二.出会い
男の「躾け」は、まさにその言葉通りだった。
予想される質問に対して、俺が素早く明快に答える。少しでも不備があれば、いや、時には完璧にこなしたつもりでも、平手打ちや蹴りが飛んできた。やはりここでは自分は奴隷なのだと、再び痛感させられた。正確にはわからないが「躾け」は数時間に及んだ。
そしてやっとそれから解放されたと思えば、今度は後ろ手に拘束された状態で、暗い地下牢のような場所を歩かされている。ところどころにある灯りは不思議な光を放っている。少なくとも電灯の類ではなさそうだ。
いくつかの牢の中からは、何かが蠢く気配が感じられた。どうやらかなりの数の奴隷がここには捕らわれているらしい。しかし歩きながらではその姿を直接確かめることはできなかった。
やがて通路の奥、頑丈そうな鉄の二重扉を抜けた先の空間に連れてこられた。そこは四つの小部屋に分かれており、それぞれに奴隷が入れられているようだった。そして一番手前の牢の扉が開け放たれている。
「入れ」
俺を連れてきた若い兵士は短く言った。どうせこの状況では逆らいようがない。俺が牢に入ると扉が閉められ鍵がかけられた。その代わりに兵士は牢の隙間から俺の手枷を外してくれた。
「お前、本当に異世界から来たのか?」
兵士は不審げに俺に尋ねた。どうやらこれは、この世界の住人の共通の感想らしい。実際俺と兵士とで身体的に大きく異なる部分はない。
「一応そういうことになってる」
苦笑する俺を見た兵士は何か言いたげだったが、結局無言のまま去っていった。
さて、どうしたものだろうか。とりあえずは牢の中を見回してみる。家具と言える物は簡素なベッドだけ。後は小さな照明と、部屋の隅に大きめの水がめのような物が置いてある。それだけだった。
これからここで暮らしていくのかと思うと、どうにも気が滅入ってしまう。だが歴史の授業で習った、商品として船に詰め込まれる奴隷たちに比べれば、これでもましな方かもしれない。そうやって自分を励ますほかなかった。
「君、男かい?」
不意にどこからか女の声がした。さっきは気づかなかったが、向かいの牢に誰かいたらしい。だが明かりがついていないため、姿がよく見えない。
「えっと、そうだけど」
「そうか、それは珍しい」
「え?」
「王は女好きだからね。ここにいるのはほとんど女だよ」
「そうなん、ですか」
「ああ、気を使わなくてもいい。私たちは同じ捕らわれの身だ。同じ苦しみを分かち合う仲間だよ。どうか気楽に接してほしい」
女の声にはどこか余裕すら感じさせるような響きがあった。住めば都というが、俺もいつかはこんな風になるのだろうか。
「わかった。そうする」
「うん、いい返事だ。それで君、名前は?」
「……実はわからないんだ。記憶を消されてるみたいで」
「おお、それは難儀だね」
「えっと、君は?」
「私はリタ・ブランドール。吸血鬼だよ」
「……え?」
予期しない言葉に思わず反応が遅れてしまう。確かにここは異世界らしいが、まさかそんなのまでいるとは。どうやら考えていたよりも、とんでもない場所に連れてこられてしまったらしい。
「ああ、そうか。君は異世界から来たんだっけ。いいかい、吸血鬼というのはだね、人間の血を吸うことによって尋常ならざる力を発揮する——」
「ああ、えっと、それはなんとなくわかってるから、大丈夫」
「おや、そうか。ということは、君の世界にも吸血鬼はいるんだね」
「まあ、そう言えなくもない……かなぁ」
「なら一つ聞きたいことがあるのだけれど、いいかい?」
「なに?」
「君は……吸血鬼に対してどういうイメージを持っているだろうか。主観的で構わないから、教えてほしい」
正直言うと、一番最初に思いついたのは「怖い」だ。だがそれをそのまま伝えるのは失礼なように思えた。それにこうして本物に会ってみると、むしろ親しみやすさすら感じる。色んな吸血鬼キャラを思い浮かべながら、なるべくリタが不快にならないよう言葉を選ぶ。
「そうだな……。冷たくて、気高い……、それでいて力強く、可憐で、美しい……」
「ふふ、私を口説いているのかい?」
「あ、いや、そういうわけでは、その」
「あはは、冗談だよ。気を悪くしないでくれ」
「はあ、もう、やめてくれよ」
「しかし、なるほどね。気高く、美しい……か」
リタは何か思うところがあるのか、しばらく黙ったままだった。やがて暗がりの中からまた声が響いてくる。
「残念ながら、この世界の吸血鬼はそうは言えない状況にある」
「……そうなのか」
「どうにかしたいとは思うが、私自身こんな状態では何もできない……。情けない限りだ」
何か声をかけてあげたかったが、言葉が出てこなかった。リタは自分が吸血鬼であることに誇りを持って生きているんだろう。自分の名前すらわからない今の俺では、励ましようがない。
「すまない、暗くなってしまったね」
「ああ、いや、気にしないでくれ」
「そうだな。君は逆に何か聞きたいことはないかい? この世界には来たばかりだろうし、私が答えられることならなんでも教えるよ」
それはありがたい申し出だった。ここに来てからは抗う術もなく流されるだけで、この世界のことは結局少しもわからない状態が続いていた。しかしいざとなると何から聞いていいか、なかなか決められない。その時ふと自分の頭上の照明について思い出した。
「この灯り、電気じゃないみたいだけど、どうやってついてるんだ?」
「デンキ、というのはよくわからないけど、これは魔力灯だよ」
「魔力灯?」
「その名の通り魔力で光る照明さ。……ひょっとして君の世界には魔法が無いのかい?」
「無い、ということになるかな」
まあ吸血鬼がいる時点で、魔法が存在していてもおかしくはない。おそらくはあの老人が俺の記憶をいじったりしているのも魔法の一種だろう。正直いまだに悪い夢でも見てるような気分だ。でも現実から目を逸らしても何も始まらない。
「驚いたな。すると、失礼なようだがこの世界は君の世界より遥かに文明が進んでいることになる」
「ああでも、電気っていう雷のエネルギーみたいなものがあって、それで色んな機械を動かしたりしてたよ」
「へえ、雷のエネルギーね。なかなか興味深い」
「それで、魔法って具体的にどんなことができるんだ?」
「とにかく色んなことだよ。料理や洗濯といった日常生活にも使われるし、戦争では大規模な魔法兵器も使われてる。照明だけじゃなく、そこのトイレだって魔力式だよ」
「え? そこのって、この水がめ、トイレだったの!?」
「おやおや、そこからか……。これはなかなか大変そうだね」
この世界で生きていくため、まだまだ知らなければいけないことは多そうだ。
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