第47話 常勝の軍神5
帝国皇帝代理人ヴァイシュ・アプトメリア侯爵一同の歓迎祝宴が終了した後、ショウマ・ジェムジェーオンは財界の重鎮の誘いを丁重に断って、独りきりでグランドキルンの庭園に赴いていた。
南風に乗って暖気をまとった生暖かい雨が、降っていた。
庭の奥、小さなガゼボに設えられた椅子に座り、腕の時計に目を落とした。
ショウマは歓迎祝宴のなかで、オリバー・ライヘンベルガー男爵を通じて、この場所でヴァイシュ・アプトメリア侯爵を迎えることを伝えていた。
約束の時間が近づいていた。
――気負うことはない。
訊くべきこと、訊かれそうなこと。想定問答は用意してきた。
約束した時間ちょうどに、傘を差したアプトメリア侯爵がひとりで姿を現した。
ショウマは立ちあがって、深く叩頭した。
「足元が悪いなか、ご足労いただきまして、感謝いたします」
「貴公もひとりか」
「はい」
アプトメリア侯爵が傘を畳んでガゼボのなかに入ってきた。
ショウマが予想した通り、アプトメリア侯爵は護衛を連れずにやってきた。
――やはり、供を連れずにやってきたか。
ショウマは直感的に、アプトメリア侯爵は誰も連れずに単独でやってくると踏んでいた。
この会見のことをジェムジェーオン首脳陣に報告した時、ギャレス・ラングリッジ元帥が、ジェムジェーオンの代表のひとりとして随行したいと申し出てきた。
これを断ったのは、ショウマの主観が強く、アプトメリア侯爵は単独で来るはずだから、こちらも単独で向かえと告げていたからだった。
「吾と貴公との間に、他の者が介在するのは不要であろう」
「安心してください。この場所での会話は、私たちふたり以外の誰の耳にも入らないことを約束します」
「なるほど。新しいジェムジェーオン伯爵となるショウマ殿は聡明と聞いていたが、噂は本当であったようだな」
「いいえ。私は非才の身に過ぎません」
「吾を理解できない者は、この場に多くの者を連れ従えたであろう。そして、その時、吾は失望したであろう。だが、貴公は違った」
アプトメリア侯爵がニヤリと口許を歪め、満足気に頷いた。
――間違ったのかもしれない。
ショウマは自らの判断を、悔やんだ。
アプトメリア侯爵が二人きりで話したいと考えると思った読みは正しかった。だが、敢えて、それを理解できない振りをして、臣下の者を引き連れてくることが正解だったのかもしれない。
アプトメリア侯爵がショウマの目の前の席に座った。
「卿も頭を上げて、楽にして座ってくれ」
「失礼いたします」
ショウマはアプトメリア侯爵の言葉に従って、座った。
「貴公の噂は、以前から耳にしていた。アスマ・ジェムジェーオン伯爵の御子息は、世にも美しい若者であると。しかしながら、言葉とは不便なものだな。実物は噂以上で、直接目にしたら、吾の耳に入っていた言葉を凌駕するほどであったとはな」
「……」
「気に障ったか」
「いいえ。気に障ってなど、滅相もありません。ただ、世に美麗名高いアプトメリア侯爵からそのような言葉を頂戴するなど、……自分の気持ちを表すならば、そう、驚いています。アプトメリア侯爵を前にして、私など恥ずかしい限りです」
「吾は世辞を言わない。吾の美しさは、自身で充分に理解している。その吾が貴公に対して美しいと言っているのだ。間違いない」
アプトメリア侯爵の言葉は一切の躊躇がなかった。
――なるほど。
ショウマはアプトメリア侯爵の性格の一端を垣間見た気がした。
「恐縮です」
「謙虚な発言だな。それとも、吾を警戒しているということか」
アプトメリア侯爵の眼光が鋭くなった。
ショウマは警戒を保ったまま、表情を緩めた。
「表情が硬いのだとしたら、緊張しているためです。高名世に聞こえるアプトメリア侯爵を目の前にして、萎縮しない者がおりましょうか」
「時々、世の中の人間は、吾を神話のなかに登場する怪物の類と勘違いしているように思うことがある」
「侯爵の名は生きながらにして伝説となっています。私も、直接お会いするまで、大巨人の姿を想像していました」
ははは、アプトメリア侯爵が声に出して笑った。
「貴公は面白いことを言う」
「いえ。双子の弟をはじめとして近侍の者から、ユーモアのセンスがないので冗談を言わない方がいいと窘められています」
「双子の弟君、カズマ殿であるな」
「はい。同じ顔がふたつです。私たちの場合、同じ顔がふたつ並んでいることに、人々の好奇の目が寄せられます」
「そのようなことはない。先ほどの祝宴で、貴公とカズマ殿が並んでいるのを眼にする機会があった。美しい人物が重なると、これほど壮観であるとは思わなかった。まるで、その場所だけ異世界であるかのような空気であった」
「カズマに伝えておきましょう。弟は
アプトメリア侯爵の目の色が若干変わった。
「それは素直に喜ばしいことだな。貴公は
「弟のカズマと比べ、才能が劣っております。自分は
「そうか、それは残念だ。今度、カズマ殿と
ショウマは身構えた。
――本題に移る気だな。
雨はさらに強くなり、地面を叩きつける雨音が強くなっていた。雨の音に消されないよう、少しだけ声の音量を上げた。
「どのような話でしょうか」
アプトメリア侯爵が長い髪をかき上げた。
「まずはじめに、貴公に確認したい。このたび、吾はアクアリス大陸前脚地方においてジェムジェーオンと覇を争ってきたパイナス伯爵を連れて、このジーゲスリードに入った。貴公はその意味を色々と考えているのではないか」
ショウマは口をつぐんだ。そして、慎重に言葉を選んだ。
「侯爵の仰る通りです。ご存知の通り、パイナスとジェムジェーオンは、このアクアリス大陸前脚地方において、お互いを意識しあっています」
「貴公の立場を考えれば、警戒することも無理はない」
「なぜ、私にこの話を」
アプトメリア侯爵が立ちあがった。
「貴公は勘違いしているようだ」
ショウマは座ったままアプトメリア侯爵を見上げた。
「勘違いとは」
「吾がパイナス伯爵を連れてジェムジェーオンに赴いたため、パイナス伯爵と示し合わせていると考えているのでは」
ショウマは再度、口をつぐんだ。
――別の話に逸らすべきか。
いや。アプトメリア侯爵に看破された時に印象を悪くするのであれば、正面突破を試みた方がいい。
「正直に申し上げますと、それも可能性のひとつとして考えております。私は長年争いを続けてきたパイナス伯爵を警戒しています。アプトメリア侯爵の真意がつかめていない以上、同じ警戒をする必要があると思っています」
アプトメリア侯爵が口許を緩めた。
「ようやく、貴公の本音が聞けた」
「侯爵の前で取り繕うことは難しいです」
「はっきりと断言する。ショウマ・ジェムジェーオン卿。何も気に病む必要はない。吾は皇帝陛下の代理人である。しからば、吾はパイナスにもジェムジェーオンにも肩入れはしない。公平な立場で接する。よって、吾がパイナス伯爵を随行させてきたからといって、特別な意味はないと思ってほしい」
「しかしながら」
ショウマは言い淀んだ。
アプトメリア侯爵が続きを促した。
「構わない。続けよ」
「失礼を承知でお聞きしたいことがあります。パイナスは今回のジェムジェーオン内乱に直接関わっておりません。そのパイナスを、今回の講和会議に参加させる侯爵の意図をお聞かせください」
アプトメリア侯爵が皇帝代理人の名において、ジェムジェーオン伯爵襲名式だけでなくジェムジェーオン内乱の講和会議に、パイナス伯爵を参加させる意向を示した。
「吾が皇帝陛下の代理人として参加するからには、今回の講和会議を、ジェムジェーオン騒乱の決着以上の意義を与えるつもりだ。アクアリス大陸前脚地方に恒久平和を築く契機とする。それが故に、吾は、パイナス伯爵だけを特別扱いしたわけではない。前脚地方の全領主に、今回の講和会議に参加することを要請している」
「侯爵の意向は尊重しますが、私たちジェムジェーオンの人間は、今回の内乱の完全終結を一義に置かねばなりません」
「それは当然のことだ。貴公は何も心配することはない。すでに、皇帝陛下の代理人である吾から、パイナス伯爵をはじめ全領主たちに対して、紛争当事国以外の参加国は講和条件について余計な口出しをしないよう、伝達している」
アプトメリア侯爵の言葉に嘘はない。通達が各国に渡っていることは事実だった。
――それは間違いないのだが。
巷間の評判通り、アプトメリア侯爵は気高く公明正大な人物であることは、言動に表れていた。しかし、パイナス伯爵がどのように考えるかは別だった。ショウマがパイナス伯爵の立場にあるならば、本来席に着く資格のない講和会議に参加できること自体を、チャンスと捉えるだろう。
そう思いながらも、侯爵の揺るぎない自信に対して、ショウマは反論を述べることを自重した。
「判りました。侯爵の言葉をお聞きし安心しました」
アプトメリア侯爵がショウマの返答に納得したように頷いた。穏やかな表情で、優美に長い髪をかき上げた。
「近年、このアクアリス大陸前脚地方だけでなく、帝国全土、アクアリス大陸のあらゆる場所で、秩序崩壊の兆候が現れている。公正さや務めるべき義務をないがしろにしてきた結果だ。帝国の伝統と権威が失われ、上から下に至るまで乱れている。この状況を貴公も把握しているだろう」
「ジェイク・ユニバース卿のことでしょうか」
ジェイク・ユニバースは『不敗の謀神』と呼ばれ、『常勝の軍神』ヴァイシュ・アプトメリア侯爵のライバルと目されている。ユニバース家は帝国内で侯爵位を持った名門であったが、現当主ジェイクは自ら帝国の爵位を捨てて、新しい秩序を構築することを公言していた。アプトメリア侯爵は、これを帝国に対する反逆と捉え、帝国の征東将軍の職に就き、討伐を掲げていた。
「もちろん、ジェイク・ユニバースもその一人だ。だが、ユニバースを伸長させているのは、帝国それ自体が公正と正義を見失った結果と考えている。本来の権威が重んじられる体制に回帰しなければならない」
帝国中央の政治は、六家を代表とする中央の名門貴族たちに牛耳られていた。
名門貴族たちは、帝国の政治を私物化したうえに、自らの手を汚すことを忌み嫌った。貴族たちは地方領主への宗主権を主張することや、帝国本隊の軍部人事に介入することで、武力を掌握していた。地方領主や武官たちをコントロールしながら、帝国中央で、自分たちに都合よく権勢をふるっていた。
「侯爵は帝国の在り方を変えようとしているのですか」
「その通りだ。秩序の乱れの根源、帝国の病巣は、相伴衆と呼ばれる中央貴族たちが、皇帝陛下の威光と権威を蔑ろにしているからだと、吾は考えている。これ以上、この者たちを野放しにするつもりはない」
ショウマはストレートに尋ねた。
「六家を中心とする相伴衆を相手にする気ですか」
「ジェムジェーオン伯爵家も、六家のひとつシュールホルスト公爵家を通じて帝国に金品を上納しておろう。今回の伯爵位の継承に関しても、多額の費用も求められていると考えているが」
「その通りですが、私たち地方領主が、六家を代表とする相伴衆の中央貴族を通じて、爵位認証を求めたり費用を上納するのは、帝国を安定維持していくひとつの装置であると捉えています」
「その金品の多くは、帝国を維持するためではなく、相伴衆をはじめとする貴族たちの懐に入っている」
「現実は、侯爵の仰る通りであるのかもしれませんが、この仕組みや制度を改めるには、多くの困難が待ち受けています」
「吾の理想を実現するには、多くの同志を必要としている。貴公も今回の講和が決着すれば、晴れてジェムジェーオン伯爵の身となろう。その時は、吾とともに帝国の真の守護者になってほしい」
ショウマはアプトメリア視線を外し、強い雨が降り続いていた空を見上げた。
「ジェムジェーオンを継ぐだけでも、私には荷が重いと思っています」
「吾と一緒に、正義の名のもと、帝国の病巣に対して戦うことを期待している。いや、期待ではなく、貴公であれば必ずやできると確信している」
アプトメリア侯爵の強い視線が、ショウマに向けられた。
ショウマは視線に応じざるを得なかった。
「アプトメリア侯爵は、私やパイナス伯爵に、ともに帝国を改革することを望んでいるのですか」
「然り。ただ、パイナス伯爵は吾の考えを理解できないようだ。帝国が正しい道を歩み安定することよりも、自国のパイナスが安定することが重要と考えている。それもひとつの道であろう。すべての者が大儀を理解するのは難しいということだ」
ショウマはあいまいに首を縦に振った。
――どういう反応をすべきか。
いま、相伴衆と呼ばれる帝国の中央貴族との諍いに、ジェムジェーオンを巻き込むわけにはいかない。
その時、雷光が輝き、雷鳴が轟いた。
「うわぁ」
ショウマは驚きの声を上げて、椅子の下に駆け込んだ。
「どうした? ショウマ殿」
「申し訳ありません。幼いころから、雷が苦手で、あの音と光を前にするとどうしても身体が竦んでしまうのです」
「ただの自然現象であろう」
「それは理解しているのですが」
再度、雷光と雷鳴が轟いた。
「ううっ」
ショウマは前と同じように、椅子の下で頭を抱え、震えて塞ぎ込んだ。
「大丈夫か」
「雷は収まったでしょうか」
強い雨は続いており、黒く厚い雲が覆っていた。
「もうしばらく、雨と雷は続くだろう。それにしても、貴公が雷を苦手にしているとは、いささか驚いた」
アプトメリア侯爵の顔に、明らかな失望が浮かんでいた。
「も、申し訳ありません」
アプトメリア侯爵が、空を見上げながら考え込んだ。
しばらく、そのまま無言で空を見詰ていた。
ようやく、口を開いた。
「ショウマ・ジェムジェーオン卿、吾はそろそろ戻らねばならない」
「はい」
「雨と雷が落ち着くまで、貴公はもうしばらくこの場に残っているがいい」
「ご配慮ありがとうございます」
「では、明日の講和会議で」
気の抜けた様子で、アプトメリア侯爵が、ガゼボから出て行った。
念のため、10分程度、ショウマはそのまま椅子の下にいた。
雨は依然といて強く降っていたが、誰もいないことを確認して、椅子の下から出て、立ち上がった。
――どうやら、うまくいったようだ。
個人の恥など小さなことだ。
アプトメリア侯爵の正義に染まることは、副作用が大きすぎる。
侯爵に反対姿勢をとることなく、期待値を自然と下げるために、ショウマは必要なことを行ったにすぎなかった。
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