第100話 隣人とご挨拶

 他愛もない会話を挟みつつ、途中ですれ違う住人も車もないまま歩くこときっかり1時間。

 信号もない田舎道を行くと、ある一軒家の前に止まった。

 どこにでもある、というわけではないが、かなり趣のある一軒家だ。

 築年数もだいぶ経っているが、ただ古いだけじゃない。気品のある古さというか、ただものではない雰囲気が漂っていた。

 表札にはしっかり、『黒森』の文字。

 ここが、白百合さんの生家……。



「な、なんかすごい家ですね……」

「ただ古いだけの、普通の家ですよ。しきたりも、家訓も、何もかもね」

「しきたりがあるだけ、普通の家とは違う気がする」



 俺の実家とかそんなのないし。あるのかどうか知らないけど。

 生垣の塀に沿って歩くと、ちょっとした門を潜って敷地に入った。

 田舎特有なのか、庭も広い。広いだけじゃなくて、石畳や敷石、池、縁側まである。



「うわぁ……すご」

「普通ですよ、普通」



 どこが普通なのか。

 というか、こんな家に住んでるのに、なんであのアパートに住んでるんだろう。いろいろ謎だ。

 軽やかでも重くもない足取りで、白百合さんは家へ歩いていく。

 却って俺は激重。脚どころか肩や腰まで重くなってきた。

 白百合さんが鍵を開け、扉に手をかけ……止まった。



「……白百合さん?」

「……ぁ。い、いえ。なんでも」



 なんでも、って感じじゃなさそうだけどな……。

 ささくれだった気持ちを抑えるように、数回深呼吸してから引き戸を開いた。



「た、ただいま戻りました」



 扉の奥には玄関が広がり、屏風や盆栽、でかい器が飾られている。

 その奥から、和服を着た妙齢の女性が出てきて、三つ指をついた。



「お帰りなさいませ、お嬢様」

「……ただいま、茜さん」



 ……お嬢様? 茜さん?

 状況がわからず首を傾げていると、茜さんが顔を上げて微笑んだ。



「お客様ですね。はじめまして、黒森家で女中をしている茜と申します」

「は、はい。はじめまして、吉永海斗です」

「吉永様ですね。ようこそいらっしゃいました」



 また深々と頭を下げられ、俺も釣られて頭を下げる。

 女中って、今でいうお手伝いさんだよな……? ソーニャの家でも雇ってるって聞いたけど、実際に生で見るのは初めてだ。

 リアルでいるんだな、こういう人。

 茜さんに出してもらったスリッパを履いて、廊下を歩く。

 左右には襖や障子で区切られた部屋がある。

 まるで時代劇の舞台に迷い込んだみたいだ。

 白百合さんは無言で真っ直ぐ前を向いている。それを横目に、俺も無言でついて行く。

 入り組んだ廊下や和室を通り、家の奥へと進む。

 と、一番奥の襖の前で、茜さんが廊下に膝をついた。



「奥様。お嬢様とお客様がいらっしゃいました」

「……入りなさい」



 奥から聞こえてくる、白百合さんに似た綺麗な声。

 暖かくも芯があり、しかしどこか冷たさもある。

 緊張で喉が渇いてる。喉の奥に唾液が絡みついている感じだ。



「失礼します」

「し、失礼します」



 白百合さんに合わせて挨拶し、部屋に入る。

 ……うわ、すげぇ。

 部屋の中は本で埋め尽くされ、資料や手書きの地図みたいなものが壁に貼られている。

 そしてその奥で着物を着ている女性が、俺らに背を向けて正座していた。

 白百合さんに倣って、俺も正座する。

 その気配を感じたのか、白百合さんのお母さんが振り返る。

 眼鏡をかけた若い女性だ。

 いや、若いのは見た目だけだとは思うけど。だって白百合さんを生んだんだから、少なくても40歳は超えているはずだ、多分。

 だとしても見た目年齢が若い若すぎる。



「ただいま戻りました、お母様」

「お帰りなさい、白百合さん。それで、そちらが……」



 眼鏡の奥の眼光が、俺へと向けられる。

 鋭い視線に思わず身が竦んだ。けど、ここでひよったら男が廃る。



「は、はじめまして。吉永海斗と申しますっ……!」

「彼は私とお付き合いしている方です。今日はその紹介に参りました」



 白百合さんの言葉に、お母さんは目を見開いて俺を見つめて来た。

 無言でしばらく見つめられる。

 こ、怖い。マジで怖い。美人に見つめられると、居心地がものすごく悪い。



「そうですか……部屋で休んでもらいなさい。私は締め切りが迫っているので、仕事が終わり次第お話しましょう」

「はい。海斗君、行きましょう」

「は、はいっ」



 逃げるように部屋から退散し、深々と息を吐く。

 たったこれだけのことなのに、酷く疲れた。後で話すってことは、まだまだ気は休まらないけど。

 とりあえず白百合さんの案内で、客室の居間へ移動した。

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