扉の内側

「鍵変えましたよ」


 自室に帰ってきた隊長へ、そう伝えながら僕は新しい鍵を二つ手渡した。

 小柄な彼は、身長がそんなに高い方じゃない僕でもやはり幾分か視線が下がる。その高さからキョトンと僕を見上げて感心したような声で言うのだ。


「本当に定期的に変えていくんだなあ」




 彼の部屋の鍵を変えさせてくださいと切り出したのは三ヶ月前くらいだったか。彼も彼でよく承諾してくれたものだなと思ったのだが、承諾されずとも最初の鍵からは交換しよう押し切る覚悟でいた。

 というのも、本隊の傭兵側の宿舎は最低限の機能しか持たず、鍵もとりあえず付けてみました程度のものでしかない。慣れていればピンで簡単に開けられてしまう。

 重要な資料なんかは別の倉庫を借りて置いているくらいだ。基本的に信用がない。

 今回で二度目の鍵交換だ。つまりほぼ一ヶ月に一回で鍵を交換している。これが望ましいペースだと僕は思っているが、作戦が挟まればこの通り続くとは限らない。例えば僕が戦死することも当然ある。

 時間があるときにいくつか先の分までストックを作っておく必要はあるだろう。


 隊長に二つ渡した鍵の一つは副隊長の分だ。彼らは互いに部屋の鍵を持ち合っている。有事の際にお互いの部屋に入れるようにだ。

 うっかり隊長が鍵を無くしてもこれで暫定対応はできるだろう。うっかりされた場合は即座に鍵を交換するつもりだけれど。


「時間はあるのか。コーヒーを買ったばかりなんだ。飲んでいけよ」


 隊長はにこにこと笑って新しく取り付けた鍵を差し込み解錠した。「前より滑らかだ」と細かなところに気づく彼だ。

 僕の製作技術はここ三ヶ月で格段に上がっている。本業を考えてしまうところだった。隊長にはさすがに僕が作ったものだとは言ってはいないのだが、告げてみたらどんな顔をするだろう。つまり型が僕の手元にあるわけである。

 いや、それを言ったら僕が彼に鍵を渡した時点で、僕が型を持っていて合鍵を作れることくらいは認識しているはずだ。たぶん。

 いくらなんでも部下のお願いにプライベートギリギリのラインを任せてしまうなんて…… 否定しきれないところがあるから、今僕は鍵を交換しているのだ。なんて矛盾。

 

「最近、部屋で変なことは起こってないですか」


 僕へ簡易テーブルへ座るよう指示した後、コーヒーの準備をする小さな背中へ声を掛けた。


「無いよ。お前が鍵を取り替えてくれてから無くなったな」


 などと軽々と言ってくるのだが、つまり三ヶ月前まではたちの悪い嫌がらせを受けていたというのだ。そりゃちょっとコツを掴めば簡単に入れてしまうのだから、に対して鬱憤を晴らすにはちょうどよい。

 良い香りの湯気を上らせるカップを手に振り返る隊長へ、僕は頷いた。


「良かったです」

「うん。ありがとう」


 どうぞ、と僕にコーヒーを差し出す。俯きがちな僕にも、彼はみんなへ向けるものと変わらない笑顔をくれる。ことさらに僕を気遣うこともなくて、同じテンションで接してくれるのだ。

 僕の特殊技術を買ってくれる傭兵隊ところは多かったけれど、僕自身がこんな感じだからこれまでの隊内での扱いは推して図れるというものだ。

 だが、『ナックブンター』はかなり毛色の違う部隊だった。なんというか、個々人が各々にかなりフリーダムなのだ。仲が悪いわけじゃない。イベント事は多い方だしその度に集まる数も多い。だが、プライベートに関してはおよそ関知してこない。話さないわけではない。過度に聞いてこない、と言ったほうがいいだろうか。

 そのあたりの空気を、おそらくはこの目の前の小柄な人が作り上げているのだ。

 僕はがとても居心地が良かった。


 だから最初に鍵を変えますと僕から申し出ておいて少し不安でもあったのだ。

 僕のは、隊長への過剰な関与ではないか。僕が居心地が良いと思っているものを、僕が壊してしまうのではないか。


『ああ、うん。構わないが』


 そんな僕の矛盾する動機と不安などあっさりと飛び越え、キョトンとした顔で彼は頷いた。

 僕はまったく別の不安を抱くところだ。



 僕は特に喋るのが上手いわけでも何か話題があるわけでもないので、差し出されたコーヒーを黙ってずっと飲んでしまったのだけど、その時間の中で隊長が何か喋るわけでもない。

 彼はどちらかと言うと聞き手側なのだとこの三ヶ月で知った。良い聞き手は沈黙も上手く聞いてくれるのだなと思ったのだ。

 コーヒーは浅く飲みやすい味だった。「美味しいです」と伝えると、隊長はにこりと笑い返した。

 だからだろう、帰りがけに三袋ほどドリップコーヒーを貰ってしまった。鍵の交換ご苦労、と隊長は言っていたが、それが口実であることがなんとなく分かる。別に彼は鍵を交換しなくても良いのだろうし、なにしろ彼は自分の持っているものを誰かに与えたがる人だ。

 僕は最後まで彼に言うことをしなかった。

 鍵は3つ目がある。





 貰ったドリップコーヒーを簡易テーブルに座りながらカップにお湯を注いだ。

 今日は隊長・副隊長とも出払っていて、隊としても訓練の無い休暇だった。僕は持ち込んだカップとお湯の入ったボトルとドリップコーヒーでホッと一息ついている。

 自室ではない。隊長の部屋だ。

 彼は喫煙者であったが、部屋の中にその匂いは殆ど無かった。部屋では吸わないのだろう。あるいは、それは部屋を行き来する非喫煙者の副隊長への配慮なのかもしれない。

 代わりに(というわけではないだろうけど)、いつも乾いた日向のような匂いがする。よく日差しが入る部屋だからか。窓際に沿うように置かれたベッドを確認してみたら同じ匂いがしたので、隊長自身も柔らかなベッドの香りがするのだろうか。が、さすがに彼自身を確認する勇気は僕にはない。

 隊長のベッドはとても寝心地が良くて、一度うっかりうたた寝をしたことがある。僕の部屋にあるものと同じベッドなのに、不思議なものだなと思った。


 隊長のことなので、僕が訪ねてもいつでも部屋に招いてくれるとは分かっている。だからこんな侵入者まがいのことをする必要はないのだ。

 だが、僕がいると隊長は僕の存在を認識してしまって『隊長』になってしまうのだ。僕はできれば、『隊長』ではない彼が見たかった。どんな仕草でどんな顔をするのだろう。

 僕が別の隊だったらそんな様子を見ることができただろうかと思ったこともあったが、それはそれで『他隊の隊長』として振る舞うのだろうから、あまり差がない。

 だから、僕はこうして彼の部屋で、隊員を認識していない彼の姿を想像するのだった。一度それをやってみたら思った以上にほこほこと胸が満たされてしまったので、隊長と副隊長が出払ったタイミングを見つけては入り浸っているのである

 傭兵隊の部屋の壁は厚いわけではないので、副隊長の予定も確認しないと隊長の部屋に入っていることが露見してしまう。

 迷惑を掛けたいわけではないので、そのあたりは鋭意気をつけたい。

 カメラを仕掛けてはどうだろうかと考えたけれども、なんだかそれは違うなというなんともふんわりとした違和感があってやめた。

 そもそも、カメラを仕掛けられそうな物がこの部屋には無い。持ち物が少ないのだ。『退職者』のバックパックの中に仕掛けるほど、僕も常識が無いわけではないし。


 つまるところ、僕は彼によく分からない理想を押し付けているのだろう。せめて、僕はその理想を僕の中にしまって、小さな彼の重荷にはならないようにしたい。

 僕に居心地の良い場所をくれたのは彼だ。僕もまた、彼が安心して帰ってこれる部屋を守りたい。


 三ヶ月前。

 僕が最初にこの部屋に入ったとき、この部屋には






「ああ…… うん、少し前から」


 当時、その侵入者のことを僕が隊長に確認すると、彼は少し言いにくそうに話してくれた。


「部屋を間違えたのかと思ったんだが、そういうことでもなかったみたいで。

 まあ、『退職者』のものを盗まれたりしてるわけじゃないし、他に大したものを置いているわけじゃないし、話し相手がいればいいみたいだから、俺がいるときならいいぞ、て」


 言ってるんだがいないときにもやっぱり入ってるのかな、と隊長は苦笑気味に笑う。

 笑っている場合ではない。ちょっと感覚を疑ってしまう。『退職者』の荷物に手を付けられればこの人ならすぐ気づくだろうから、確かに盗まれたりはしなかったのだろう。だが、部屋にあるのはそれだけではないのだ。

 彼自身が、この部屋にあって一番重要なものではないのか。

 僕は意を決して隊長へ進言した。


「鍵、変えましょう」



 僕が部屋に入ったとき、その男は無言で僕に殴りかかった。僕と隊長とを間違えたのか知らないが、僕にはそれで十分だ。もし入ってきたのが隊長だったならば(そしてその可能性のほうが格段に高い)、襲われたのは彼である。

 僕は不意打ちを掠めながら間一髪で男の拳を躱すことができた。空いた喉元へ掌底を突き、膝裏を内側から引っ掛けて押し倒す。腰に差し込んでいたナイフを抜き、顎下から喉奥へ刺突。

 扉を閉め手足を拘束し、持ってきたビニル袋を頭に被せる。出血が部屋に溢れないようにして…… その後は知り合いの処理方へ連絡をした。部屋は何事もない静けさが続く。

 後日、傭兵隊の中で何か動きがあるかと思ったのだが、【ICS】に聞いてみても特に何も無いというから、あの男が傭兵隊なのかどうかも怪しいものだ。


『悪い子では無さそうだったけど。よくお菓子を持ってきてくれたから』


 隊長には、男の顛末を話していない。

 あの男のことを話す隊長が柔らかな様子だったからだ。


 僕と彼より背丈のある男に対して「子」と使うことに度量の広さというか、寛容さを見てしまうけど。

 僕が男の持ち物を確認したときに見つけた液体を見る限り、どう考えても悪い「男」だったと思う。いつも持ってきたお菓子というのも、隊長の信用を得るためだったのだろうか。それとも本当に彼のために持ってきたものだったのだろうか。

 この隊長相手に限ってはどちらも有り得そうだから…… 嫌なのだ。

 好意は反転すると言うが、好意は好意のまま、歪むこともある。






 残り少なくなったコーヒーを軽く揺らして飲み干した。

 窓の外を確認すると中天にあった太陽が傾き始めている。僕はティッシュで拭ったカップをティッシュごとビニル袋に入れた。保温ボトルとビニル袋をリュックに納める。

 長居はできない、ので。


 僕だって恐ろしい。

 荷物を背負って振り返る部屋が午後の光に満たされている。窓から差し込む陽光に照らされた床が眩しい。

 あの簡易テーブルで、隊長と男は笑い合って話していたのだろうか。僕も座ったあの椅子。

 部屋にカメラを付けないふんわりとした違和感は、目を凝らしたらどんな姿をしているのだろう。

 次にビニル袋に入るのは僕の頭ではないだろうか。


 部屋に佇む隊長の影が、僕に向かっていつもの笑顔で笑いかける。

 僕はその満ち足りた感情だけを部屋に詰め込んで、鍵を掛けた。

 

 

(扉の内側 了)

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