三二.森の中

 ラヴの製作者であるリンゲル博士のラボなら、異世界にまつわる研究資料が残っているかもしれない。それがあれば俺の身に起こった現象の謎を解き明かせるかもしれないし、レスカトール博士としても貴重なデータが手に入る可能性が高い。お互いに決断をためらう理由はなかった。


 かくして俺たち四人はラヴが生まれたというその場所に行くことになった。目的地までかなり距離はあるが、博士が例のゲートを使って近場まで送ってくれるらしい。ただその山岳地帯は人の手がほとんど入ってないらしく、魔物も多く生息しているそうだ。いっそ留守番をしていようかとも思ったが、これは自分自身の問題でもあるし、何より女の子たちだけをそんな場所に行かせるのはやはり気が引ける。そんな俺の心情を察してくれたのか、出発前に博士から赤い飴のような物が入った小瓶を渡された。


「これはリタから採取した血液を希釈して固めたものだ。摂取すれば一時的に身体能力を強化できる。身の危険を感じたら迷わず使いなさい」


「まあ何かいたとしてもたかが野生の魔物だ。あたしらがついてれば平気だよ」


 いまだに魔物の実物を目にしたことはないので正直不安な気持ちもあるが、ここで臆していては始まらない。ここへ来るときに使った森の中の魔法陣へと再び赴き博士の準備が整うのを待った。


「七日後の正午にまたゲートを起動する。例え調査がまだでも必ずその時刻には待機しているように。いいね?」


 どうもこの世界では連絡手段に関する技術はそこまで進歩していないらしい。そうである以上こういう方法を取るしかないのだろう。こんな瞬間移動装置が作れるのだから、スマホとまではいかずとも電話くらいあってもよさそうなものだが。一概に進んでるとか遅れてるとかではなく、分野ごとに文明の発展度合いが変わってくる。やはり魔法を使った技術にもブレイクスルーがあって、それによって差異が生まれているんだろうか。


 ぼんやりそんなことを考えているうちに足元の魔法陣が光りだす。そして周囲の景色が揺らぎ、暗い小部屋の中に転送される。例のごとく壁には隠し通路があり、そこを抜けて外に出てみるとそこは高原のような場所だった。背の高い針葉樹が生い茂り、空気もどこか冷たく澄んでいるように感じられる。


「で、どっちに行けばいいんだ?」


「北に見える山の中腹の辺り。ここからだと森を突っ切るのが一番早い」


「いかにも魔物がいそうな感じだな……」


「そうかい? なかなか居心地が良さそうじゃないか。私は賛成だよ」


「回り道とか嫌いなんだよ。あたしも賛成」


「……クロは?」


「いやまあ、二人が言うならそれでいいよ」


「わかった。じゃあ行こう」


 ラヴを先頭にして薄暗い森の中へと進んでいく。おそらくほとんど人の手が入っていないであろうその森は、今まで感じたことのない独特の雰囲気を醸し出している。見方によっては美しい自然とも言えるのだろうが、どこかに魔物が潜んでいるかもしれないと思うと、のんびり森林浴気分でいるわけにもいかない。耳のいいフェルがいることだし大丈夫だとは思うが、自分も周囲の気配に気を配りながら進んでいく。


 黙々と森を歩き続けること数時間、魔物との接触はなかったがあたりはさらに暗くなってきた。夜目の利くリタや森に慣れているフェルなら大丈夫だろうが、俺とラヴがこれ以上森の中を歩くのは難しい。比較的見晴らしのいい場所に焚火を起こして今日はここで夜が明けるのを待つことになった。


 慣れない森の中をずっと歩き続けたのでかなり疲労を感じてはいるが、この前山登りをした時に比べればいくらかマシだ。俺の体がこの世界の暮らしに慣れ始めたのもあるだろうが、やはり明確な目的があるから頑張れるという心理的な要素も大きいと思う。もっと自分のことを知ってあの現象が一体何なのか突き止めることができれば、俺も皆と肩を並べて戦えるようになるかもしれない。


 とはいえまだ探索は始まったばかりだ。なるべく早く目的地にたどり着くためにも、今はできるだけ体を休めなくてはいけない。だがここで一つ問題が発生する。


「ここは魔物の生息地だ。さすがに皆で仲良くおやすみってわけにはいかない。誰か一人は見張りをしてた方が良い」


「なら私がやろう。もともと夜型だしね」


「いくら吸血鬼でもずっと寝ないってわけにはいかないだろ? あたしも交代でやるよ」


「あ、なら俺も……」


「あんたは貧弱なんだからできるだけ休んどけ」


「ぐっ、それは否定はできないけど」


「気遣いは嬉しいけれど君の索敵能力ではやや不安が残る。……それに無防備に眠っている女性を男性がたった一人で見守るというのは、少々問題があると思わないかい?」


「あ、それは……まあ」


「ま、そういうことだ。とっとと寝な」


 まあここで食い下がってもしょうがない。若干無言の圧力のようなものを感じながら、博士からもらった皮布の寝袋に入って目を閉じた。




「そろそろ代わるよ」


「ん、そうかい。じゃあ頼むよ」


「……なあリタ、一つ聞きたいことがあるんだけど」


「なんだい?」


「あの時、ほんとにクロとキスしたのか?」


「な……!? いや、それは……」


「したのか?」


「その……した、けど」


「けど?」


「あれはその、不可抗力というか、説明してる暇がなかったから……」


「でも嫌じゃなかったんだろ?」


「……やっぱり聞いていたんだね」


「盗み聞きしたわけじゃないさ。耳がいいだけだ」


「それで、そんなこと聞いてどうするんだい?」


「別に? ちょっと気になっただけ」


「……気になるのかい? クロのことが」


「な……! そうは言ってないだろ……!」


「おや、そうかい。そういう風にしか聞こえなかったから、つい」


「……」


「……」


 夜の森はどこまでも静かだ。焚火のはじける音が微かに響いた。

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