これまでの距離で。これからも

「てんちゃん。これ」


 公園のベンチに座ったてんちゃんに、近くの自販機で買ったジュースを手渡す。


「あ、ありがと」


 その言葉にペコりと軽く礼をして、てんちゃんの隣に座った。

 なんというか、喉に何かが詰まっている様な感覚だ。

 ここで逃げてもいいけど。ちゃんと言おう。


 もう、太陽は沈んでいる。

 仄暗い程度の明るさ。

 もう数分もしたら、てんちゃんの顔も見えなくなりそうだ。


 早く。言わないと。


「……お姉ちゃん。どうしたの? 話したいことって」


 てんちゃんが問うた。

 声は、明るくない。

 気のせいかもしれないけど、むしろ暗い声に聞こえる。

 その声に、私は不安になる。


「そ、その。……えっと」


 言葉が出ない。

 突っかかる。

 何を言えばいいのか。分からなくなってしまう。

 いや、分かっているけど。心のどこかで、これを言ったらまずいと無意識的に感じているのかもしれない。


「家でいいじゃん。ね? 早く帰ろうよー。暗いよー」


 てんちゃんは立って、なぜか私を急かす。

 少し離れたところに行って、手をちょいちょいと招く様にこちらにする。

 ……声色は、急に不自然に明るくなっていた。


 ……顔はよく見えない。どんな顔をしているのか気になってしまう。

 顔が見えたら、少しはどんなこと考えているのか分かるのに。

 だけど。自分の気持ちを伝えるのに、相手の気持ちなんて関係ない。

 ……言わなきゃ。


 いつの間にか俯いていた顔をバッと上げて、てんちゃんを見上げる。

 心臓が早鐘のようになるのを抑えながら、私は喉の奥から声を絞り出した。


「て、てんちゃん──」

「お姉ちゃん。そういえばさ」


 言おうとしたのに阻まれる。

 「そういえばさ」の後には少し間があった。

 まるで、その続きを考えていないかのように。


「今日ってお母さんたち、もうそろそろ帰ってるんじゃないかな? 晩御飯も一緒に食べないとね」

「……うん」


 私の言葉を遮ってまで、それを言うの?

 そんなに、それは重要なことなの?


「あのさ──」

「それにしても。……明日から学校かー。転校生挨拶の時、テンパらない様にしなきゃね」


 てんちゃん。酷いよ。


 ……。

 頷くことを放棄した。

 と言うより、今見えている現実に頭が追いつかなかった。


 ……これは、私の言おうとしていることがバレている。のかな?

 でも。だとしても。てんちゃん、なんで私の話を聞こうとしないの?

 なんで? そんなことをするの?

 好きを伝えるだけだよ?


「……てんちゃん」


「だけど、明日緊張するなー」


「てんちゃん」


「ちゃんと挨拶の文を考えなきゃね」


「てんちゃん!」


 声が、ついつい大きくなってしまう。


「……どうしたの?」


 観念したように、てんちゃんが聞いてきた。

 こっちを見つめる。真っ直ぐ。


 ……よし。言う。言うぞ。

 今度は邪魔されない。

 私の事をてんちゃんは待っている。


 だから。

 喉の奥に引っかかった愛の言葉を、私は引き出す。

 出やすいところに、その言葉を待機させた。

 ……『愛の言葉』って、恥ずかしいワードだけど。


「てんちゃん」


 私はベンチから立ち上がる。

 てんちゃんに近づいて、彼女を抱きしめる。


 私は、ずるいことをしているような気がする。

 こうしたら、てんちゃんを束縛できる。

 断りづらい告白ができる。


「てんちゃん、今日までありがとう」

「え、お姉ちゃん死ぬの?」


 その返答に、言葉の選択を間違ったと思ったけど、私は続ける。


「死なない。でも、てんちゃんは私の暗い人生を、ここ数日で明るくさせてくれた。……だから、ありがとう」

「……それが言いたかったの?」

「違うよ」


 抱きしめながら、軽く深呼吸をした。

 心臓の音は、きっとてんちゃんに聞こえている。

 聞こえていても、別にいい。恥ずかしくなんかない。

 今から、もっと恥ずかしいことを言うのだから。


「私はあなたのこと好き。だから──」


「ダメだよ。それは」


 恋人に、なって。

 その言葉が不発弾のように、心の中で吐かれた。

 私の中の何かが枯れそうになる。


 この出来事は一瞬だった。

 先のことを見透かされて、私の告白を断られる。


 振られた。

 振られたのだ。

 理解したくないのに、心のどこかでそう理解してしまって、あまりにも残酷な現実がそこにあるのを体感した。


 じわーっと、何かこみ上げるものがあった。

 早く、てんちゃんから離れたい。

 でも、離れたら私の歪んだ顔が見られてしまう。

 だからまだ強く抱きしめる。


 耐えられなくなって、大粒の涙が溢れ出した。

 体が震える。小刻みに震える。

 何とか、それを抑えようとする。

 でも抗えなかった。


 もう。何にも構わず、声をあげて泣き出した。


「てんちゃん……うっ、で、んちゃん」


 酷い。酷いよ。

 なんで私、振られるの。


「なんで、嫌い、なの……。わたしの、こと」

「……お姉ちゃん。私、お姉ちゃんのこと嫌いとか言ってないよ」


 じゃあ。なんで振るの。

 嫌いじゃないなら、ダメとか言わないでよ……。


「みっちゃん。……覚えてる? 幼稚園の頃のこと」

「なに。急に。みっちゃんなんて」


「私ね。みっちゃんのこと、幼稚園の頃、大好きだった。結婚の約束もしたじゃん」

「うん」


「今でも大好きだよ」

「じゃあなんで──」


「今は家族だから。この気持ちは閉じ込めないといけない。……実際危なかったんだよ? みっちゃん。私のこと好き好き言ってくるからさ。本当に、家族なのに、性的な意味で好きになってしまいそうだった」


 そこまで言って、てんちゃんは首を横に振る。

 それが私に少し当たってしまう。


「……いや、きっと今も、そういう意味でも好きなんだよ」


「……じゃあ、なんで」


「普通の女の子同士だったら、私は即答していた。むしろ、もっと早く告白していたかもしれない。だけど私は、みっちゃんといい家族でいたい」


 その言葉に、止まった涙がまた、零れそうになってしまう。

 もう。てんちゃんと私は、一生結ばれることは無いって分かったから。


 でも、てんちゃんが私の事を好きってことは、まだこれからも甘えていいんだよね?

 甘えた方が喜んでくれるよね?


「だからさ。お願いだよ、みっちゃん」


 その言葉の後には、何かを決心したような間があった。

 てんちゃんの肩が、少し上がって落ちる。

 軽い深呼吸をしている。

 それを肌で感じる。


 てんちゃんは、微かに震えていた。

 なんで震えているのか、分からない。

 私は少しでも安心させたくて、優しく、それでいて強く抱擁する。

 私のそれに、てんちゃんはクスッと軽く微笑んだ。

 小声で「大好き」と耳に囁かれる。

 とろけそうになってしまった。


 抱き締めた体勢のまま。

 てんちゃんは、こう言う。


「これは、大好きなみっちゃんへのお願い。聞いてくれる?」


「うん」


 泣きながら頷く。

 てんちゃんは「ありがと」と言って続けた。


「これまでの距離で。これからも一緒に、ずっと過ごしていこう。両片思いの今のままでさ」

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