第二十伝 『裏の世界』

昼休み。

朔は中庭にあるテラス席で昼食を取っていた。そして食堂で買ったパンをかじりながら考え込む。昨日の双葉の言葉を思い出していた。



(如月さん、あれ本気だよな。俺がどうこう出来る問題じゃないし、首突っ込んだところで邪魔になるだけだろうけど…。このままで良いのかな。下手したら人と妖かし、両方敵に回す事になるんじゃ…。)



孤立無援の状態になってしまうのでは。その心配が募る。

昨日の攻防戦を見る限り、二人を相手にしても引けを取らない双葉は、神の従者として優秀なのだと思われる。


だが今後封印を解いていくとなれば、それだけでは通用しないだろう。それを阻止しようとする神の従者があの二人だけとは限らないし、ましてや解放すれば妖かしがこの世界と裏の世界とを自由に行き来出来るようになる。

河童は極めて穏やかだったが、他の妖かし達もそうとは限らない。この世界を脅かす脅威となるのでは。


朔は顔を上げて向かいへと目を向けた。



「なぁ、お前はどう思う?昨日の話。」

「あれだけ一緒にいんの嫌がってたのに、何でフツーに一緒に飯食う事になってんだよ。」



今日は葛葉と二人での昼食。朔が葛葉を連れ出したらしい。ナチュラルに昼食に誘われた事に、葛葉は何とも言えない感情を抱いていた。

だがそれに対して朔は眉根を寄せ、口を尖らせながら反論する。



「仕方ないだろ。松山は女子達に捕まっちゃったんだから。お前もどうせぼっちだろ。」

「俺は別にぼっちでも良いんだけど。」



眉根を寄せる葛葉に対し、朔は切り札を繰り出す。



「このサラダのトマトやるから。機嫌直せって。」

「どうせコレ、いらないやつなんだろ。お前トマト嫌いなんだろ。」



パンと一緒に買ったサラダ。その中のプチトマトだけを葛葉に押し付け…もとい、分け与える。朔の雑な対応を見て葛葉は朔がトマト嫌いなのだという事をすぐに察した。


トマトを渡した後、朔はふと何かを思い出したように葛葉へと視線を合わせる。



「あ。そういやお前、辻川沼で如月さんと何話してたの?もしかして妖狐の封印の事?」



ずっと気になりつつも聞けなかった事。

昨日の双葉の話を聞いて、もしやと思ったのだ。

その質問に葛葉は素直に頷く。



「ああ。いずれ狐の封印も解く事になるから大人しくしてろって。」

(やっぱり。)

「まぁ俺としちゃ、解いてくれるってんなら それでいいし。」



望みが叶うならわざわざ闘う必要はないという事だ。もっとも、葛葉の場合、闘いたくても今は力が無くて闘えないようだが。

その質問で朔はふと浮かんだ疑問を葛葉へとぶつける。



「つーかさ、裏の世界?ってどうなってんの?」

「なんだお前、何も知らねーんだな。」

「当たり前だろ。関係者じゃないんだから。」



葛葉に呆れたような顔を向けられ、ムッと膨れっ面を浮かべる朔。自分が世間知らずみたいに言われる事が腹立たしい。むしろパンピーにしては知識豊富な方ではないだろうか。

そんな朔の無言の訴えを見た葛葉は、やれやれといった顔を浮かべながらも朔の質問に答えてくれる。



「裏の世界ってのは、この世界に対して鏡合わせになったような世界だ。反対になったような夜の世界。」

「へぇ。じゃあ右が左で、上が下ってこと?」

「お前鏡見た事ねーのか。鏡の中も上は上だろ。」



それは考えれば分かる。関係者等関係なく。そう言わんばかりの葛葉は再び呆れ眼だ。

一方、朔の方は素だったらしく、葛葉に指摘されて顔を赤面させた。どうやら天然なところがあるらしい。まぁそれはかねてより薄々気付いていた。たまに的外れな見解をぶっ込んで来る。葛葉は改めて、天然入ってんだなコイツ、と思った。


さて、“裏の世界”とは。

人間の住まう“表の世界”が左右反転した常闇の世界だそう。光が無く、いつも闇に包まれている。場所によっては暁のような薄明るさがあったり、宵闇のごとく漆黒の闇に包まれていたり。明暗には差があるそうだ。



「つってもまぁ、封印されてから数百年。こっちはこっちで それぞれの文化を築き上げてきたから、建物や雰囲気は表の世界と全然違うけどな。」



妖かし達が住みやすいような環境へと変化したのだろう。それは朔にもある程度、想像が出来た。

そしてその話を聞き、更に浮かんだ疑問と見解を葛葉へと投げ掛ける。



「じゃあそれなら、わざわざ他の封印解かなくても、この間解除した河童の封印のトコから、こっちの世界に来れば良いんじゃないの?」

「まぁ理屈としちゃ出来ん事はないんだけどな。妖かし同士にもナワバリみてーなモノがあんだよ。俺ら妖狐が河童の領域に入ろうもんなら、妖狐と河童とで全面戦争になる可能性だってある。」

「仲良くしろよ。」

「簡単に言うな。お前ら人間でいう国境みてーなもんだよ。地球から宇宙に出られるのは他国からだけって言われても おいそれとは行けねーだろ。」

「あー、なるほど。」



友好関係にある国同士だってパスポートやらビザやらの手続き、申請は必要だ。それが、いがみ合っている者同士となると、おいそれと通してはくれないだろう。葛葉に言われて朔は納得の姿勢を見せる。

だがここで、更に疑問が浮かんでくる。



「…ん?ちょっと待てよ。前に如月さんから、五種族?封印して妖かし全部が裏の世界に送られたって聞いたんだけど、なんでお前はこっちいんの?」



現在解かれている封印は河童のみ。では何故、妖狐である葛葉がここにいるのか。率直な質問である。それに対して葛葉は、今度はそのまま答えるのではなく、朔に考えさせる方向で答えを導き出す。



「お前、如月双葉あの女の話、ちゃんと聞いてたのか?封印が弱まってる事でどうなってるって言ってた?」

「ああ。そうか、お前は漏れ水的なアレか。」

「漏れ水言うな。」



日常に例えられ、水道のパイプが緩んでいる話を用いられた。その事をそのまま口にする朔だったが、例えが例えなだけに葛葉は不満気だ。葛葉は自分の言葉へと置き換えて説明の補足をする。



「封印が弱まってる事で、こっちの世界と裏の世界との間に隙間が出来てる。その隙間は年々広がってきてんだよ。その間を通れる程度の妖力の妖かしなら来れる状況になってるって事。弱小の奴なら数年前からこっちに来れてるはずだ。」

「つまりお前は弱いって事?」

「俺は妖力ちから抑えてすり抜けて来たんだよ。」



自分が弱いと見くびられ、またもやムッとした表情を浮かべる葛葉。それに対し、今度は朔が白けた顔を浮かべる。



「へぇ~…。」

「あっ!てめっ!信じてねーだろ!嘘じゃねーよ!」



葛葉のソレは単なる強がり、見栄っ張りに見えたのだ。そういう風に見ている朔の心情に葛葉も気付いて反論する。だがそんな反論を朔はサラリと流し、別の質問に変えた。



「でもそれなら他の妖かしも力抑えて通り抜ければ良いんじゃないの?」

「ある程度の力の奴なら出来るけど、それなりに技量はいるし。力の強すぎる妖かしは、抑えても抑えきれねーから解除する以外通れねぇんだよ。」

「なんか結構複雑なんだな。」



分かるような、あまり分からないような。

正直、妖かしではない朔には理解しがたい感覚である。


朔が納得していない表情で頷いていると、葛葉は更に分かりやすく説明してくれた。

イメージとしては、細い小道を通れるのは子ども、もしくは細い奴だけ、といった状況らしい。普通には歩いて通れない体格の奴でも、お腹を引っ込めたりして工夫を凝らせば通れる。だがガタイの良すぎる屈強な輩は通れない。そういうイメージだそう。


そして葛葉は封印解除を望む一番の理由を口にする。



「それに何より、封印された頭領は、封印場所から ある程度の範囲内しか動けねぇんだよ。」

「!」



それが封印の最たる意味。妖かし達が動けないようにする為に、その行動範囲が制限されている。

頭領が動けないが故、一族の者達も必然と広範囲は動けなくなるというわけだ。

先程葛葉が言っていた、河童の封印場所から妖狐が出入り出来ない理由には、この意味も含まれていた。頭領を差し置いて、下っ端共だけで表の世界に行くわけにはいかない。結局のところ、他の封印場所から妖狐が表の世界とを出入りする事は出来ないのである。


葛葉の話を聞きながらパンやサラダを食べていた朔だが、その手がふと止まる。

朔はサラダに視線を落としながら眉根を寄せた。

その様子を見た葛葉は朔の心情を察したような台詞を零す。



「心配しなくても、如月双葉あの女が封印を解く限りは、お前が妖かしに狙われる心配はないと思うぜ。妖かしにとっては、その方が好都合なんだから。」

「いや、まぁその話も、そうなんだけど…。」



言い淀む朔。パンを握りながら視線を泳がせる。朔が何を気にしているのか、それに気付いた葛葉は質問で返す。



「昨日の奴ら?」

「うん。」

「お前が如月双葉に加担するなら何か仕掛けてくる可能性はあるだろーけど、何もしなけりゃ大丈夫だろ。同じ人間なんだから。」



人間同士で争い、怪我を負わせれば犯罪。傷害罪となって法で裁かれる。葛葉の言っている事は理解出来た。

だがそれは、見て見ぬフリをしろ、という事か。


それを素直に受け取って良いものなのだろうか。

朔はモヤモヤしたものを抱えてしまう。葛葉は小さく息を漏らして更なる言葉を紡ぐ。



「そんな深く考えなくて良いんじゃねーの?あの女が勝手にやってる事だし。お前に害が及ばねーんなら問題ねーじゃねーか。元々お前が望んでた事でもあんだろ。」

「それはまぁ…そう、なんだけどさ…。」



事なかれ主義の朔としては関わりたくないというのが本音。だが、ここまで関わっていて知らん顔するというのも違う気がする。かと言って、自分に何か出来るというわけでもない。朔の中で答えは出ないままだ。

悶々とする朔を前にし、葛葉は真剣な眼差しを向けた。



「そんな事より、もっとデカイ問題があんだろ。」

「? デカイ問題??」



珍しくも葛葉の真剣な瞳に、朔は息を飲んだ。

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