□ 四十一歳 冬⑥ その2−2

 これはおかしな行動なのではないだろうか。他人から見たら、何事って感じで、いやそれ以前に、いくら同性同士とはいえ不自然なんじゃないだろうか。っていうか……後ろから見たらただのバカップルなんじゃ……いや、まさか。

 私が下らないことに気を取られている間に、どんどん展望台から遠ざかっていることに気付いた。

「ちょちょ、ちょっとさっちゃん、どこ行くの?」

「こっちに、夏の間、キャンプ場になってるところがあるんだけど、そこもグルッと開けてるんだよね。あゆは来たことない?」

「全然縁がないです」

「展望台の方にみんな歩いて行ってたから、多分、こっちは穴場なんじゃないかなって思って。さっき、あゆが他の人の邪魔になるんじゃないかとか言ってたから、さ」

「ああうん、そうか、そうね……」

「なんて、単に私が邪魔されたくないだけだけどね」

「んあ?」

 慧は自信満々に歩いて行く。確かに遊歩道らしく舗装されていて歩きやすい。それでも周りは背の高い木々に囲まれて、ちょっとおっかない雰囲気だ。手を繋いでもらっていて良かったな、とちょっと思った。

 それほど長くは歩かなかった。

「うわー、こんなところあるんだ……」

「開けてるでしょ?」

 鬱蒼とした木々が切れたところに広いキャンプスペースがあった。かなり広い。端っこの方はあんなに遠い。上を見上げると空が三百六十度見渡すことが出来た。

 割と狭い間隔で街灯が並んでいる。その間に深緑に塗られたベンチがぽつ、ぽつ、と数基置かれている。このベンチは展望台にあるのと同じだ、と妙に安心した。

 しーん、と何も音がしない。私達の息遣いしか聞こえない。あまりに静かで、やっぱりだいぶ怖い。

「こっち、ここに座ろう、こっちが東側だから」

 慧は勝手にぐいぐい歩いて行く。展望台のように頑丈な柵が並んでいて、その向こうは急な斜面になっている。その前のベンチに私を座らせた。

 ぴったり左隣に慧が座る。寒いから当たり前かもしれないけれど近すぎる気がする。それに車の中とは逆だから、妙に落ち着かない。急に動悸がし始めた。イヤだ、この状況は……これは良くない気が、すごくする。

 私はひたすら空に目を向けた。月がない、黒にも見える深い藍色の空のあちこちに小さな明るい点が見える。星を見るには絶好のシチュエーションだ。でも私は星を見分けるほどの心の余裕もなかった。

「流星群って言っても、マンガみたいにガンガンたくさん流れるわけじゃないんだよね? 時々、あ、流れたかも? くらいなんだよね?」

「う、うん、そう、らしい」

「あゆは今まで流星群とか見たことあるの?」

「実はない」

 耳元で喋らないで欲しい。ふわっと息がかかっている気がする。私は自分が石像にでもなったように、徐々に体を硬くしていた。

「あゆ、昨日はごめん」

「え?」

 いきなり何を言い出したんだ? 思わず振り返ったら顔が近づき過ぎていて、頭が真っ白になった。

「私が変な事を言い出したから、あゆ、パニックになってしまったよね」

「うん……」

「大丈夫、って言ってたけど、そうは見えなかったから……どうしようって思った」

「そう」

「あゆに『弟さんが来たから帰れ』って言われた時は、結構ショックだった」

「え?」

 そんな事私言ったの? 全然意識に残ってない。

「私がいない方がいいって分かってたけど、突き放されたような気がして……だから電話が掛かってきた時、本当に嬉し過ぎて……」

 どうしてこんな顔を突き合わせて、話を聞いているんだろう私。顔を寄せたままだったことにハッとして、慌ててまた空に顔を向けた。

「さっちゃん、答えたくなかったらいいんだけど……私が自殺したって、あれ、どういうこと?」

「あ、うん……」

「ごめんね、私、大学時代の事、ほとんど記憶に残ってないんだ、実は。まだ学生だった頃から、まだらに忘れていることがあって、卒業してからは、ますます忘れていってしまっていると思う。同級生の名前もほとんど忘れてしまってるし、学生時代、どんな風に過ごしてたとか、思い出せないことばかりなの」

「……」

「唯一覚えているのが……さっちゃんと過ごした一年の始めの頃と、例の、軽トラに撥ねられたことと……それくらいなの」

「事故の後遺症ってこと? その……記憶が消えて行く、みたいな感じだよね?」

「うーん、おそらく……それか、私の深層心理が思い出したくないって思ってるだけかもしれないけど。だって思い出しても楽しくなさそうだし」

「……あゆが復学して、二度目の解剖実習をした時のことは覚えてる?」

「全然なの……私、二度も解剖したの?」

「うん、なんか、やってたね……理由は分からなかったけど」

「そうなんだ、やっぱり」

「やっぱりって?」

「復学してからの記憶は全然ないのに、多分その頃に知り合っただろう人のことは知ってる、覚えてるの。平尾綾さんって人なんだけど、そんな人いたなぁって思い出せるんだよね、姿も声も。でもいつ、知り合ったかが分からなくて」

「……」

「でも無理に思い出そうとするのは止めたんだ。思い出そうとするとパニック起こすし、すごい頭痛がするの」

「……そう」

「あ、今、星が流れた」

「え? どこどこ?」

「あっち……あ、ほら、また流れたよ」

「ああ、今度は分かった。すごい、沢山流れるんだね」

「今度流れたら、何かお願い事しないと」

「えー、そんな子どもみたいな」

「……時間が短過ぎて、とても三回なんて繰り返せないね」

 慧がふわっと薄手のブランケットみたいなのをかけてくれた。

「ごめん、手に持ったまま忘れてた」

「いや、これはさっちゃんのでしょ、ほら、何だか寒そうだよ」

「これ防災グッズなんだよ。ほら、裏地がアルミになってて」

「ああ薄いのに熱を逃さないヤツだ」

「そうそう」

「ねえ、さっちゃん……一緒に入ろう、ほら、結構大きいし」

 私に掛けてくれた毛布の片側を持ち上げて、彼女にかける。さらにぎゅっと身を寄せてきて、でもその分、すごく暖かかった。

「あっまた、ほら。ちょっと、さっちゃん、ちゃんと空見てないとダメじゃん」

 ちらっと横目で慧を見ると、彼女はただただ私を見ていた。こんな間近で見られるのは困る。多分、日頃の不摂生で肌がガザガザだしシミだらけだし……。私は顔を上げられなくなって、視線を避けるように俯いた。

「あゆ」

「……何」

「ほら、どんどん、星が流れてるよ、あゆこそ下向いてないで、ほら、見て、こっちの方」

「え? どこ?」

 思わず顔を上げたら目の前には顔があった。

 目がまともに合った。

 反射的に目を瞑ってしまった。

 そっとキスされた。すぐに気付いたけれど、動けなかった。

 ゆっくりと離れて、慧が囁いた。

「二度目」

「……そうね」

「……」

「それは覚えてる」

「思わずしてしまって、あゆに逃げられて泣いた」

「……え?」

 思わず顔を二度見してしまった。……あれは……。

「私、あの時から、というよりもっと前から、あゆが好きだった。勿論、そういう意味で。……あゆは全然そんな気ないだろうって分かってたんだけど、かなり酔ってたからさ……」

 目を伏せた慧に、今度は明確な意図を持って顔を寄せる。そっと唇に触れただけのつもりが、無意識のうちに片腕を首に回している。

「あゆ」

「これは星空効果だよ」

「ダメだ、あのさ……私、今でもあゆが」

「私も貴方より誰かを好きになったことないよ……本当だよ」

「めちゃくちゃ後悔した」

「静かに」

 もう喋っているのか頭の中の声なのかもよく分からない。繰り返すごとに深くなるキスをしながら、私は深い安心感と小さな確信を感じていた。

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