怖い映画を観たら一緒に夜を過ごそう
うびぞお
あなたは隣で暮らしている
4月 遊星からの隣人ミヤコダさん
私の腕に彼女の指が食い込む
だめ……そこは……ああああ駄目だって…
ほら、だから…あ…あああ……
隣の部屋に誰もいなくて良かった。
私の部屋から彼女の声がもれ聴こえてしまう。
文字で見ると、もろあえぎ声じゃない?これ
4月
隣の部屋のドアの前に座り込んでいる女の人と目が合った。
何か言いたそうに見えたけれど、すぐに彼女はうつむいてしまった。
大学に入学したばかりの私の住むのは1DKのアパート。
バストイレ別。築20年。
合格が決まってから、大学の周りを東西南北歩き回り、ようやく、理想のアパートを見付けた。南向きの2階建て。1階部分は店舗が三つ入っていて、2階部分には6部屋あるアパート。
一応、学生向けなので家賃はそれほど高くはないんだけど、ちょっとだけ大学からは離れているのがネックかもしれない。必然的に自転車通学だが、高校も自転車通学だったので、この距離ならどうってことはない。
必要だと思ったら、原付を買おう。春休み中に運転免許取っといたし。
私の部屋は、2階の一番端っこ。
それが大事。
上も下も人が住んでいなくて、壁が道路に面していること。
1階はクリーニング店の出張所で、夕方7時に閉店する。
とにかく、多少、大きな音を出しても周りに響かない部屋を探していた。
別にヘヴィメタを聴く訳ではないし、ヘッドホンでも構わないけれど。
なお、私は楽器は全く弾けない。
大学で講義を受けるようになって、まだ、10日かそこらしか経ってない。
もうすぐ、ゴールデンウィークで、やっと慣れ始めた大学生活が早速中断してしまう。
私は新しい環境や新しい関係にすぐに適応できる方ではないので、やっと挨拶して一緒に並んで講義を聴いたり昼御飯を食べられる人ができたばかりなのに、ゴールデンウィークが終わったら、また一からやり直しになりそうでちょっと鬱だ。
それは、さておき、4月も中旬から下旬になろうとしている。
私の実家のある街よりは温暖な場所とはいえ、夜はまだ冷える。
隣の部屋のドアの前に座っている女の人は大丈夫なのだろうか。
ここは町外れだけど、私の育った田舎よりは都会だから、都会の人っていうのは、他人にそれほど接近しないホドヨイ距離を取るものらしい。
私には、まだ、そのホドヨイが分からない。
だから、下手に他人に近寄ったら、痛い目に遭うかもしれない。
でも。
私は、音を立てないように静かに自分の部屋のドアを開けて、上半身だけ出して隣をうかがった。
その人は、まだ、そこに座っていて、膝を抱えて、その膝に頭を埋めている。
きれいな栗色の髪からうなじが見えていて、首が長くてきれいだな、と思った。
その首を横切るような細い金の鎖。
着ている服も、春色、サーモンピンクのカーディガンに、ロングスカート。
お洒落にうとすぎる私には、その服装をなんと呼べばいいのか、その布地はなんなのか、全く分からないが、この人がお洒落なのだろうということは分かった。
酔っぱらっているのかなと思って、よく見る。
スカートの下にキャンバス地のトートバッグを薄い座布団のように敷いて、その上に座っている。
腰から冷えてしまいそうだ。
よく見ると、ドアのところに、トートバッグに入れていたらしいノートや教科書、ペンケースが立て掛けられている。
確かに、お尻の下のトートバッグにそんなものが入っていたら座りにくいよね。
ということは、この人も私と同じ大学の学生という可能性が高い。
ここの住人なのか、住人を待ち伏せている人なのかまでは分からないけれど。
「……あの…」
小さな声で、声を掛けてみた。
その人は、自分に声を掛けられているのかどうかを確かめるように、ゆっくりと顔を上げた。
栗色の髪が顔に落ち、その人はそれを耳に掛けた。
その仕草もきれいだし、お顔も整っていた。
第一印象は、男の人にもてそう、だった。
「…何か、お困りですか?」
「……ああ、えええええと。……そう、なんです。」
くしゃっとした苦笑いは、ちょっと可愛いかも。声はちょっとハスキーで大人っぽい。
「…○○大学の方ですか?私、人文1年のミヤコダといいます。お隣さんですね、初めまして」
その人、ミヤコダさんは、立ち上がって私の方を向いて、頭を下げ、挨拶をした。
同じ1年生だった!大人っぽい!
隣同士で暮らして半月くらい経つというのに、顔を合わせたのは初めてだった。私も慌ててお辞儀を返す。
「わ、私も1年です。理学部ですけど。カヌキです。よろしくお願いします。」
「わお、リケジョさんなんですね」
ミヤコダさんは、笑うと可愛い。リケジョって呼ばれるの嫌いだけど、ミヤコダさんの声には嫌みがなくて、この人ならリケジョって呼ばれてもいいやって思っちゃった。
「お恥ずかしいんですが、教室に鍵や財布やスマホの入った、超~大事なポシェットを忘れてきまして、明日は土曜日で、こんな時間に気付いても大学の構内には入れないだろうし。明日になれば、校内に入れるから何とかなると思うんですけど」
ミヤコダさんは肩をすくめた。
「今夜をどうしようかと。お金もスマホもないし、こんなときに頼れそうな知り合いはまだいないし、詰んでたところです」
そこまで言われてしまえば
「……私の部屋で良ければ、一晩泊まっても構いませんよ」
言ってしまった。
ミヤコダさんは目を見開く。
「いや、それはちょっと、図々しいかな、と。でも、もしよろしければ、毛布の1枚でも貸していただければ」
遠慮するミヤコダさんと、お節介な私の間で交渉が始まり、おおむね私の勝利が決まって、ミヤコダさんは私の部屋で一晩過ごすことになった。私も、まだ自宅に呼べるほどの友達はできていないので、初めて他人様をご招待することになった。うーん、自宅の自分の部屋ともちょっと違う、私だけの部屋に他人が入る。少し緊張してしまう。
キッチンとキッチンが背中合わせになるような形で、私の部屋とミヤコダさんの部屋は左右逆になっているらしい。
「当たり前だけど、同じようなつくりでも住んでる人が違うと雰囲気違うもんだね」
ミヤコダさん、早くも敬語からタメ口になってる。フレンドリーだ。
私の部屋で最大の家電にミヤコダさんの目が釘付けになった。
「わあぁ、おっきなテレビ…」
高校時代のアルバイトとお年玉と入学祝とで買った48型のテレビと、ブルーレイハードディスクデッキと、スピーカーシステム。
テレビに相対するようなソファーベッド。今はソファーになっている。
その他の家具類はキッチンの方に置いてあり、メインの部屋はテレビとソファーしかないような状態だ。
おかげでキッチンはちょっとかなりごちゃごちゃしている。
こんな女の子らしくない変な部屋なのに、よく私はミヤコダさんを入れる気になったものだと、我ながら驚く。
「映画が好きなんです」
てへへと頭を掻きながら私が言うと
「どんな映画が好きなの?そういえば、TYUTAYAから何か借りてきてたよね」
最初にミヤコダさんの部屋の前を通ったとき、目が合った。
そのとき、私が手に持っていた袋を見たわけか。
「…いやまあ、映画は何でも好きです。」
ちょっと誤魔化した。…正直言うと何でもじゃない。
引っ越してきたばかりのこともあり、たまたま新品のブラトップのタンクトップとショーツがあったのでミヤコダさんに渡した。ミヤコダさんは、それを買い取ると言い張ったけど、お節介な私は買い取りを拒否した。それから洗い立てのTシャツと格好悪いエンジ色の高校ジャージをお貸しした。
平均身長よりマイナス5~6cmの私と、プラス5~6cmのミヤコダさんなので、10cmくらい身長が違っており、ジャージからペディキュアの塗られた足が脛の下の方から飛び出している。足長いな。ダサジャージでもダサく見えない。
最初はおとなしかったミヤコダさんだったが、お風呂から出ると、だいぶリラックスしていて、今は、ソファーベッドの上で長い足を抱えるように座っている。スッピンだと私と同い年に見えたのでちょっと安心した。
「そうそう、カヌキさん、私のこと気にしないで映画見て。あ、私も一緒に見ていいかな。もちろんAVじゃないよね。このテレビとスピーカーで映画見てみたい」
「…そりゃ、AVじゃないですけど……」
10時にもなっていない。
確かに寝るには早いだろう。
しかし、私がレンタルしてきた映画は………。
「ミヤコダさん、……ホラーとかスリラーとかって、大丈夫ですか……?」
映画が好き!って言う女の子でも、ホラー映画を守備範囲に入れている人は少ないのだ。
怖いのとか気持ち悪いのとか嫌いだよね、普通。
「そういう映画は見たことないから、大丈夫かどうか分かんない」
ミヤコダさんはきょとんとした顔をした。
ちょっと予想外の回答が返って来て戸惑う。
「じゃ、やめましょうか。しかも、これグロい系の映画だし、古いし」
「カヌキさん、そういうの好きなの?」
「…そうなんです。好きなんです。」
って、言うと大抵の人は引く。
「じゃ、それ見ようよ。無理だったら、そう言うから」
ミヤコダさんはあっさりと言う。
「隣の部屋の人いないから、どーんと大きい音出していいよ。このスピーカーかっこいいね、いい音しそう」
自虐的な発言ですね、それ。
ミヤコダさんは、ソファーの上で、隣に座れと言うように、自分の横をぽんぽんと叩く。
ミヤコダさんも、ホドヨイ距離というのが分からない人なのかもしれない。
「じゃ、見ますけど、後で文句言わないで下さいね」
私は、ブルーレイをセットして、ミヤコダさんの隣にちょこんと座った。
私は、中学校のとき、この映画を初めて観た。
当時、中学生だった私にはショッキングだったこの映画を、ミヤコダさんは最後まで見てくれるのだろうか。
ていうか、最初のあのシーンで、視聴中止になるかも……
南極だかの青空の下、氷の上を一匹のシェパードが走っている。
シェパードがアップになる
ばかっ
と、その顔がグレープフルーツを切り分けるように割れて、中から赤い何かがひょろろろろ~
この映画の洗礼ともいえるシーンだ。
「うぇええええ?」
ミヤコダさんが驚いて、変な声を出した。
その顔を見ると、目を見開いている。
しかし、画面から目を外さない。気持ち悪くないんだろうか。
謎の細胞生物に人間の体が乗っ取られて、あり得ないグロテスクな変形をしながら、残っている人間たちを次々に襲っていく、という映画だ。
話が進むにつれ、ぐちゃぐちゃの体だの、頭から蟹の手足みたいのが生えてきて歩き回るなど、グロいシーンが続く。
その度に、ミヤコダさんは体をびくんと震わせ、声にならない声をあげる。
気が付くとミヤコダさんは私にぴったりくっついて、私の腕を抱え込んでいる。
どうやら怖いらしい。
でも、やっぱり画面から目を逸らさない。
私の腕に彼女の指が食い込む
「だめ……そこは……ああああ駄目だって…」
「ほら、だから…あ…あああ……」
「っぁ……」
隣の部屋に誰もいなくて良かった。
私の部屋から彼女の声がもれ聴こえてしまう。
色っぽいなあ、この人。
私は前にも観た映画だったので特に驚くことはなく、特撮を楽しんでいた。CG技術の進んだ最近の映画と比べると、かなりちゃちいんだけど、そういうのが楽しくて仕方がない。
中学生のときは凄く怖いと思ったのに。今となっては素直に怖がれるミヤコダさんが羨ましい。
「うっわあああ、なにこれ!!結局、最後どうなのよ?死ぬの???」
エンドロールを見ながら、ミヤコダさんは騒ぐ。
「え、カヌキさん、これ怖くなかったの?怖がりたくて借りたんでしょ??」
「んん、昔観たことあるやつだし、なんとなく観たかっただけ」
「怖くないのっ?」
「…全然。面白いし、観てて楽しくなりますけどね」
たはは、と私が笑うと、ミヤコダさんが、私の顔をじっと見る。
「ね、怖いところ、ひとつもなかったの??」
ひねくれ者の私は答える。
「…唯一怖いと思うとこありますよ」
「どこどこ?」
「血に火を近付けると血が暴れて正体が分かるから、って親指をナイフで切るとこ」
ミヤコダさんは口を開けたままになった。
「………え…?」
「だって、そこだけは、痛みが想像できるじゃないですか。私、小学校のときに図工でカッターで親指をけっこう深く切ったことがあるんですよ。すごく痛かった。だから、あのシーンとか、血判状をつくるシーンとかの刃物で指を切るシーンは怖いです。」
ただ怖い、っていうより、お尻がむずむずするような。
私は、左手の親指をぐっと立てるようにして、ミヤコダさんに見せた。
私の左手の親指には、2cmくらいの傷が白く残っている。
ミヤコダさんは、私の左手を取ってじっと傷を見ている。
おもむろに、傷に自分の唇を当てた
数秒間
ちゅっと軽い音がして唇が離れた
そして、にっこり
「傷の思い出に、キスの思い出を上書きしてみた。これでもう怖いシーンはないから、カヌキさんは無敵ね」
何言ってるの?この人?????
その後、頭が混乱したまま、ソファベッドを広げて布団を敷いて、ミヤコダさんと一緒に寝た。客用布団なんてない。
知り合ったその日のうちに同衾するなんて、大学生って凄いのかもしれない。
クッションを枕代わりにしているミヤコダさんの規則正しい寝息が聞こえる。
私は、なんだか、ドキドキして眠れない。
左手の親指が恥ずかしがって疼いている
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ネタにした映画タイトル
「遊星からの物体X」(1982)
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