三.同居人
体が痛い。「躾け」で痛めつけられたのもあるだろうが、より直接的な原因はこのベッドだ。ベッドといっても実態はほとんど木製のベンチのようなものだ。それでも冷たい石の床で寝るよりはましだろう。
体を起こして向かいの牢を見ると扉が開いていた。どうやら俺が寝ている間に吸血鬼のリタはどこかへ連れ出されたらしい。あの後も兵士が食事を運んでくるまで、リタとは話をした。頭の中で会話の内容をまとめてみる。
まずこの世界には魔法があって広く世間に普及しているということ。そして俺はその魔法によってこの世界に召喚されたということ。この国の王は珍しい奴隷を集めるのが趣味で、他にも大勢の奴隷がいるということ。そしてその奴隷たちの大半は、リタのような亜人種であるということ。
気が重くなる話だ。この世界には多くの亜人種がいるが、そのほとんどは人間からの差別と迫害を受けているらしい。そして異世界人である俺も、いわば珍獣のような扱いでただの見世物にすぎない、とのことだった。
つまり俺は、王の道楽のためだけに名前も故郷も、未来すら失ってしまったのだ。薄々気づいてはいた事実だが、さすがに心が折れそうだった。だが、落胆する俺を気遣うようにリタは言った。
「さっきも言ったが、私たちは同じ苦しみを分かち合う仲間だ。この部屋の中にも君以外に三人の亜人がいる。そのうち顔を合わせることになるだろう」
つまり俺と彼女たちはルームメイトとでもいうべき関係にあるわけだ。実際リタがいなければ、昨日のうちに俺は自暴自棄になっていてもおかしくはなかった。
さて、起きたはいいが特にすることもない。とりあえず牢の灯りを付けてみることにした。リタが言うには回路に触れるだけでいいとのことだ。ちょうどベッドの横にそれらしい紋様が描かれている。右手でそっと触れてみると、ブゥンという小さな音とともに灯りがついた。
「お、起きたか」
隣の牢から声がした。姿は見えないが若い女の声だ。なんとなくだがリタよりもやんちゃで活発な印象を受ける。
「寝心地はどうだった?」
「まあ、床じゃないだけましって感じかな」
「その割にはぐっすりだったけどな。あたしが戻ってきても全然起きないし」
「ごめん。ちょっと疲れてたみたいだ」
「まあいいけどさ。リタから少し話を聞いたよ。異世界から来たんだって?」
「来たというか、無理やり連れてこられたって感じだけどね」
「似たようなもんだろ。なあ、あたしにも異世界の話聞かせてくれよ」
「それはいいけど、その、君の名前は……」
「あ、まだ言ってないっけ? あたしはフェルアライン・ダスターローズ、星の信徒で狼の血族だ。人間風に言うと人狼だな。皆にはフェルって呼ばれてる」
吸血鬼の次は人狼か。リタは温和で丁寧な雰囲気だったが、この子は若干陽キャの匂いがするし、二重の意味で少しビビってしまう。
「なあ、それで異世界ってどんなところなんだ? 吸血鬼がいるなら、あたしたちみたいなのもいるのか?」
「あー、人狼……みたいな感じの人は、いないんじゃないかな。多分」
「じゃあ人熊は? あ、人狐とかもいないのか?」
「少なくとも俺は聞いたことないかな」
「うーん、ちょっと残念だな。ここには結構いるんだけどね、そういう獣人種ってやつ。といっても狼はあたししかいないけど。体力的に人間を働かせるより効率がいいからさ、皆こき使われてるんだ」
「そうなのか……」
「あたしもだけど、この部屋にいるのは王のコレクションの中でも特に珍しい奴隷たちなんだ。吸血鬼なんて絶滅寸前だし、ましてや異世界人なんて聞いたこともない。王の凝り性もここまでくると、少し感動しちゃうね」
吸血鬼が絶滅寸前。これは初めて聞く情報だ。どうやらリタはあえて言わなかったらしい。吸血鬼の印象を聞いた時のリタはどう思っただろうか。やはり胸中にはなにかしら複雑な思いがあるのだろう。
「……あ。その、あくまで今のは例えと言うか、皮肉というか、別に本心から思ってるわけじゃ——」
「ああ、いや、大丈夫。気にしてないよ」
「そ、そう? ならいいんだけど」
不意に訪れた沈黙が少し気まずい。とりあえず何でもいいから話題を振るか。
「ところで君たちってここへ来てどのくらいなんだ?」
「うーん、ここじゃ星も見えないし正確にはわからないけど、大体一年くらいかな。リタとラヴはあたしが来た時にはもういたよ」
「ラヴ?」
「あたしの向かいにいる奴だよ。無口でちょっと変わってるけど、まあ仲良くしてやってよ。といっても今はいないけど。ここのことはあいつが一番詳しいよ。多分リタよりも先に来たんじゃないかな」
「そうだ、リタに聞きそびれたんだけど、そもそもここってどういう場所なんだ?」
「ん? なんでそんなこと……って、そうか。あんたは外から連れてこられたわけじゃないから知らないのか」
「王様がいるってことは、やっぱり大きな街なのか?」
「そうだね、人間が驚くほどたくさんいたよ。よくわからないけど、ショーギョートシってやつらしい。あんまり住み心地は良くなさそうだね。行儀よくしてれば、そのうちあんたも外を見るくらいはできるかもよ」
「そういえば結構人の出入りが激しいみたいだけど、どこで何してるんだ?」
「色々さ。王は気まぐれだからな。人間や魔物と決闘をさせられたり……もっとひどいことをされる時もある」
その声にはどこか暗い影が感じられた。まずい、地雷を踏んだか。考えてみれば亜人とはいえフェルも若い女だ。奴隷になった以上、どんなことをされていてもおかしくはない。うかつだった。
隣から大きなあくびが聞こえた。
「悪いけどあたしも疲れてるんだ。ひと眠りさせてもらうよ」
「そうか……。おやすみ」
「ん」
確証はないがこれはフェルなりの気遣いなのかもしれない。一見粗暴なようだが根はいい奴みたいだ。
再び訪れた静寂の中で考える。ということは今ここにいないリタも、そのラヴという子も、どんな目にあっているかわからない。リタは俺を同じ苦しみを分かち合う仲間だと言ってくれた。でも男である俺が、彼女たちの苦しみを理解し寄り添うなんてこと、本当にできるんだろうか。
どんなに考えても、結局答えは出なかった。
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