第52話 ジーゲスリード講和会議1日目 5
帝国歴628年3月29日、ジーゲスリード講和会議の1日目の閉会してから1時間後、ギャレス・ラングリッジ元帥がロイ・パーネル中将を引き連れて、ショウマ・ジェムジェーオンが待つグランドキルン龍巣殿に戻ってきた。
ショウマは父アスマのことを考えていた。その残滓を頭から振り払い、ギャレスとパーネルを迎えた。
「急に呼び出して申し訳なかったな、パーネル中将」
パーネル中将がショウマに正対すると、深々と頭を下げた。
「滅相もありません。臣下の身なれば、呼び出しがあれば駆けつけるのは責務であります」
「頭を上げてくれ」
「はい」
パーネルの表情は堅かった。
「早速だが、マクシス・フェアフィールド元帥について、聞きたいことがある。話を聞かせてもらえないか」
「小官がマクシス・フェアフィールド元帥を殺害した経緯や状況は、事情聴取の際に、すべて憲兵に伝えております。これ以上、何を話せばいいのでしょうか」
不意に、ショウマはパーネルに頭を下げた。
「パーネル中将には非常に辛い役割を負わせてしまった。申し訳ない」
パーネルの表情がさらに強張った。
「ショウマ様、頭をお上げください。いったい、どういう意味でしょうか」
「私はマクシス・フェアフィールド元帥に、多大なる恩義を受けた」
「……」
「フェアフィールド元帥、いや、幼少の時から呼んでいたマクシスと呼ばせてもらおう。マクシスこそ、この国を救ってくれた本当の功労者だ。私が不甲斐ないばかりに、今回の件では、マクシスひとりに責任を押しつけることになった」
パーネルが探るような目つきでショウマの瞳を覗き込んだ。
「ショウマ様は何をご存じでいらっしゃるのですか」
ショウマは首を振った。
「何も知らない。だからこそ、事実が知りたい。ただ、私のなかの真実は、マクシスが自らを犠牲にすることで、ジェムジェーオンをひとつに戻してくれたと言っている。そして、いまの私は、ようやく訪れた安定を守るため、マクシスの行動を甘受するしかない。許して欲しい。いずれ、必ず、マクシスの名誉は回復する。約束する」
パーネルが黙って視線を上げた。
感情の昂ぶりをこらえ、ジッと見上げていた。何秒かの間のあと、パーネルが誰に向けでなく、小さな声で言った。
「元帥閣下、あなたの選択は正しかった」
「マクシスは何を選んだのだ」
「この国、ジェムジェーオンをショウマ様に託したのです」
パーネルの目が、マクシスの正義をショウマに訴えかけていた。
――やはり、そうだった。
マクシス・フェアフィールドは、内戦を通じてジェムジェーオンの人々の間に生み出された不信や怨嗟を、悪役を演じることで一身に引き受け、自らの命を引き換えることで浄化させたのだ。
「マクシスのことを話してくれないか」
「元帥閣下は、この件を口外することを望んでいませんでした。小官にさえも、最期の段階まで事実を伝えることを憚っておいででした」
「マクシスの気持ちを無下にはしない。これからパーネル中将が話すことは、この場限りと約束する」
パーネルが何秒か固まったのち、ゆっくりと頷き、話を始めた。
「フェアフィールド元帥が指揮する軍が、ニケロニア暴動を鎮圧するため、首都ジーゲスリードを南方に向かって出発したその日のことでした。最初の宿営地に到着した時、アスマ・ジェムジェーオン伯爵からフェアフィールド元帥に対して、軍勢の撤退命令が届きました」
「急な指示だな。軍は混乱したであろう」
ジーゲスリードを出発した軍勢に、その日のうちに撤退命令が言い渡される。異常事態だった。報せを聞いた誰もが、前代未聞の状況を想起したに違いない。
「仰る通り、大混乱に陥りました。ニケロニア遠征軍のなかで、撤退命令は様々な憶測を伴って駆け巡り、たちまち不穏な状態となりました。すぐさま、フェアフィールド元帥は混迷した将兵たちを集めました。元帥閣下自らが将兵たちに直接向き合って『情報の真偽を確認しているが、ジーゲスリードでクーデターが発生する可能性がある』と告げました。さらに、『情報が錯綜しており、この場でこれ以上伝えることはできないが、情報の確認が取れ次第、事実を貴官たちに伝える』と約束しました。そして、『貴官たちは、ジーゲスリード撤退が決定した場合、即座に行動開始できるよう準備を進めてくれ』と指示しました」
「真実を伝えたのだな。現場の士気を重視するマクシスらしい、真摯な対応だな」
「事実、元帥閣下が自らの言葉で説明したことで、軍の混乱は収束と向かい、将兵たちは自分たちの持ち場に戻っていきました。詳細の説明はなかったものの、将兵たちは、元帥閣下がクーデターという重大情報を、真偽の確認なしに迂闊に話せないことを理解していました。話せる精一杯を伝えてくれたと考えていたと思います」
ギャレスが呟いた。
「さすがはフェアフィールド元帥というところか。混乱した現場の将兵の心を、たちまちのうちにまとめあげて、ひとつの方向に導くとは」
パーネルがギャレスの言葉に相槌した。
「元帥閣下は、長い期間、現場の第一線で活躍していたのもあって、将兵たちの心を大切になさるお方でした。将兵たちへの説明の後、元帥閣下は小官とアンドレイ・フェアフィールド少佐のふたりを、旗艦の自室に呼びました」
マクシス・フェアフィールドが呼んだふたりは、第一の腹心であるロイ・パーネル中将と、甥のアンドレイ・フェアフィールド少佐だった。子供がいなかったマクシスは、アンドレイをフェアフィールド家の次期当主にすると公言していた。
「3人しかいない部屋の中で元帥閣下は、小官たちに、アスマ様からの命令の詳細と、首都ジーゲスリードから伝えられたクーデターの首謀者の名を告げました」
ショウマは静かな表情で、パーネルに告げた。
「おそらく、クーデターの首謀者の名は、私、ショウマ・ジェムジェーオンであろう」
ショウマとパーネルの間に、沈黙が降りた。
数秒の間、パーネルがショウマの瞳を凝視した。
パーネルがショウマの視線を合わせたままで、言った。
「はい、その通りです」
ショウマはパーネルの瞳を凝視し返した。
「私は父を殺めていない」
パーネルが即答した。
「元帥閣下の考えも同様でした。ショウマ様が首謀者ではない。クーデターを起こす理由はないと」
「マクシスがそう言っていたのか」
「はい。そして併せて、未来のジェムジェーオンにとって、ショウマ様を失うわけにはいかないとも。直ちに、元帥閣下はアンドレイ・フェアフィールド少佐を連れて、少数精鋭の部隊でジーゲスリードに戻ることを決断しました。同時に、ニケロニア遠征軍の指揮権を小官に委譲し、待機を命じました」
「マクシスとアンドレイは先行して、ジーゲスリードに戻ったのか」
「元帥閣下は、この計画は『勝唱の双玉』の排除が目的である、と考えておいででした。ジーゲスリードに入る前に、アンドレイ・フェアフィールド少佐に『勝唱の双玉』のふたりを探し出し、ジーゲスリード脱出を助けるように命じました」
マクシスの考えを初めて知った。マクシスはこの不可解な出来事を、『勝唱の双玉』を陥れる謀計と睨んでいた。確かに、状況を考えると、マクシスと同じ立場にあったら、その考えに至る気がした。
ショウマは噛みしめるように言った。
「父が亡くなりグランドキルンから火が上がったあの日、私とカズマのもとに駆け付けてくれたのは、アンドレイ・フェアフィールド少佐だった。アンドレイは、私たちがジーゲスリードを脱出するのを助けてくれた」
「元帥閣下たちがジーゲスリードに着く直前、グランドキルンから火が上がりました。到着後、急いで、グランドキルンに向かいましたが、アスマ・ジェムジェーオン伯爵は既に亡くなっていました」
ショウマはあの日のジーゲスリードを思い出していた。
火の海。錯綜する情報。混乱と不信。そのなかで、澄み切った目で脱出を勧めてきたアンドレイを信じることにした。
「なぜ、マクシスとアンドレイは、私たちにそのことを告げなかったのだ」
「元帥閣下は独りで、真相究明の調査を続けていました。この計画を立てた者たちの正体が判らない限り『勝唱の双玉』のおふたりをジーゲスリードに戻しては、身の危険があると考えていたようです」
「なるほど。だから、アンドレイ・フェアフィールド少佐も、私たちにさえ何も言わず沈黙を貫いていたのだな」
「しかしながら、元帥閣下の真相究明は行き詰まりました。同時に、周囲からジェムジェーオンの国体を固める必要に迫られました。このままでは、ジェムジェーオンの国が傾いていく。真相を明らかにするには、まだまだ時間を要する。その板挟みのなか、元帥閣下はすべての責任を請け負う覚悟で、暫定政府の首班となりました」
「パーネル中将」
「はい」
「貴官は、先日、私たちのジーゲスリード入城にあたって、ジェムジェーオンの国民に向けて、マクシスが発表した『アスマ・ジェムジェーオンの遺志』は捏造であったと発表しているが、その発表自体が真実ではないということか」
パーネルが左手を自身の頭におき、掻きむしった。
「真実? 小官にとって、真実はフェアフィールド元帥閣下の遺志です。元帥閣下は非難を自身に集めることで、ショウマ様の新たな体制を強固にすることを望んでいました」
ショウマのなかに、本当の忠臣の姿が描き出されていた。
――そういうことか。
バラバラだったいくつかの事実が、心の模様と連関して、ひとつの真実として理解を深めていった。
「これから話すことは、講和会議に関わる内容になる。パーネル中将にも守秘をお願いしたい」
ショウマの言葉に、パーネルが頷いた。
「父アスマがフランク・バルベルティーニ伯爵に送付した書簡の存在が明らかになっている。書簡のなかで、ユウマのジェムジェーオン伯爵嫡子の擁立と後ろ盾となることが依頼されている。これが、今回の紛争にバルベルティーニが参戦した根拠となっている。率直に尋ねるが、バルベルティーニ参戦に、マクシスは協力していたのか」
「協力は絶対にありえません。元帥閣下はバルベルティーニ伯爵国が参戦するという話を聞いた際、お家騒動の解決を他国に頼るなど言語道断だと、激怒しておりました」
「事実の確認をしたいのだが、ジェムジェーオンからバルベルティーニに参戦の依頼があったと思うか」
パーネルが数秒の思考のあと、言った。
「私見になりますが、元帥閣下の話し振りから、何らかのカタチでジェムジェーオンからバルベルティーニに依頼したことは、事実だと思いました」
「マクシスは言語道断と断じたということだが」
「そうです。アスマ・ジェムジェーオン伯爵が独断でバルベルティーニに協力を依頼したと考えていましたが、違うのでしょうか?」
「それを確認している」
パーネルの口調や表情に、嘘はないと思えた。
つまり、マクシス・フェアフィールドはバルベルティーニ参戦に関与していないということになる。
「そういえば、父アスマからマクシス宛に送られた書簡はどうなっている?」
「小官は書簡の中身を確認していません。元帥閣下は誰にも見せずに処分しています。ショウマ様がジーゲスリードに軍勢を引き連れて戻ってきた際、元帥閣下は小声で『これでジェムジェーオンはひとつにまとまる』と告げ、その場で、アスマ・ジェムジェーオン伯爵から元帥に届けられた命令書を『混迷の元凶になる』と言って、小官の目の前で焼いて処分されました」
ショウマの質問に、パーネルがやや早口で答えた。
続いて、ギャレスがパーネルに質問した。
「私からもひとつ尋ねたいことがある。アスマ伯爵からの書簡はフェアフィールド元帥のみに送られたのか。それとも、他の人物、たとえばドナルド・ザカリアスにも届けられていないのか」
「判りません。ただ、元帥閣下とともにザカリアスが暫定政府を主導することになったのは、ザカリアスがアスマ伯の遺志を心得ていたからです」
ギャレスが疑義を挟んだ。
「ザカリアスは暫定政府において大将の位に昇進したが、当時はパーネル中将と同じく中将の位にすぎなかったはずだが」
「小官も『なぜ、ザカリアスがこの機密事項を把握したのか』と違和感を覚えました。その時は『軍本部勤めが長いザカリアスは、首都ジーゲスリード勤務の間にアスマ伯と懇意にしていた』と理解していましたが……」
「ザカリアスに確認したことはないのか」
「元帥閣下が、小官随伴の場で、ザカリアスに確認したことがあります。ザカリアスの回答は『主君アスマ・ジェムジェーオン伯爵の意志は明らかだ』と述べたのみでした。元帥閣下も、それ以上の追求をしませんでした」
ショウマは指を組んだ。
「最後に、もうひとつだけ聞かせてくれ」
パーネルがショウマの方に顔を向けた。
「はい。何でしょうか」
「マクシスの調査はどこまで進んでいたのだ」
パーネルの顔が一瞬歪んだ。
――何かを知っている。
ショウマはパーネルの微妙な変化を見逃さなかった。
さらに強く見据えると、パーネルの瞳の奥に、萎縮と焦燥と躊躇が混じった複雑な感情があるのを認めた。
ショウマは言った。
「マクシスが何を見つけたか教えてほしい」
ふぅ、パーネルが慎重に言葉を選んだ。
「元帥閣下は、調査していた経過を何も残しませんでした。敢えて、そうされたのだと思います。ただ、小官に伝えた言葉があります『難しく考える必要はないのかもしれない。これら一連の出来事が、何をきっかけにしていたのか。それが答えに近づく道のひとつなのかもしれない』と」
その瞬間、ショウマの頭のなかで何かが弾け飛んだ。
頭のなかで大きな炸裂音が弾けた。残響がこだまするなか、バラバラになった破片が、一筋の光を中心に、自動的に組み上がっていった。
パズルのように繋がっていくにつれて、ある実体を浮かび上がらせていく。
ショウマは自嘲気味に笑みを浮かべた。
「パーネル中将、私にも見えた。感謝する」
パーネルが何も言わず頷いた。
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