第15話 ギャルと感謝

 結局、起きたのは更に一時間後。

 ようやく血流が収まって起きると、清坂さんがソファーで懸命に何かを見ていた。


 俺が起きたことすら気付かないほど集中してる。

 チラッと見てみると、今日買ったのかレシピの本を熟読していた。

 すごい集中力だ……これは、気付かないフリをしてあげるべきかな。


 わざとらしく伸びと欠伸をすると、清坂さんは慌てたように雑誌を鞄の中にしまった。



「清坂さん、おはよ。ごめんね、寝ちゃって」

「い、いえっ、大丈夫です! ……あの、センパイ。見ましたか……?」

「何を?」

「い、いえっ! なんでもないっす!」



 頭を振って愛想笑いを浮かべる清坂さん。

 そんな清坂さんを見て、首を傾げる。気付いてはいるけど、一応ね。


 と、ちょうどその時、炊飯器から音楽が鳴り響いた。

 どうやらタイミングよく炊けてくれたみたい。

 俺がキッチンに向かうと、清坂さんもウキウキ顔で付いてきた。


 さあ、オープン。



「お……おおっ! 炊けてる!」

「うん。いい感じだね」



 出来たてのご飯を、しゃもじで切るようにして混ぜる。

 湯気から香るお米の甘い香り……堪らん。

 2人でスプーンを使ってご飯を掬い、一口ぱくり。



「んーーーーッ! 美味しいっす……! センパイ、センパイ!」

「うん、美味しいよ」

「ですよね!? いえーい! 免許皆伝っすー!」



 そこまでは言ってない。

 さて、もう時間も19時を回った。そろそろ夕食にしないと。



「それじゃあ今から煮魚作るから、清坂さんはテーブルの準備お願いね」

「おっす!」



 嬉しそうにテーブルを準備する清坂さん。

 そんな彼女の様子を見て、思わず口元が緩んだ。

 お腹も空いてるだろうし、早く作ってあげよう。


 俺はエプロンを付け、冷蔵庫にしまっていたカレイを取り出した。



   ◆



「いやぁ、美味かったっすね、センパイ!」

「うん。ご飯もいい具合に炊けてたよ」

「ぬへへ。そんな褒めないでくださいよぉ〜」



 夕食を終え、食器を片付け終えた俺たちは、思い思いの時間を過ごしていた。

 俺はいつも通り勉強を。

 清坂さんはソファーに横になり、スマホをいじっている。


 ちょいちょい話せば無言が続き、またちょいちょい話して無言になる。


 でも、この無言が嫌じゃない。

 スマホを弄る音と、シャーペンが擦れる音だけが聞こえ。

 いつもは一人だった勉強時間だったけど、傍に誰かいてくれるだけで心地いい。


 ふぅ……学校から課された宿題も、粗方終わったな。ちょっと休憩するか。


 シャーペンを置いて腰を伸ばす。

 と、目の前にお茶の入ったコップが置かれた。



「はい、センパイ。お茶入れて来たっす」

「ありがとう。ナイスタイミング」

「えへへ。ずっとセンパイのこと見てますから。最近は、どのタイミングで休憩に入るのかもわかるようになりました」



 え、そんな見られてたの? 全然気付かなかった。

 俺の前に座り、一緒にお茶を飲んで一息つく。



「はふ……美味しい」

「いつもの麦茶っすよ?」

「いつもの麦茶でも、こうして一緒に飲んでくれる人が傍にいるだけで美味しく感じるもんだよ」



 ご飯を食べるのも、お茶を飲むのも、テレビを見るのも。

 全部が全部、一人じゃ寂しいものだ。


 麦茶を見つめ、自分の意思とは関係なく言葉が口をついた。



「傍にいてくれる。それだけでいい」



 脳裏に過ぎるのは、家での光景。

 誰もいない朝。誰もいない夜。いつも誰もいなかった。

 たまに誰かいたとしても、無機質な目を向けられるだけの毎日。

 テーブルの上に置いてあるのは、ちょっとしたお金。そして「努力しろ」という言葉の書かれた紙。


 そんな家が嫌で、両親に人生で初めてわがままを言った。最もらしい理由を付けて、一人暮らしさせてくれと。

 けど、それでも両親は無機質な目で俺を見ていた。実の息子に向ける目ではない。それはハッキリと覚えている。

 そうして、一人暮らしをして一年間。俺は実家に顔を出していない。


 そんな時に現れた、清坂純夏。


 心に空いていた穴にすっぽり収まるように、彼女は俺の傍にいてくれる。

 天真爛漫に笑い、イタズラ好きで、子供っぽい。俺と同じ、ちょっと訳ありの女の子。


 傷の舐め合いというのだろうか。共依存というのだろうか。

 でも、これだけは言える。

 そんな清坂さんが傍にいてくれるだけで……。



「感謝してるよ。……ありがとう」



 真っ直ぐ、清坂さんにお礼を言う。

 清坂さんは、目を見開いて俺の言葉を受け止めてくれた。


 ……な、何だか気恥しいな、これ。

 目を逸らして頬を掻く。すると清坂さんは、ぽつりと口を開いた。



「……私、心配だったんです。センパイの善意でここにいさせてもらってますけど……実は凄く迷惑を掛けてるんじゃないかって」

「最初はね。でも今は、俺が清坂さんを必要としてる」

「ズバリ言いますね」

「隠しても仕方ないから」

「……センパイらしいっす」



 少し涙の溜まった目を拭い、清らかな微笑みを向けてきた。



「私も……私も、センパイが必要です。センパイと一緒にいたいです」

「うん。気が済むまで、いつまでもいていいよ」

「……はいっ」



 なんとなく、清坂さんとの距離が縮まった。


 そう感じた夜更けだった──。

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