切って自殺を図った。女の執拗さに恐れをなして、男がもう会わないと別れを切り出すと女は妊娠したと言い出す始末だった。男はなんとかして女から逃げようとするが、女は妻子に接近して、男への嫌がらせを始める。遂に男は女に暴力を振るい、男はもう終わったと考えた。しかし、終わる筈などなく、女は…



 ミヤコダさんは途中から体を起こして映画を見始めた。そして、いつも映画を見るときのようにカヌキさんを背中からぬいぐるみのように抱え込む。


「え、めちゃくちゃヤバくない? この地雷女…」

 ミヤコダさんは、そう言いながらカヌキさんを抱える腕にぎゅっと力を込める。

「…この男が運命の人ですからね、彼女にとって」


「っわあああ」

 最後に驚かされてミヤコダさんが声を上げる。終わったかな、と安心させておいて、もう1回何かが起きて観客を震え上げさせる。映画を最後の最後で盛り上げる常套手段だ。

「だーから、言ったじゃないですか、最後まで気を抜いちゃダメですよって」


「だって、これ、ホラー映画じゃないし」

「ホラーじゃなくてサスペンスですね。どんな映画でもエンドロールも気を抜かずに観る、大事ですよ。もう1回言いましょうか?」

 カヌキさんが上半身を捻って、ミヤコダさんをしたり顔で見上げる。


 ミヤコダさんは、初めて会った日から、映画のことで知ったかぶってくるときのカヌキさんのことを、生意気だと思ってる。ふだんはどちらかと言えば腰が低いのに、映画になると、ちょっと上から目線で威張ってくる。

 生意気で

 それが可愛い


 そんなカヌキさんにそそられたのが、そもそもの恋の始まり。

「深弥、わたしが浮気浮気って煩いから、この映画、見せたんでしょ」

 ミヤコダさんがそう言うと、カヌキさんは意味あり気にふふんと笑っただけだった。



「私、架乃が浮気したら…」

「しない」

 ミヤコダさんは声を被せて、カヌキさんの首筋に顔を埋めた。


「なら、私と中学生の浮気を疑わないで」

「疑ってないもん。わたしが妬いているだけだもん」

「もー、自分勝手」


 カヌキさんは、ミヤコダさんの腕の中から立ち上がって、テレビの電源を落としてブルーレイを取り出してケースにしまい、棚に片付けた。

 それから、待ち構えているミヤコダさんを振り返り、その腕の中に戻るために一歩踏み出した。










◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ネタにした映画タイトル

「危険な情事」(1987)
















★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

お隣さんから同棲さんになりました。

同棲編は書きたくなって書いちゃったときの不定期公開になる予定です。


今、メインで書いているのはこれです。

https://kakuyomu.jp/works/16816927862120469423


うびぞお

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