□ 四十一歳 冬① その2




 仲杜なかもり市の十二月はまだ秋である。十二月に入って、コートをウール混からダウンのものに替えたら、暑すぎる。しかし、世間ではすっかり冬で、どこを見回してもクリスマスムード一色だ。それなのにまだ秋の気候を引きずっているのは、野暮というものじゃないか。

 私はのろのろと帰り支度を始めた。とりあえず今日最低限やらなければならない仕事は終わったし、明日もどうせ出勤だ。何か忘れてても明日やればいい。

「先生、本庁から電話〜」

 課長席で鳴った電話を取った保健師が、大声で私を呼ぶ。もう退庁入力したのに、まだ働かされるのか。がっかりしたが電話を代わった。

「はい、堀川です」

「感染症対策室の山際です。お疲れ様です。先程、厚山あつやま市からの濃厚接触者の依頼をメールで送ったと思うんですけど」

「ああ、見ました」

「なんか厚山市から、直接相談したい事があるからって電話かかってきて。先生なんか知ってます?」

「知らないです」

 何で私が知ってると思うんだ?

「厚山市の担当者が、先生とダイレクトにやりとりしたいって言ってきてて。先生の知り合いかと思って、藤野区の直通番号、伝えたんですけど」

「知らないけど、分かりました、かかってきたら対応すれば良いのね」

「お忙しいところすみません」

「わざわざありがとうございました」

 先生の知り合いかと思って?誰が?接触者が?・・・担当者が?

 いつかかってくるのかも分からない電話を待っていなきゃならないんだろうか?いつまで?本当に今日、待っていなくてはいけないのか?

 コロナ禍が始まってから、私達はみんな、常識と非常識の境が曖昧になっている。午後九時に職場にいるのは当たり前、夜中までいても当たり前。

 今夜はかかって来ないだろうとは思っている。でも、待ってしまう。きっと気になってしょうがなくて帰宅できない。


 職員がバラバラと帰り始めても、私が一人取り残されても、電話はかかって来なかった。なぜ帰らないのか、保健師達に聞かれるたびに、本庁から電話かかってくるから、と答える。半分くらいは真実だから皆、ふーんお疲れ様、と言って帰っていく。若干の憐れみの目付きで挨拶されるのが、救いだった。

 目の前のパソコンの画面は、ずっと同じ書類が表示されている。厚山市からの依頼。担当者の名前は、佐倉。・・・厚山市の佐倉さん。

 二十二時のチャイムが鳴った。さすがにこれ以上待ってもかかって来ないだろうと諦めがついたので、やっと帰る気になった。

 きっと私の思い違い。佐倉は珍しい苗字じゃない、多分違う人なんだ。

 未練がましくノートパソコンを開けたり閉じたりしていたが、警備員に鍵をかけたいと声をかけられ、やっと帰ることができた。

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