『おやすみ、アステリズム』
まるで対のような二人だと思った。
軍直下にあるこの街の店に、そこの軍人さんが顔を出すのは珍しいことではない。むしろ見ない日もない、と言った方がいいかもしれない。
だが、その中でも、うちのような少しばかり値の張る服飾店に顔を出すのは、どちらかと言えば中年以降くらいのおじさま方で(たぶん役職付きの人なのだろうな)、この二人のように若い子が来ることは珍しいと言えるだろう。
赤毛と、白髪にも見紛う銀髪…… だろうか。これだけ綺麗な銀髪を見ることも珍しく、私の視線は一直線に釘付けになった。
もちろん、軍装ではない。社交マナーを知っている人なら、このくらいの店でも服装を整えてくるだろう。どうやらこの二人もそこを分かっているようで、ラフながらジャケットとスラックスの出で立ちだ。
私が彼らを軍人だと察したのは、ジャケットが覆っている体つきだった。彼ら軍人は、普通に体格が良い、という言葉に括り切れない、少し独特な『歪さ』があるように見えた。
赤毛くんの方がこちらへ軽く挨拶をする。私も挨拶を返しながら、お仕事お仕事と彼らの方へと向かった。そうして、そこで初めて気づく。
「またしっかりしたところに入ったな」
銀髪くんの後ろにもう一人いたのだ。
ひょい、と赤毛くんの方へ顔を出したのは、これまた若い…… といよりも、幼い容貌をした少年だった。三人の中では一番緩い服装をしているかもしれないが、薄手のジャケットを羽織っている。
彼も私に気付き、「こんにちは」と笑顔で挨拶をくれた。
今日のお客さんは良い人そうだ。
「一つくらい持っていていいものだ。この間、オフィスへ行くのに困ったんだろ」
赤毛くんが少年へ笑いながら返した。ちらりと見えた八重歯が鋭い。ぎざっ歯なのか。
口を閉じているときと、開いているときでは随分と印象が違うので、面白い人だなと私は感じた。
「オフィス……?
…… ああ、ドールのときの…… いやそりゃ確かに、ちょっと悩みはしたが。と言って、こんなしっかりした店の服を着て行けるようなところでもなかったぞ」
「ブランドがブランドたる所以は、高品質であるからだ。多少の動作など心配ないぞ」
「ありがとうございます。
お手伝いさせていただきますよ」
二人の会話を遮らぬよう、ちょうどいいタイミングでアテンドを始める。
ありがとう、と赤毛くんは慣れているように返して、「彼のセットアップを探している」と少年を指して話を進めた。
示された少年は、少しぎょっとしたように赤毛くんを見ていた。そうして、「…… 慣れない」と小さく呟く。
一体彼が何に慣れないのかと思ったが、もしかしたら、こういう店に入るのが慣れないのかもしれない。どうやら、この赤毛くんが一番この場に慣れているようだし。
先ほどから黙している銀髪くんは、しかし、ずっと少年の方を配慮しているように見えた。赤毛くんと少年の間を遮らないようにしながら、少年をフォローできる立ち位置へ回っているようなのだ。
たとえば、彼らは家族なのかもしれない。
この国には、血の繋がらない家族が多くいる。彼らがお互いにお互いを家族だと言えば、それは家族なのだ。
軍人のお兄ちゃん二人と、その弟くん、といったところだろうか。
「彼は、あまりサイズに合った服を持っていなくてね。
場所を選ばない方がいいだろう、気軽に着れるようなものでいい」
「承知しました。お好きな色味がございましたらご用意しますよ」
好きな色は?と赤毛くんが振り返って尋ねると、少年は油断していたのか、「え」と戸惑ったようだ。
「いや、すまない、とくにこだわりがない」
「はっきりしろ」
「ぇぇぇ…」
赤毛の青年の少年への言葉が雑というか、ぞんざいだ。よく言えば気軽なのだが、気軽よりも(やはり)雑さへ加減が寄っている。
私に対しての物腰と、少年に対しての態度の温度差に風邪引きそうだ。
少年がディスプレイされている商品の色を確認し始めた。こだわりが無ければこだわりが無いで良かったのだが。
お兄ちゃん二人とは異なって、少年は南の方の人に見える。肌が浅黒く、毛色は黒だ。暗い色を合わせると少し重たくなりすぎるかもしれない。
私のそんな観察を察したのか、赤毛くんがこちらを振り向いた。
「はっきりしない奴ですまないな。
何か合う色があれば助言してくれないか」
よしきた。私は、脳内のパレットを開き、だいたいのアタリを付けて少年へ投じてみる。
「馴染む色がよろしければ、グレーやアイアンブルーなどはいかがですか。暖色の方でしたらブラウンなど。
重くなるのがお嫌でしたら、明るめの色合いにいたしましょう。
個性的なところでしたらイエロー、オレンジのあたりでしょうか。
アイスグリーンなども珍しい色ですが、爽やかな印象になりますよ。
こだわりがなければ、いくつかご用意いたします。お召しになられて見て頂けるといいでしょう」
こちらへ、と店の奥へと三人を案内した。
私はそっと少年に確認した。
「差し支えなければ、サイズを測らせてもらってもいいでしょうか」
「あ、ああ…… 上から、……」
と、私は計測するつもりで聞いたのだが、聞き間違ったか、少年はすらすらと自分のスリーサイズを教えてくれた。
自分のサイズを把握していたことにもそうだが、その数値に、内心驚いていた。他の二人が傍にいるからだろう、見た目の印象よりも、彼はしっかりとした体格をしていたのだ。礼を伝えると、少年は「よろしく」と笑い返してくれた。
フィッティングルームを案内し、先ほど案内していた色のジャケットを用意していると、後ろから彼らの話し声が聞こえてきた。
「いつも、なんのいろきてるの」
「それを俺が意識しているとお思いか」
「軍装など意識せずとも同系色だからな、幸か不幸か、自身のセンスを問われることが無かったか」
「見事な推理ですこと。ド正解だ」
「きょうきてるのは」
「ずっと前に貰ったものだ」
「お前そういうの多いな。誰のお下がりなんだ」
「実は配給品にあったやつなんだが、詳細を知りたいか?」
うわ……、と、どこかのんびりと悲鳴を上げたのは、ここで初めて聞く声音だから、あの銀髪くんなのだろう。「冗談だよ」と可笑し気に少年が笑う。
軍の配給品については仔細を知るわけではないが、いわくつきの品もあると噂話に聞く。
先ほどのサイズと彼らの会話から、おやもしかしてと私は思ったが、それが核心に変わったのは、試着品を少年に渡すときだった。
差し出された少年の手を凝視してしまった。普段はこんなことをしないのだが、このときばかりは見つめてしまったのだ。
私の視線に気づき、少年は「ああ……」と頷いた。
「見た目がアレだけど、汚れているわけじゃないんだ。手袋が必要ならするけども」
「いえ、…… 大変失礼しました」
私は商品を渡しながら、彼の手をそっと支えた。
その仕草に、少年は少し驚いたように私を見上げた。
「お勤めされていたのですね、…… お疲れさまです」
単なる重労働でできる跡ではない。これまでのことと、ジャケットの下、少し広い襟ぐりから覗いていた肩の傷と。
彼もまた、軍属の人だった。ああやはり、彼らは家族なのだ。
私の言葉に、驚いていた少年も、ふと笑ってくれた。
「ありがとう」
***
本当に彼にはこだわりが無かったようで、私が差し出すものすべてに袖を通した。
かといって別にいい加減だったわけでもなく、最終的に選んだのは「一番動きやすかった、かも」と、彼なりの判断基準を持っていたらしい基準で選んだ、アイスグリーンのジャケットだった。
珍しい色ではあるが、白にも黒にも合うし、多少中に派手な色を持ってきても耐えうるはずだ。
あまりに彼が色に頓着しないので、ちょっとドキドキしてしまった。
「おどろかれそうな、よかん」
「え、そんな感じか」
「着る場所を選んでいた割には、汚れたら目立ちそうな色を選んだな」
「え、着る場所は選ぶぞ」
噛み合ってるのか噛み合ってないのか、しかしながらのんびりとした空気で会話をする三人が、とても微笑ましく見える。
たしか、スラックスも選ぶと言っていたのを覚えており、私はアイスグリーンのジャケットに合いそうなものを二、三本用意するためにその場を離れた。
バックヤードから戻ってきて驚いた。
「…… だいじょうぶ、なにもたおしてない…… うん、それはまた、あとでな…… もうねむいでしょ…… うん
───── おやすみ」
銀髪くんの影になっていてよく見えなかったのだが、投げ出されている足は少年のものだ。
私は咄嗟に声を掛けようとしたのだが、ふ、と近くで空気が動いた。振り返れば、カウンターで赤毛くんがひらひらと手を振っている。
「騒がせてすまないな。心配はいらない、想定内だ。
持ってきてもらっているところ悪いが、今日はさっきのジャケットだけ貰っていくよ。
支払いを」
まるでこちらの疑義を挟む余地を与えないような、淀みの無い話し方をする。
お客がそう言っているのだ、彼らの関係者ですらない私が、何かを言うことは無い。先ほど支えた彼の小さな手の暖かさを思い出して、握り込む。
取り置いていたアイスグリーンのジャケットを処理しながら、私は銀髪くんが軽々と抱えてしまった少年を一瞥した。
苦しそうなわけでも、顔色が悪いわけでもない。さっき、銀髪くんが声を掛けていたように、ただ眠っているように見えた。
どんな事情があるのか知れないが、ひとまずは安心して、私は支払いとラッピングの処理を続けた。
ジャケットを畳む手元の端に、赤毛くんの長い指がペンを走らせるのが見える。
「ほぼ一週間か。そろそろかと、誘い出して良かったな」
「…… さんじかん、くらいか」
「そうだな。ここから一番近いのは二番街か。車を呼んだ方がいいな」
「お呼びしましょうか」
病院だろうか、と思う。しかし、そちらには開業医もいないと思っていたのだが……
ふと顔を上げて案内すると、赤毛くんは「大丈夫、不要だ」と笑った。失礼しました、と再びラッピングに掛かる。赤毛くんの手が止まり、私の方へ差し出した。
「あ、おまえ」
「ふふ…… 払っちゃった」
少し咎めるような銀髪くんと、先ほどまでの人当たりの良さそうな笑顔とは一転、ニヤニヤと、意地が悪そうな笑みを浮かべる赤毛くんと、私は差し出されたそれを手に取りながら二人を交互に見てしまった。
「こいつが目を覚ましたときが楽しみだなあ」
「ほんとに、それ、いやがられるからな」
「貸しだ貸しだ、支払い先が変わっただけだろ」
「うけとらないつもりだろ」
「そこまで意地の悪いことはしない」
「こちら、よろしいでしょうか……?」
二人のやり取りから、どうやら、少年は貸しを作るのを嫌うようだということしか分からなかったのだが。
念のため支払いの確認をすると、赤毛くんは「もちろん」といい笑顔で頷く。果たして、この金額を少年が分割をしたとしても、苦にならないだろうかとも思っていたので、個人的には安心しているところだ。軍人さんのお給金事情はよく分からない。
私が支払い処理をしている間に、赤毛くんは手際よく車を手配してしまったらしい。
通話を終えた彼に、「よろしければ」と声を掛けた。
「お車が到着されるまで、奥のフィッティングルームをご利用ください。
そちらはソファもございますから、弟さんを寝かせて差し上げて───」
言葉を途中で切ってしまったのは、二人があまりにきょとんと私を見るからだ。ほとんど同じリアクションをされると、似ていない双子のようにも見えた。
私は何か変なことを言ってしまっただろうか、と思い始めたところで、赤毛くんが、ふ、と噴き出すように俯いて、笑った。
「あの」
「ああ、すまない、ああー…… いや、いいか」
彼はなんとか笑いを堪えたらしい、何か私に説明しようとしていたのだが、思い直し、ひらひら、と手を振った。
「失礼、ありがとう、非常に助かる。
10分程度だと思うのだが、お言葉に甘えて、使わせてもらおう」
そう言って、銀髪くんの背中をぽん、と軽く叩いた。
私は彼らのフィッティングルームの前で待機した。問題は無いと言っていたが、人が一人倒れている。
これから不測の事態が起きないとは言い切れない。
幸い彼ら以外に客の姿はない。今日は出足が遅いようだ。
それに、ここからなら店の入り口も見えるので、人が入ってきても車が到着しても、すぐに気づくことができる。
ささやかにクラシックのバックミュージックを掛けている店内。部屋の扉を閉め切っているわけでもないため、中の二人のお喋りが軽やかに聞こえてきた。
「…… やっぱり、たいちょ、おどろいていたよ」
「そりゃそうだろうな。そのときのことをこいつが覚えているわけがない。
こいつにしてみたら不測もいいところだ」
「まるふつか、ねていたのはなんとなく、おぼえてるみたいだけど」
「再現の速度も上がって来たな」
「いっかいにねおちるじかんは、ながくなってる」
「今はな。以前の傾向からだと、ウロの拡張が追い付けば、症状が治まる可能性もある」
「おいつかなかったら?」
「さあな」
「……」
「その可能性を考えるくらいなら、箱庭に近づけさせない方法を考えた方が現実的だな」
「おれだって、そうおもうけど、さ」
………… 一体、何の話をしているのだろう。
少年のことを話しているように聞こえるのに、節々で文脈の通らない単語が出てきてしまう。隠語と呼ばれるものだろうか。それにしては、あまりにも、それらが意味を持ちすぎているような……
私がその意味を考え始めたところで、ふと店の前に車が止まった。早足で店先に向かい、車が確かに赤毛くんによって呼ばれたものであると確認した。
良かった良かったと思いながら、彼らを呼びに向かった、その先で────
「…… なんとか、もたせられないかなあ…… これ、ほしいんだけどなあ……」
──── 見たのは。
ソファに横たえられた少年と、それを見る二つの眼差しで、それは。
まるで、同じ存在を見る眼差しではない。猫を、あるいは花を、あるいは、夜空に浮かぶ星を、眺めるような。
「車、着いたのか」
静かに、こちらを見ていた赤毛くんの声に、私はハッと我に返った。「はい、表に」
私が頷くと、赤毛くんは礼を言って立ち上がる。銀髪くんは寝ている少年をそっと抱え上げると、おそらく彼の足がディスプレイに触れないかを気にしているのだろう、慎重に周りを確認しながら進むのだ。
店先まで見送ると、銀髪くんを先に車の中へ入れた赤毛くんが、私を振り返り、軽く会釈をしてから助手席へと乗り込んだ。
どこまでも紳士的な対応だ。まだ若そうに見えるのに、彼は、普段来る役職持ちの人たちよりも、ずっとこういう対応に慣れているように見えた。
それだけに、支払のときに銀髪くんに向かって笑ったあの表情は、意外だったというか、もしかしたらあれが素だったのかもしれないと思うと、奇妙な魅力を感じてしまう。
それから、最後のフィッティングルームでの二人の表情。
……… あれは、なんだったのだろう。
遠ざかる車を見送りながら、不意に、私は銀髪くんの声を思い出した。
『─── おやすみ』
あまりに穏やかな口調だった。いっそ、それを願っているのではないかと思わせる空気を持っていた。
このまま目を覚まさずにいれば、どれほど……
…… いや、と私は考えを振り払うように軽く頭を振った。
少なくとも、その後の彼らの会話を思い出せば、願っているのは彼ではない。
彼では、ない。
自分で自分の発想に首を傾げた。だが、不思議とその考えは、しっくりとくる。
誰かが、あの少年の眠りを願っている。
(……… しかし、誰が? ………)
耳元で小さく囁かれたような気がした。
ふわりと車が走り去っていった方向から風が吹いて──
そうして、
何か、
世界の何かが、変わってしまったかのように見えた。
通りの景色? 屋根の色? 空の青?
決して怖くもなく、不快でもなく、どちらかと言えば、それは高揚させるような不思議な気持ちだ。
そして私は、その中で、どうかもう一度、彼らが店の扉をくぐってくれたらいいと、思ったのだ。
(『おやすみ、アステリズム』 了)
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