驟雨を彷徨う
談話室の人をダメにするソファに隊長がよく落ちている。
僕が頬を突いても起きる気配がない。だいぶ深く眠っているようだ。
隊長は眠りの浅い人間である。
夜間の作戦中は交代で仮眠を取る。仮眠とはいえ状況的に深く眠れないだけで、起き抜けは誰だってまごつくものだ。
だが、隊長にあってはいつも通常通りに目を醒ます。声を掛ける前に目を開くことも多い。眠っていたのではなく、ただ目を閉じて動かなかっただけと言われる方が自然なくらいだった。
小さな物音でも確認が来るので、ちゃんと休めていますかと尋ねるが彼は笑って頷くだけだった。
そういう状態だったので、まさか談話室で寝こけている姿を見る日が来るなんて思わなかったのだ。
「隊長」
初めて談話室のクッションに埋もれているのを見つけたときは何か起きているのかと驚いたものだ。
声を掛けても肩を揺さぶっても一向に起きる気配がない。そもそもこんなところで寝ているなど考えられなかった。
その頃、隊長がいろんなことに巻き込まれた上、『星』という正体不明の兵器を取り込んだという話も本人から聞いていた。余計に目を覚まさない状況に不安が募る。
副隊長を呼ぼうと携帯端末を取り出したところで談話室に入ってきた班長に助けを求めた。
班長は「問題ないからそのまま寝かせておいて」とさらりと返すと、すやすやと眠る隊長の顔を見て軽く笑うだけだった。
相変わらず戦場では寝ているのかと疑わしい仮眠であったが、逆にホームでは起こすのが難しいくらい深く眠っていて、もしかしたらこれでやっとバランスが取れてるのかもしれない。
そう思って自分を納得させていた。
「隊長」
そうしてもう一つ、この隊長には困ったことがある。これは元々ある癖のようなものなのだろうけれど。
戦場で驟雨が来ると『スイッチ』が入ることがある。作戦中ではない。作戦後に、だ。
作戦後に驟雨に遭うと隊長は姿を消してしまう。
それに気づく人間はほとんどいなくて、けれど誰に探される前にちゃんと出発時間には戻ってくる。ずぶ濡れの状態で。
車内が濡れると言われながら副隊長に何重にもミノムシのようにタオルで巻かれているのを見たことがあった。
「何かあったんですか」と僕は隊長に尋ねたことがある。
「探しものをしていた」と隊長は苦笑いで答えた。雨の中に忘れてきたものがあるのだという。
だがきっと、彼が忘れてきた雨の中をもう探すことはできないのだ。それでも隊長は作戦後の驟雨の中、誰にも悟られずに探しに出てしまう。
困ったのは、その『スイッチ』がホームにいるときにも入ることだ。
以前、酷い驟雨が来ている中、エントランスから外へ出ようとする隊長を見つけた。手ぶらで、ちょっと畑の様子を見てくるみたいな様子だったので声を掛けた。
やはり外へ出るらしく、僕は雨が降っていることを伝え傘は持っていないのかと確認した。雨が降っていることを認識していたが、傘は持っていないという。
認識がちぐはぐだ。
僕は手にしていた傘を隊長に渡した。
なぜ僕が傘を持っていたか。驟雨が来たからである。隊長が外に『探しもの』に行くのではないかと思いエントランスを見張っていたのだ。
僕の傘なので、後でちゃんと返してくださいねと伝えると、隊長は了解したと頷いた。人の持ち物を受け取らない人間だが、こうして所有者が相手にあることをきちんと伝えると持っていてくれる。
このときもしっかりと傘は戻ってきたが、ありがとうと笑顔でずぶ濡れになっている彼を見るに傘は開かれなかったのだろう。そうかそうきたか、と僕はリベンジを誓った。
「…… 隊長」
目の前で談話室のソファに埋もれて眠っている小さな彼は、耳にイヤホンを挿していた。
手に持っている携帯端末のディスプレイが灯っているので、どうやら音楽を聞きながら眠っているようだ。深く眠っているようで、やはり肩を叩いても揺すっても目を覚ます様子はない。
談話室の窓には驟雨が音を立てて叩きつけている。良かった、この音も彼には届かないだろう。
アルパカがイヤホンを持ってきてくれたのは先日のことだった。
驟雨のことは彼らバディも関知するところになったのだろう。いくら『星』によって多少の傷や病症が簡単に完治するとはいえ、不用意に風邪を引かせたくはない。
それになにより、この人を一人で驟雨の中に行かせてはならない気がするのだ。
音で『スイッチ』が入るなら、音を聞かせなければ良いと二人は考えたのだろうか。
イヤホンを受け取った隊長は嬉しそうに笑っていた。
「……」
何の音楽を聞いているのだろう。喧しい雨音の中、こんなに静かに彼を眠らせてくれる音楽とはなんだろう。
僕は好奇心に駆られて眠っている彼の耳からイヤホンを取った。そっと自分の耳に当てる。
─── 驟雨だ。
世界中の音をかき消すような雨音が、イヤホンから溢れていた。
彼は眠りの中で探しものをしているのか。
土砂降りを彷徨い、彼を引き戻す手もないまま。
僕は無理やり隊長を起こした。
見つけるまで眠りの淵から戻ってこないのではないかと怖かったのだ。
(驟雨を彷徨う 了)
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