卵の中の夢

 子どもがいると思った。

 拠点に着くと、炊事場に群がっている屈強な兵士の中に小さな背中が混ざっているのが見えたのだ。殺気にも似た人の密度の中で、見え隠れする薄そうな背中が潰されてしまうのではないかと、俺は内心ヒヤヒヤしていた。

 近くにいれば子どもの腕を掴んでいたところなのだが、残っている職務を放棄することもできない。

 

「隊長? どうしましたか」

 

 じっと炊事場を見つめてしまった俺を、部下が気にしたようだ。

 俺は「あそこに」と炊事場を指して言った。

 

「子どもがいるようなんだ。

 すまないが、フォローしてあげてくれないか。あんな中にいたら取るものも取れないだろう、潰されそうだ」

「いいですよ」

 

 気の優しい部下のひとりは、俺の頼みを気軽に聞き入れてくれ炊事場の人混みの中へと向かって行った。

 ひとまずは気がかりを彼に任せ、こちらは到着の後処理を済ませにかかる。

 すると、思ったよりもすぐに部下は戻ってきた。首を傾げながら。

 労いと状況を確認しようと部下へ声を掛けようとしたところで、先に彼の方から切り出された。

 

「すみません、隊長…… 子どもが見つからなくて」

「あれ」

 

 なんと。俺も彼もぽかんとしてしまった。

 だがまあ、上手く食事を取れたのだろうということにして、俺は彼を労い、それはそれで終わった。

 

 その拠点がある区域は激戦区で、任務が終わる頃には集まっていた部隊の3分の1が削られていた。

 もちろん、俺はあの炊事場で見た子どもはその3分の1の中にいるのだろうと思っていたのだが。

 

 

 次に彼の姿を見たのは、中庭だった。



***



 我々の本拠地ホームとなる軍基地は世界的に見てもかなり施設設備の充実した場所であった。本隊兵士への手厚いフォローはもちろん、(それよりかはずっと水準が低くなるものの)傭兵隊側の基本的な設備が宛行われること自体が資金の潤沢さを示しており……

 傭兵隊側施設にある少し開けた屋外スペースには、猫も多く住み着いていた。


 誰かが世話をしているらしくとても人懐こい。俺でさえ猫の陽だまりに近寄ると、何か声を掛けられながら近寄ってくるほどだ。

 なので、その猫山の中から人の足が伸びているのを見た時は、正直心臓が飛び跳ねた。

 まさか誰かが襲われているのではないかとは思わないものの倒れていることには違いない。慌てて駆け寄ると、モバイル端末を握り締めた子どもが絵に描いた様なスヤァ… とした顔で寝ているようだった。その子どもを埋めるように猫が落ちているのだ。

 猫に襲われているというか、猫が寄り添って寝ているというか、ひとまず物々しい雰囲気では無さそうで安心する。胸の上に箱座りしている猫が微妙に動いているので呼吸はしていることは分かるのだが……

 

『…… いちょ、…… どう…… へんじを……』

 

 ふとどこかから、微かに声が聞こえる。子どもが握り締めた端末を見やると、なんと通話が繋がっていた。

 俺は、一回りほど小さな手から端末を抜き取り通話に出た。

 

「この子の隊の者か」

『だれ』

 

 俺の声に被せるように、鋭い空気が貫いた。

 通話越しだというのにその鋭利な気配に思わず端末を落としそうになってしまう。

 

「『リオ』の隊長だ」

『………』

「おい、聞こえているか」

『きこえてる。なんであんたが、たいちょのつうわにでるの』

 

 どこかふわふわとした喋り方(舌足らずというのだろうか)をする相手だった。そんな口調なのに、スピーカから伝わる気配は殺意に近いほど鋭いのだ。

 しかし今、隊長、と言ったか?

 

「通話が繋がってるようだったが、本人は猫に埋もれて寝てるぞ」

『…… なかにわ?』

「ああ」

『…… もぉぉ……』

 

 俺が頷くと、はああ…… と通話の向こうでため息が聞こえた。何やら苦労をしてそうだ。

 

『ごめん、あんた、えーと…… りおのたいちょーさん』

「おう」

『そのひと、おこせる?』


 ようやく相手の鋭利な気配が霧散し、通話越しの空気はその口調の通りゆるふわと和らぐ。

 しかしなんとはなしに、相手のこの子どもへの呼び方に違和感を覚えた。年下相手というよりは同年か年上に対する言葉のように聞こえる。

 ひとまずは突っ込むほどのことでもなかったので、言われた通りに子どもの体を揺すって声を掛けた。

 だが、子どもはまるで死んでいるかのように無反応だ。ただ眠っているだけにしては静かすぎやしないか。

 思わず心配になり脈を確認したが、こちらは正常である。

 

「生きてはいるが、まったく無反応だぞ。

 大丈夫なのか」

『うん…』

 

 尋ねられた相手も煮え切らない返事だ。熱なども問題無さそうではあるが……

 

「医務室に連れていった方が」

『やめて』

 

 きっぱりと拒まれた。

 その勢いに思わず言葉が詰まると俺の様子を察したようだ。『あの、』と今度は控えめに相手が引き継いだ。

 

『いま、おれがそっちいくから、それまでそのひとのことみててもらえる?』

「ああ、構わないぞ」

『ありがとう。すぐむかう』

 

 特に急ぐ用もなかったし、こんな状態の子どもを放ってどこかに行けるはずもない。

 すると通話の相手は、もう一度、あの鋭い声で念を押すのだ。

 

『おれがむかえにいくまで、ぜったいに、だれにも、そのひとをわたさないで』


***



 それにしても、まったく起きる気配がない。

 通話の後、もう一度軽く揺すってみたのだが、やはり呻き声の1つも上げない。たびたび心配になり口の上に手をかざしてしまう。いびきの一つでもかいてくれた方が安心できる気がしてきた。

 これではサイズも相俟って、通話の相手が心配するようにサッと持って行けそうである。いや、なぜ本隊の中でそんな連れ去り案件の可能性があるのかも分からないのだが。それを心配するなら本人にもっと警戒するように言い含めた方がいいのではないだろうか。

 などと思いつつ、彼の上に乗っかっている猫を手慰みに撫で回しながらその相手を待った。

 やがて迎えに現れた人物に、俺はぎょっとしてしまった。

 ここでは新参の俺でさえも知っている人物だ。

 

「りおのたいちょーさん?」

 

 声を掛けてきた男は、この軍でも、そして敵対する軍でさえ知っている。戦場でその影を見てしまったら生きては帰れない。

 『死神』と捻りもへったくれもない二つ名を持っている人物だ。

 思わず傍らの子どもを見てしまう。この子はなんなんだ。

 

「あの」

「あ、ああ……そうだ」

 

 かたり、と彼が白い頭を傾げて確認するので、俺は慌てて頷いた。

 あんな舌足らずの喋り方で、ぼんやりとした眼差しをしているのに…… 再度、声を掛けたときの気配は、戦場のそれに近かった。

 妙な対応すれば躊躇なく腰に差しているハンドガンで撃ち抜かれそうである。

 

「たいちょのおしごと、いそがしいのに、ありがとう。もうだいじょうぶ」

「そうか」

 

 だが、二つ名と威嚇する空気とは裏腹に素直な反応が返ってくる。

 俺と同じくらいの身長にパーカーとスウェットパンツ、白い癖のある髪はしばらく手入れがされていないのか目深に掛かってしまっている。同じように白い顎にはひげがあったが、こちらはさすがに整えられているようだ。その調子で頭もどうにかすればよいのに、とはお節介が過ぎるというものか。

 というのもパッ見は目元も見えず若干怪しい雰囲気があり、子どもを引き取ると言われてもおいそれと渡してよいものか躊躇しそうなところなのだ。

 だが、よくよく見ると白い前髪の奥にある瞳はきれいな榛色をして柔らかだ。鼻筋も整っていて顔の造形は悪くないどころか雑誌に載って良いくらいではないだろうか。

 そうすると、もしかしたら意図的に髪型や髭で印象を崩しているようにも見えた。


 俺がじっと彼を見つめてしまったからか相手も様子を伺うように俺を見ていた。しかしそれも僅かな間で、すぐに興味を失くしたように寝ている子どもの方へと視線が移る。

 彼が子どもの額や首筋に手を当てているので、熱を測っている…… 体調を確認しているのだろうかと察した。

 

「さっき、確認してみたが、寝ている以外は問題なさそうだったぞ」

 

 俺が声を掛けると彼はふとこちらを振り返り、なんだかきょとんとしていた。

 どういう反応だ…… と思ったが俺が口を開く前に、彼は「そう、ありがとう」と呟くように礼を言い、再び子どもを見下ろしてしまった。

 子どもの胸の上に乗っていた猫の頭を静かにどけ、そっと白い手を当てる。

 

「…… こういうことは多いのか」

 

 保護者が来たのだから俺も早く立ち去ってしまえばいいものを、なんとなく気になってしまい彼に尋ねた。

 彼は、俺の質問を無視したのかと思う程度の間を空けて、ゆっくりと応えた。

 

「まえは、たぶん、なかった」

「なにか病気を発症したのか」

「おれのせいだ」

 

 俺の声に食い気味に彼は返した。それだけハッキリと答えるということは…… なにか、負傷させたとか、そういうことだろうか。

 たとえば、脳に障害をもたらすような傷害で、意識に支障をきたすような。

 

「障害があるなら、軍属から離してしかるべき機関に連れて行った方が」

「むりだ」

「無理?」


 簡潔に即答されてしまい、思わずオウム返しに声を上げてしまった。

 俺を振り返ることもなく彼は続ける。


「せんじょうがあるかぎり、このひとが、せんじょうからはなれることは、ない」

 

 俺はかなり深く眉を顰めただろう。

 彼は、子どもの上に乗っかっている猫に「ちょっと、ごめん」と声を掛けながら除け、寝ている小さな体を抱え上げた。

 

「その子どもは、いったい何なんだ」

「こども?」

 

 彼は少し驚いたような様子で俺を見た。

 そこで驚かれるとは思わなくて俺も戸惑っていると、状況を理解したのは彼の方が先だった。

 

「ああ、…そっか、おなじたいちょーさんだから、しってるかとおもってた、けど」

「同じ、隊長?」

「うん。このひと、なっくぶんたの、たいちょ」

 

 抱えられてもすやっすやのその人物を、『死神』と呼ばれる男は大事そうに抱えて、言うのだった。


***



 『ナックブンター』と言えば、この本隊で名の通った傭兵小隊だ。

 少数ながら特殊なスキルに富み、基本的な戦闘能力も高い手練れが多くいると聞く。何より隊自体の生還率が、ほかの傭兵団に比べ段違いだと言うのだ。

 とにかく『人を活かす生かす』ことができる隊なのだと。我らが副隊長たちからもお墨付きを貰っている他隊だった。

 その実力はこの間俺たちが参加した戦場でもはっきりと分かった。『ナックブンター』は激戦区の最前線にいたにも関わらず、得た戦果に対してほとんど傷を負うことが無かったのだ。

 その理由が気になり公開されている彼らのレポートから行動を追ってみると、実に『丁寧な』戦略の下で動いていることが分かった。

 俄然興味が湧き少し調べてみると、なんと『北の軍神』と称えられていた人物と思しき男までいるではないか。本人の公開情報には明記はなかったが、顔写真は見間違いでは無さそうだ。

 各傭兵隊の隊長・副隊長が集まる定例会で見かけたあのガタイの良いおっさんかと思いつく。

 なので、俺はすっかり彼こそが『ナックブンター』隊長なのだと思い込んでいた。

 

 の、だが。

 

 

「申し訳ない。部下に連絡を取る努力はしていたのだが」

 

 申し訳なさそうな表情で俺に謝る小柄な人物。

 何度見ても、どう見ても、成人前の子どもにしか見えないのだがなあ。そんな外見も相まって、俺より頭一つ分低い視線に反射的に屈んで合わせそうになってしまう。

 

「忙しいところ手間を掛けさせた、『リオ』の。何か礼をしたいのだが、入用なものなどは無いか」

「ああ、いや……」

 

 しかし話してみれば、たしかに物怖じしないというか、泰然としている。落ち着いた大人の対応だ。

 聞き取りやすいその声は意外に低く外見と多少ちぐはぐするのもあり、そしてこの間のあどけない寝顔の記憶もあり、認識を改めるまでにしばらくギャップで混乱しそうだ。

 騙されているのではないか、などと思えてくるから。

 

「遠慮などするな。たしか、『リオ』はここに来てまだ日も浅いだろう。

 多くは無いが、物資もいくらかストックがある。この間の戦局も出ていたようだし、何か不足はしていないか」

「いや、多くは無いところを貰うわけにはいかないだろう」

 

 予想外にグイグイくる『ナックブンター』の隊長に、俺はやんわりと断りを示した。

 だが、彼は小さく苦笑いのように笑うと、背伸びをするように俺の耳元へ近づいた。これにはさすがに彼の方へ屈むようにしていいだろう。彼は小さな声で言うのだ。

 

「…… 実は、この間のことを、誰にも話さないでほしいんだ」

 

 耳元でささやかれたその声音に、ぞわぞわと脳を撫でられるような感覚がした。

 気持ちが悪いのでは、無い。

 ─── その逆だ。

 声の響きだけではない気配を伴う声をしている。…… 気がした。


 しかし本人に自覚はないのか、『ナックブンター』の隊長は耳元から離れると静かに笑って続けた。


「あいつに手間を掛けさせてしまうから」 

「口止め料、ということか」

「そうなる。いや、感謝していることは本当なんだ、礼の意味もあるけれど」

 

 うーん……、と考える様子とは裏腹に、意外にしっかりと処世術を持っている。その外見で上に立つには必要なスキルなのかもしれない。

 そう考えたとき、彼を抱えて歩きたくない、と言った白い彼の言葉の意味が分かったような気がした。


***


 白い彼が隊長を抱え上げたのでそのまま持ち帰るのかと思ったが、少し移動したところにある木の根に座り込んでしまった。木の幹を背もたれにしたかったらしい。

 

「部屋には戻らないのか」


 白い彼の部屋がどこにあるのかは分からなかったが、仮に傭兵隊側の居住区ならば遠くもない。

 だが、彼はゆるゆると頭を振った。


「かぎ、かかってるから、へやにはいれない」

「自室にもか」

 

 隊長の方ではなく相手自身の部屋の方を聞くと、彼は「あいぼうが、もってる」と答えた。

 ひとまず、彼は自分の部屋も開けられないということで理解した。合鍵を持たせてはもらえないのだろうか……

 

「それに、あんまり、このひとをかかえて、あるきたくない」

 

 ぽつりと彼は落とすように呟いた。単純に人目に晒したくないという意味なのだと、このときは思っていた。

 しかし、かと言ってこのまま寝かせておいていいものかどうか。

 

「彼を起こせないのか」

「ここにいないよ」

 

 思いがけない返答に、え、と俺は彼を見た。白銀の髪から珍しい色の瞳がこちらを見上げる。

 そうして続いた彼の言葉は、まるで俺の知らない言葉で紡がれた詩のように響いた。

 

「ここにあって、ここにないひかり、だから。

 は、いまは、からっぽ。

 もどってくるまで、まってる、から」

 

 だいじょうぶ、と彼は言うのだが、一体今の何が大丈夫なのかまったく分からなかった。

 だが、彼が原因でその人物は眠っていてそれを彼は分かっていて、だから、何か彼なりの責任の取り方をしようとしていることは、理解した。


 『死神』と呼ばれている印象を覆すような柔らかな存在がそこにいた。


***


 一部隊の隊長である。その人物が、誰かに抱えられている姿を晒すことは控えたい…… と、あのときの彼は言いたかったのだろう。ましてや、小さな子どものような外見では容易く侮られる可能性があっては。

 舐められるような言動がこの隊長には無くとも、そんなものはほとんどの人間には関係のないことだ。

 

「何か白い彼が心配することがあるようだ。

 それに対して、あんたが今後気を付けてくれれば俺が何を言うことも無い」

 

 俺を見上げて考える『ナックブンター』の隊長に俺は答えた。

 隊長はぱたりと瞬きをして、先ほどとは別の眼差しで俺を見上げる。彼の中で何か評価されているような気がしたのだが、すぐに、彼は嬉しげに笑った。

 

「ありがとう、『リオ』の。アルパカから聞いてたけど、あんた、やっぱりいい奴なんだな」

「アルパカ?」

 

 突然の白い動物に誰だと思うのだが、話しの流れからしてたぶん、あの白い彼だ。

 なんでアルパカなんだ。白っぽいくらいしか共通点が無いのだが。

 首を傾げた俺に、『ナックブンター』の隊長は「この間、中庭で話していたやつだよ」と教えてくれた。間違ってはなさそうだ。

 

「分かった、俺も迂闊だったことは自覚している。今後気をつけよう。

 ということで口止めの件は解決だな、純粋に礼ができそうで良かった。

 何か足りていないものはないか」

 

 なんと話しが戻った。この男は何がなんでも俺に礼をしたいようなのだ。

 かといって、今、特筆して足りていないものはなく、相手もけっして余裕があるところではないらしい。不足している物資を補うならば、もっと余裕があるところから貰うべきだ。

 俺の反応を待っている彼を見下ろして、俺は「…… じゃあ」と切り出した。

 

「物資は、本当に足りているんだ。

 だから、ひとつ教えてくれないか。それで礼としたい」

「ああ、分かった」

「あんたと、あの白い男は、どういう関係なんだ」

 

 かたや軍随一の戦闘スキル(という言葉では括りきれないものがある)を持つ男と、かたや少数精鋭の小隊隊長。『ナックブンター』所属であればまだしも、接点があるようで無い。

 隊長は、どこかきょとんとした表情で俺を見上げていたが、うん…… と軽く目を伏せて考え始めた。

 

「さっき、部下と言っていたけど、正しくは部下じゃない」

 

 ああ、連絡を取ろうとしていたのは、間違いなくあの彼だったのか。

 彼に通話をしたところか、あるいは彼から通話が来たのか、繋がった直後に寝落ちした……といったところだろうか。

 

「彼…… アルパカともう一人の男を、『ナックブンター』が一時的に預かっていたのが最初のきっかけかな。

 雇用形態としては、そこは今も変わらず預かりのままとはなっているが、正式には彼らは二人部隊なんだ。

 二人とも、俺の大事な仲間だ」

 

『ナックブンター』の隊長は、それを話すのが誇らしいような、そんな笑みで話すのだった。

 その様子から、彼らの間が親密なものであるということは分かるのだが…

 

「あんたのその…… 持病なのか、あの昏睡状態のような。白い彼のせいでそうなったと聞いたのだが」

「誰に」

 

 重ねて俺が尋ねると彼は驚いていた。驚きながら、どこか鋭さを持った質問だったので、すぐに「本人だ」と俺が返した。

 すると、隊長は困ったように眉を寄せる。

 

「なるほど…… すまない、詳しいところは話せないんだが、アルパカは、俺にとっては命の恩人だ。

 彼のせいじゃない。と言っても、あんたには何が何やら……てところだろうと思うけど」

 

 まったくもってその通りなのだが。だがここを言及するのも何やら難しそうな空気があった。

 聞けるのはここまでだろうと思い話を終わらせようと口を開いたところで。

 続いた毅然とした『ナックブンター』隊長の言葉が聞こえた。

 

「そうなってしまっただけだ。みんな、自分が持ちうる最善を尽くした、その結果だ」

 

 この言葉に、彼が一部隊の隊長であることを納得することができた。

 否定をしない。

 起こったことへの全肯定を気負わず、自然に頷ける人間は多くない。

 

「あとは、さっき、あんたが言ったとおり、俺がもう少しこの症状と上手い付き合い方を見つけていけばいいと思ってるよ」

 

 そう言って、『ナックブンター』の隊長は笑うのだ。

「そうだな」と、俺も素直に頷いた。最初に彼に感じた懸念や不安は、もう無くなっていた。


 


「…… という感じなんだが、聞きたいことに回答出来ているだろうか」

 

 律儀に確認をしてくる『ナックブンター』の隊長に、俺は頷いた。正直、細かいところを突っ込んでいけばまだまだ分かりかねるところが多かったわけだが。そんな仔細を聞きたかったわけでもない。

 先ほど得た安堵がそれを上回っていたので十分だと思えたのだ。

 

「わざわざ訪ねてくれてありがとうな」

「その必要があったから声を掛けたんだ。こちらこそ、時間を取らせた。

 改めて、感謝するよ」

 

 そう言って隊長は手を差し出すので、俺はその小さな手をぎゅっと握り返した。

 そうして、ふと思い出す。

 同時に部下に「隊長は少しおせっかいですよ」と常々言われいていることも思い出したのだが、「あ」と既に口を吐いてしまっていた。

 

「なんだ」

「ああ、いや……」

 

 逡巡するも、俺の言葉の続きを待っているような彼を見て、まあいいか、とそのまま続けた。

 

「あんた、あんまり、ほいほいと耳打ちしない方がいいかもな」

「…… うん??」

 

 と、彼は理解しかねたような顔をする。そうか、やはりあの不思議な響きに自覚があって耳打ちをしたわけじゃないのか。

 俺は納得と一緒に、言っておいて良かったと思った。

 

「あんたのその声、少しばかり人に影響が強い気がするな。

 普通に話す分にはあまり分からないけど、あんたの声だけ聴くと、なんというか……」

 

 あの感覚を何と伝えればいいのか表現に困った。話していて俺も自分で何を言っているのかと思えてくるのだから、俺の話を聞いていた彼は不可解に頭を捻るのも当然だ。

 

「不快だったわけじゃないんだ。だからこそ」

「『リオ』の、ロレンソと知り合いか」

 

 俺の言葉と彼の言葉が被った。おっと、とお互いびっくりして、それから同時に「どうぞ」と譲り合ってしまった。

 それにも2人で「いやいやいや」と笑い合ってしまったのだで、俺は先に彼の質問に答えた。

 

「いや、ロレンソという名前に覚えは無いんだが、誰のことだ」

 

 すると『ナックブンター』隊長は、もう一撃の爆弾を投下したのだった。

 

「さっきのアルパカの相棒だ。

 赤毛でギザっ歯の…… ああいや、そうだな、兵器・特殊兵器開発をメインに、戦略折衝外交…… あたりをやってるやたら声のでかい奴なんだが」

 

 …… そんな都市伝説を聞いたことはあった。「…… なんて?」

 知っているはずではあったのに今目の前で聞こえた話が信じきれず、俺は思わず聞き返してしまった。

 すると、彼は黒い双眸をぱたぱたと瞬かせ、

 

「すまん、そこそこ有名なのかと思っていたんだが、ここに来たばかりだったよな。さすがに知らなかったか。

 あいつはあんたのこと知っていたし、あんたがあいつと同じようなことを言うものだから、知り合いかと思ったんだ」

 

 と、更に追撃をしてきた。

 誰が誰を知っていると言ったのだ。誰と同じことを言っていた、と?

 唐突に彼の口から出てくる言葉の数々の理解が追い付かず返答に詰まっていると、俺が困惑していることを察した『ナックブンター』の隊長は、「悪かった」ともう一度謝ってしまった。

 違う、謝らせたいわけじゃない。

 しかし俺からはさっきからたった一言しか出てこないし、それは彼に言うことではない。

 他の言葉を探している俺の肩を隊長は叩いた。

 

「耳打ち、だったな。気を付けてみるよ。

 みんな背が高いから、周りが騒がしいとつい耳を引っ張ってしまうからな」

 

 はは、と隊長は笑って俺の意味不明だろう忠告を聞き入れてしまう。

 そして、「それじゃあ、また」と一つ挨拶をすると、何やら時計を確認して足早に去って行ってしまった。どうやら予定が押していたようだ。

 

 

 つまりあの小さな隊長は、軍随一のキリングマシーンと、某国の軍神と、生きる都市伝説を仲間だと言っていたわけだが。

 

「…… なんなんだ、あの人」

 

 何度考えても、もうそれしか感想が出てこなかった。

 この遭遇が吉と出るか凶と出るか、それすら今は、考えることもできなかったのだった。



(卵の中の夢 了)

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