八.大脱出
リタがゆっくりと兵士の首に腕を回す。兵士は恐怖のあまり呼吸すらできていないようだった。そしてその首筋にリタの口が重なった。
「ひ、ぐ、ああああああ!」
兵士は断末魔のような叫びをあげて床に倒れた。首筋からは血が流れ出ている。
「おや、気絶してしまったようだ」
「だ、大丈夫なのか……?」
「この程度の出血なら命に別状はないよ」
リタが軽く腕を振ると、牢の鉄格子が全部ドロドロに溶けてしまった。
「おお、すごいな。手品みたいだ」
「これが血統術。魔導術や符号術と違って詠唱が必要ない。だから近距離戦闘においては最強の魔法」
「近距離なら殴った方が速いけどな」
「それはフェルだけ」
牢の外で、全員の姿をちゃんと見ることができる。それだけでもすごい解放感だった。だが浮かれている暇はない。
「しかし兵士が呼んできた医者は逃げてしまったみたいだね」
「どうする? 追うか?」
「まあいいさ。牢が壊されたことはすぐにばれるだろうし、血ももう必要ない。早いところ抜け出そう」
「わかった」
薄暗い地下牢の中を四人で駆け抜ける。異変に気付いたのか、普段は静かな奴隷たちもざわついているようだ。
「なあ、あの人たちはどうするんだ?」
「一応鍵だけ開けとこうか」
リタが指を鳴らすと、牢の鍵が全て弾け飛んだ。それを見た幾人かの奴隷が、恐る恐る外に出てくる。
「薄情なようだけど、全員の面倒は見きれない。リスクを恐れて外に出ようとしない者もいるだろうしね。とりあえずは私たち四人で生きて脱出することを優先するよ」
地下牢を抜けると広い通路に出た。幸い人の気配はない。
「正門を突破するのは困難。裏庭から城壁を破壊して外へ出る。こっち」
ラヴに誘導されながら、注意深く廊下を進んでいく。どうやらラヴはこの城の構造をほぼ把握しているらしい。これも亜人種特有の能力の一つなのだろうか。吸血鬼や人狼はわかるが、ホムンクルスというのがどういう存在なのかはいまいち理解できていない。
「なんか変だな」
その時、歩きながらフェルがつぶやいた。
「変?」
「全然人の気配がない。兵士があたしたちを探し回っててもおかしくないのに。これだけ動いて誰にも会わないのは不自然だ」
「言われてみれば確かにそうかもな」
「何か裏がある?」
「それは……わからない」
四人の間に沈黙が訪れる。フェルの言うことは確かに一理ある。だが仮にそうだとしても、何か打つ手があるのだろうか。漠然とした不安が心に重くのしかかる。その沈黙を破ったのはリタだった。
「策謀があったとしてもかまわない。私が全部ねじ伏せてみせるよ」
「おお、頼もしいね。さすがは吸血鬼様だ」
「リタならできる。……もう少しで裏庭につくよ」
ラヴの言葉通り、角を曲がった先には広大な庭が広がっていた。外はもう夜だがところどころ灯りがあるおかげでそこまで暗くはない。ここを一気に突っ切って守りの薄い裏手から脱出する。出口はもうすぐだ。
「風よ、連なり、逆巻き、彼の者を捕らえよ」
聞き覚えのある声だ。これは——
「危ない!」
不意に体を突き飛ばされる。だが俺が地面に倒れこむ前に空気が震え、すさまじい風が吹き荒れ、その渦の中心へと引きずり込まれそうになる。その時、視界の端にフェルが見えた。こちらに向かってすごい速さで走ってきている。そしてそのまま——
「うお!」
「キャッチ!」
気づいたら俺は地面に押し倒されていた。どうやら竜巻に巻き込まれずに済んだらしい。馬乗りの状態のままフェルが言う。
「くそっ、待ち伏せされてたか」
先回り。そうだ、さっき聞こえたあの声は。顔をあげると、そこにはあの優男がいた。
「や、やっぱり君たちか。だから吸血鬼は独房に入れろと言ったのに……。まったく、王は何を考えているのか……」
相変わらずブツブツと小声で愚痴を垂れ流している。その姿からはまったく覇気は感じられないが、何か背筋を冷たくさせるような、静かな殺意を感じる。
「は、はやく牢に戻りたまえ。無駄な怪我はしたくないだろう?」
「そういうわけにはいかないよ。それに牢は私が壊してしまった」
優男の前にリタが立ちはだかる。殺意と殺意のぶつかり合い。これがこの世界の戦い、魔法使いの間合いなのか。
「この男は私が引き受ける。三人はその間に出口を作ってくれ」
「わかった」
睨み合う二人を後に俺たちは裏庭の外縁部、城壁のある場所を目指して走り出した。
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