第18話 ハイネス攻防戦1
ジェムジェーオン暫定政府は、ドナルド・ザカリアス大将を総司令官とした遠征軍を『勝唱の双玉』が籠るハイネスに向けた。
首都方面軍を中心に南部方面軍や西部方面軍の一部、さらにバルベルティーニ黒騎士第二軍団を加えて遠征軍を構成した。兵力はハイネスに籠る軍勢の4倍、12師団もの大軍だった。
マクシス・フェアフィールド元帥のジェムジェーオン全市民に向けた演説の2日後には、暫定政府の遠征軍はハイネスを都市包囲した。しかし、多数の戦力を有しながら、遠征軍は積極的に動かず、包囲したまま5日が経過していた。
――このままでいい。
総司令官ドナルド・ザカリアスの戦略の根幹は、『勝唱の双玉』をハイネスに封じ込めたまま、包囲を継続したまま時間を稼ぐことだった。
帝国歴628年3月5日、カレンダーは3月となっていたが、標高の高いハイネスでは、春の訪れにはまだ遠く、冷気に包まれていた。
マクスローズ山脈より吹き下ろす乾いた風が、ハイネスを囲む遠征軍の兵士たちの頬を切り付けた。
包囲戦。圧倒的に有利な戦況でありながら、寒空のなかで遠征軍の兵士たちは不平を口にしていた。
「兵力の面ではこちらが優位かもしれないが、野営している俺たちよりも、屋根のある部屋で寝食できるハイネス駐留軍のほうがましかもな」
オステリアで発生した暴動の鎮圧に、暫定政府軍が苦戦している。
この報に、「戦局が変わる」と、一部の血気盛んな兵士たちは目の色を変えた。
オステリア暴動がジェムジェーオン全土に拡がる前に、ハイネス攻略に乗り出すことを期待した。
だが、総司令官ドナルド・ザカリアス大将は、方針を変更せずに包囲を継続することを選択した。その方針が遠征軍のなかに伝わると、兵士たちの多くが不満を露わにした。
「ちっ。総司令ら上の人間たちは、現場を知らないのだ」
高級士官すべてが、兵士たちの士気低下に鈍感だった訳ではない。
遠征軍の司令部が置かれた旗艦バトルシップ『モノポライザー』の横に、1台の地上車が付けた。
副官がザカリアスに告げた。
「総司令、バルベルティーニのクラウディウス将軍が面会を求めております」
ザカリアスは、内心毒づきながら「通せ」と副官に告げた。
――僚軍の将を無下にはできまい。面倒な。
ずかずかと遠慮なく総司令官室に入室してきのは、2メートル近い身長、赤毛の長髪を片側に垂らした青年将校、僚軍バルベルティーニ伯爵国の黒騎士第二軍団長ベリウス・クラウディウス将軍だった。
「ザカリアス総司令」
「どうしました。クラウディウス将軍」
部屋の中央の席に座ったままのザカリアスに、クラウディウスが詰め寄った。
「ジェムジェーオン西部、オステリアで発生した暴動の鎮圧に、苦慮していると耳にした。しかも、ライヘンベルガー男爵国の軍勢が、暴動をおこした兵士たちと合流するためにジェムジェーオンに入ったと」
詰め寄られたザカリアスは、涼しい顔をしたまま、眼鏡の位置を直した。
「そのようですな」
「それを受けて、作戦をどのように変更するつもりなのかを確認しに来た」
「変更? 作戦は継続です。何も変えるつもりはありません」
クラウディウスが語気を強めた。
「すぐさま、ハイネスへの攻撃を開始することを進言する。いまはまだ、こちらがこの戦いの主導権を握っているが、オステリアの蜂起がジェムジェーオン全土に拡大してからでは手遅れになる。主導権を握り続けるためには、ここで一気にハイネスを落として威勢を示すことが肝要だ」
「オステリアへの対処は考えています。ライヘンベルガー男爵国の動きを封じるためパイナス伯爵国と連絡を取っています。パイナスはライヘンベルガーを牽制することを約束しました。ライヘンベルガーさえ封じれば、挙兵した兵たちなど烏合の衆にすぎません」
「悠長に構えていると足許を掬われるぞ」
「ハイネスでの戦術に変更はありません。包囲継続です」
ザカリアスは戦闘における華々しい勝利を求めていなかった。
必要なのは、国の正当たる統治権を確保する戦略的勝利だった。内乱に終止符を打つのは、何も自分たちの手で無くてもよい。帝国中央より派遣された『常勝の軍神』アプトメリア侯爵が、その権威を振りかざし決着させても問題ないと思っている。その時まで、暫定政府が首都ジーゲスリードを維持確保し続ければ、戦後のジェムジェーオン伯爵国の体制で主導権を握ることができる。
クラウディウスが大きく手を広げた。
「オステリアで暴動が続いているいま、こちらも先手を打って動かなければ、取り返しがつかない状況に陥る可能性があるのが分からないのか」
「私はクラウディウス将軍にこの包囲戦の意図を、すでに伝えいると考えていますが」
「ああ。聞いている。だが、状況は刻一刻と変化している。少し前まで有効だった作戦が、現在もそうであるとは限らない」
「そうですね。せっかく、バルベルティーニのクラウディウス将軍から進言を受けたのですから、オステリアへの援軍派兵は、前向きに検討することにしましょう。ただ、ハイネスでの戦術変更はありません」
「なぜ、解ろうとしない。友軍である俺から見ても、ジェムジェーオンの兵士の士気が下がっているのが分かる。それを理解しているのか」
ザカリアスは心外だった。クラウディウスが挙げてきた現場の士気の話など、最高司令官である自分が気にすべきことではない。
「現場の兵士への対処は、下士官の務めです」
「越権になるのを承知で言うが、ザカリアス総司令は現場に出ているのか。もしくは、現場に直面している下士官の意見を汲み取っているのか」
クラウディウスが迫ってきた。
――クラウディウスの進言の目的は、承知している。
ふぅ、ザカリアスはため息をついた。
「クラウディウス将軍、安心してください」
「安心とはどういう意味だ?」
「たとえ、このまま包囲を続けたとしても、あなたがたバルベルティーニ黒騎士第二軍団の功績は大であったと、ジェムジェーオンからバルベルティーニに報告します。だから、安心して見ていてください」
「なんだと」
ザカリアスはクラウディウスに笑いかけた。
――クラウディウスは功を焦っている。
クラウディウスにとって、ジェムジェーオン内の争いなど、対岸の火事としか思っていない。ジェムジェーオンの内乱は武勲をあげる機会にすぎない。私たちジェムジェーオン国民には、最小の被害で最良の結果を得ることが重要だということを判っていない。
「クラウディウス将軍は何も心配する必要はありません」
クラウディウスが苦虫を咬み潰したような表情で、ザカリアスを見やった。
「ザカリアス総司令は勘違いしている。俺は功を欲しているのではない。武人としての嗅覚が『この機を逃してはならない』と言っているのだ。だが、これ以上、何を言っても無駄なのだろう。せめて、後手に回ることのないよう、配慮をお願いする」
クラウディウスが渋々ながら矛を収める姿勢をとった。
「ご忠告、感謝します」
ザカリアスの言葉に、クラウディウスが消化不良の表情を浮かべた。だが、そのまま総司令室を出ていくしかなかった。
ザカリアスはその後姿を、座ったままで眺めていた。
――これが正しいのだ。
ハイネスを包囲し続ければ『勝唱の双玉』ショウマとカズマをハイネスの街に閉じ込めておくことができる。ジェムジェーオン国内で、あのふたりは、即座に求心力となって兵士や市民をまとめることができる。
――危険だ。
ハイネスから外に出さない。
ザカリアスはハイネスの街へ出入りする者があれば、必ず阻止せよと命じていた。軍人であろうとも民間人であろうとも、誰一人として通過を認めるつもりはなかった。
――油断はない。
ザカリアスは口の端を歪めて冷笑した。
バルベルティーニ伯爵国のクラウディウス将軍が退出してから30分後、遠征軍の参謀長ヒューゴ・マクスウェル准将がザカリアスに面会を求めてきた。
「どうした、マクスウェル」
司令室に入室してきたマクスウェルは、顔面蒼白だった。
「ザカリアス総司令に報告したいことがあります」
「どうしたのだ」
マクスウェルの深刻な表情から、悪い報告であると判断した。
ザカリアスは人払いを告げた。
マクスウェル准将は、事務方でキャリアを積んできた将校が多くを占めるドナルド・ザカリアス大将の旗下において、実戦を豊富に経験してきた将校だった。不器用で曲がったことをよしとせずザカリアスに忠誠を尽くしているのも、重用する理由のひとつだった。
「オステリアでの暴動の件です」
「私もオステリアについて、マクスウェルと話したいと思っていた。援軍を派兵してはどうだろうかと思っていた処だった。ハイネスを包囲しているいまの軍勢から、どの程度オステリアに割けるだろうか」
「ライヘンベルガー参戦の件は聞いていますか」
「もちろん。首都ジーゲスリードのフェアフィールド元帥と連携し、対処済みだ。パイナス伯爵国に情報を伝えて、ライヘンベルガーを牽制するように依頼している」
「では、オステリアの暴動した兵士たちが『勝唱の双玉』を主導者として迎えようとしている動きについては」
「な、何だと」
ザカリアスは目の焦点を失った。
――そのような報告は聞いていない。
ザカリアスは思わず、椅子から飛び上がらんばかりに、立ち上がった。
最も恐れている事態、それはジェムジェーオン各地の反抗勢力が糾合し、ひとつの巨大な嵐が形成されることだった。その核となる最右翼は『勝唱の双玉』の存在だった。
「ザカリアス総司令」
マクスウェルの呼び声に、ザカリアスは我を取り戻した。
同時に、沸々と血が逆流してきた。
「なぜだ」
「はい、なんでしょうか」
「私は『勝唱の双玉』が、ハイネスを脱出したと聞いていない」
マクスウェルがザカリアスの言葉に、自らに非はないと反発して顔を上げた。
「小官もこのような事態がなぜ起こったのか、はなはだ疑問です」
ザカリアスはハイネスの人の出入りを厳重に取り締まれと指示を与えていた。
――では、誰の責任なのか。
ザカリアスは喉まで出掛かった怒号を呑み込み、唇を噛んだ。
――落ち着け。
ザカリアスは自らに言い聞かせた。マクスウェルに当たっても意味がない。
前のめりになった姿勢を正して、着席した。椅子に深く腰掛けた。
「マクスウェル、まず確認したい。『勝唱の双玉』がオステリアに合流しようとしている情報は確かなのか? 信頼がおけるのか」
「確かな筋からの情報です」
マクスウェルは即答した。情報の裏は取っていると表情が語っていた。
「では、情報源を教えてくれ」
「それは……」
マクスウェルが言い淀んだ。
「どうしたのだ? 私にも言えない情報源なのか」
「いえ、そういう訳では……」
「であるならば、言ってみよ」
マクスウェルがザカリアスの様子を窺いながら、意を決して発言した。
「情報の元はスン・シャオライ中佐です」
「スン・シャオライ、か」
思わず、ザカリアスはその名を口に出した。
「はい。スン中佐のもとには、帝国の至る所に散らばっている影背人たちから、情報が集まっています」
「わかっている」
スン・シャオライ中佐。
約650年前にシャニア帝国初代皇帝リクタル・シャニアによって滅ぼされた西方の大国「光」の遺民である影背人だった。スンがもたらす情報にこれまで最もあやかってきたのは、ザカリアスそのひとだった。
マクスウェルもザカリアスとスンの関係を承知していた。
「余計でした」
「たしかに、あの男が掴んだ情報であれば、無視できないな」
影背人たちは、「光」国滅亡の際、アクアリス大陸各地に散らばった。亡国の遺民は、影背人として各国に根をおろし経済の影響力をもつに至った。彼らのネットワークは、表だけでなく裏も含め、帝国のあらゆる所に張り巡らされている。
ただ、「光」国滅亡から何百年と経過したいま、影背人たちが抱える背景や意思は各々で異なっていた。情報は個人の事情によって、様々に色付けされる。スン・シャオライが特異であったのは、玉石混合の情報のなかから、確かな事実を選び取る目を持っていることだった。
「なぜ、スン中佐は直接私に言ってこないのだ」
「スン中佐曰く、自分はザカリアス総司令の信用を失っている、からと。ザカリアス閣下の信頼が厚いマクスウェル准将が伝えて欲しい、と」
「つまりはマクスウェルの口から、スンの功績を伝えろというわけだな」
「いえ、違います。事実、小官は、スン中佐から自分が関与していることを伝えないで欲しいと、要請されていました。小官は、スン中佐に私心はないと感じました。スン中佐は自らの情報が最も有効なかたちで活用されることを願っています」
ザカリアスは、ゆっくりと椅子から立ちあがった。
部屋のなかを歩きながら考えた。
スン・シャオライ。ある時から、私は奴を遠ざけた。勘の鋭い奴のことだ。私が避けたことを理解しているはずだ。事実、奴はマクスウェルにその趣旨の発言を述べている。
そのうえで、奴は有益な情報を、私に捧げようとしている。
――いや、待てよ。
奴はマクスウェルの性格をも計算しているに違いない。マクスウェルは他人が収集した情報を、さも自分の手柄に挿げ替えることを恥とする人間だ。
――奴の意図は何だ?
私に有益な情報を渡そうとする意味、奴は対価として何を得ようとしているのか。
――目的は、暫定政府のなかで権勢を増した私の歓心を再び買うことか。
確かにそのように考えると、奴の行動に合点がいく。
ザカリアスは口の端を歪め、冷笑した。
――それも良かろう。
事実、この情報はそれだけの価値がある。
ザカリアスの頭のなかに、スンのストーリーが出来上がった。
しばらくの間、マクスウェルは何も言わず、部屋のなかを歩くザカリアスの次の言葉を待っていた。
「マクスウェル准将」
「はい」
「スン中佐をここに呼べ」
「承知しました」
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