ゆるふわな小話
もちもち
今夜はここまで
「あの人があそこまで酔っ払うのは、滅多に無い」
傍らを歩く男へ、俺は切り出さずにはいられなかった。
隊長室を出た俺の後を追うように付いてきたロレンソは、突然切り出した形になった俺を見上げ、嗤った。
「飲みに出てないわけじゃなかろう。そのときは隊長として節度を弁えているというのか」
「そうだ」
へえ、と彼は嗤う。
俺は彼の洞察力に内心目を瞠っていた。彼らが『ナックブンター』預かりとなってまだ半年も経っていない。だが、この赤毛の奇才はあの隊長の問題点をほぼ把握しているように見えるのだ。
それも、おそらくは我々がまだ直視できていない部分まで。
そういった様子を無意識下で察しているのかどうか分からないが、あの隊長はこの男に我々に対するものとは異なる信頼を預けているように見えた。本人に聞けば確かに信頼していると返ってくると思うが、きっと彼は我々に対する信頼と同じものと認識して言うのだろう。
だが違うのだ。
仮眠から目を覚ましたところだった。妙な通話が入ったのだ。
枕元で着信のアイコンが光る端末を手に取り通話を開始すると、向こうからは少し慌てたような隊長の声が聞こえた。
「あ、……」
「…… どうした」
「いや、…… おやすみなさい」
どうやらこちらが寝ていたとは思わなかったようだ。
隊長が寝ている間彼を監視するために起きているので、夕食後から門限の時間まで軽く寝るようにしていた。それを本人は知る由もないだろう。
通話の切れた端末で時刻を確認すると門限までもう少しという時間だった。だが、隣の彼の部屋からは気配がしない。別の場所から通話をしてきたのだろう。
どこにいるのか確認しようと折り返したのだが、電源を切ったか不通になっている。根こそぎ落とすところが彼らしいといえば彼らしい。
しょうがないので彼のタグ発信器を確認した。
『ナックブンター』のタグは小範囲に微細な信号を発する。作戦中に生死を問わず行動不能となった隊員を発見したい隊長の意向で実装された。作戦内容によっては微細な信号も問われるために常に起動できるわけではないが、これによって確かに発見された隊員も存在する。
特に、作戦後にフラフラと出歩く隊長自身は最たるものだ。
端末の探知画面を開いたが、発信を拾える範囲には彼の信号は無さそうだった。
心当たりのある方へ進み、発信を確認していく。
隊長の信号は検知されれば一目で分かる。4つの信号が重なっているのだ。
その信号は、『ナックブンター』の隊長室の中に灯っていた。中から隊長と、他の話し声も聞こえる。
「……いやお前、実際そんな状態の奴に高圧的に出られないぞ。
相手はまだ武器を持ってたりするからな」
「いやよくそんな奴を抱きとめようと思ったな!
頭大丈夫かお前の隊長!」
「えっ」
扉を開けてまず目が合ったロレンソが、何やら話していた隊長の言葉を受けて俺の方へ投げ込んできた。
簡易テーブルに隊長とアルパカが並び、斜向いに(ちょうど入ってきた扉と向かい合う位置に)ロレンソが座っている。角度が付いているが、アルパカと九官鳥で隊長を挟んだ位置だ。
二人の会話の流れから、おそらく作戦後のクールダウンについてだろう。
この隊長は、しばしば作戦後に取り乱した新米隊員を体を張ってメンタルケアすることがある。外見が外見であるため確かに威圧感は無いし子どもが存在する場所とは本来平和だ。その象徴によって抱き締められると思えば安心感が生まれるのだろう。
だが、相手は武器を手にして混乱しているわけである。できれば控えてもらいたい。
「それはやめろと言ったんだがな」
驚いた顔で振り返る黒い双眸は、丸く見開いているがアルコールの色が強く出ていた。
ざっとテーブルを見渡すと、ワインやらブランデーやらのボトルが面積の半分近くを埋めている。もう半分には辛うじて肴だろうか、蓋の開いた缶詰が慎ましく置かれていた。
嘆息気味に二人へ返すと、ロレンソは「だろうな」と肩を竦めるが、本人は俺がここを訪ねてきたことにまだ驚いているようだ。相当頭の回転が鈍っている。一体何本空けたというのだろう。
テーブルの上の瓶を一本ずつ確認していくと、テーブルを半分埋めているボトルは更にその半分が軽くなっていた。
「三人で飲んでるのか。肴は他にはないのか」
「いや、飲んでるのはこう見えて俺だけだからな。肴も何もなかった」
「酒を飲むときは何か食べろと言っただろう」
地肌の色が濃いためなのか、あるいはアルコールを摂取しても顔色が変わらない方なのか、傍目にはいつも通りの隊長だ。
彼の頬に手を当ててみると確かに温かい。常なら面倒を看られるのを気にし「大丈夫だから」の一言も出てくるところだが。
様子を確認している俺にようやく認識が追いついたように、隊長はにこにこと笑った。
「来てくれたんだな。さっきはすまん、寝ていたんじゃないのか」
「仮眠だ。起きるところだった」
「かみん」
ぽつりとアルパカが返した。なぜ、という疑問がそこに含まれたていたように思う。
その疑問を引き継ぐように彼の相棒が口を開いた。
「夜勤でもあるのか」
「まあ…… そんなところか」
「待て待て、そんなの聞いてないぞ」
「そうだな。それで、肴はそれだけなのか」
えっ、と再び驚く隊長が俺の腕を掴むので、その手を取って握り返しながら特に回答はせず話を変えてしまう。
話題を変えられた驚きと俺の質問への回答しなければと、重なった事象に容易に頭がパンクしたらしく固まる隊長の奥から、ロレンソが「これだけだった」と答えてくれた。
飲んでるのは隊長だけだと言うが、三人もいて食べるものが小さな缶詰一つとは隊長らしくない。人が来るなら相応に用意するのが彼だ。おそらくは、一人で飲んでいたところにこのバディたちが来た、といったところか。
「今の時間じゃ売店も閉まっているな」
「…… あ、門限」
時間、という言葉に思い出したか、隊長がはたと部屋の時計を見上げたが、俺は彼の肩を叩いた。この酒漬けの状態で寝かせるわけにもいかない。
幸い、ここにはバディもいる。
「少しアルコールを薄めろ。
部屋にアイスバインのスープがあるから持ってくる」
そう告げて一度部屋を出た。
そこへ「手伝う。できればもう一品作りたい」と後を付いてきたのがロレンソだった。
自室へ戻ると、ロレンソは他人の部屋だというのにズカズカと入って行った。
無遠慮なのは知っているが、他の人間にも同じことをしそうである。窘めておくべきだろうかとも考えた。だが、その前に彼はニヤリと嗤って振り返ったのだ。
「なかなか良い趣味をなさっている」
馬鹿丁寧な口調で彼が手に取ったのは、取り立てて特徴の無いイヤフォンだ。
だが、彼が何を指して『良い趣味』と言っているのかは心当たりがあった。よくそれだけで分かったものだとも思うが、隠すこともないだろう。彼ならば。
「隊長が寝ている間の様子を窺っている」
「盗聴で」
「そうだ。この間、寝ている彼に付き添ったときに気づいたが、魘されていることがある」
持ち運び用コンロに掛かっている鍋を確認し、火を入れた。中身はアイスバインと端切れの野菜を投入したポトフだ。
ふうん、とロレンソは気のない相槌を打つ。
「気になるなら一晩中隣にいればいいとは思わないのか」
「お前ならそうするということか」
意外に血の通った提案をしてくるのだと内心驚いた。そういう意味合いだったので他意は無かったのだが、質問に質問で返してしまったからか、相手の眉が寄った。
「直接的な方法を取らない理由を聞いている。
まず取りうるのは距離を詰める方法だろう。それができない、あるいは手段として好ましくない理由が、お前と隊長の間にあるのかと聞いているんだ。
そもそも、盗聴していることはあいつには言ってないのか」
「伝えていない。伝えない理由は特に無いんだが。あの人は自分が魘されていることに気づいていないようだし。
隣りにいるとあの人は俺を気にして深くは眠らないだろう。盗聴している理由はそれだ」
「なるほど。厄介だな」
ストレートに感想を述べるロレンソに笑ってしまった。厄介、そうだ、厄介なのだ。
せめて色々なことを自覚してくれれば、話し方もあるというものなのに。そうして、俺もまたその色々を隊長本人には自覚して欲しくないところもある。厄介だ。
傍らで部屋を物色しているロレンソを振り返った。ああそういえば……
「何か作ると言っていたな。あまり自室に保存していないのだが」
「隊長副隊長揃って保存食力が低いんだな」
初めて聞くステータスである。保存食力。しかも隊長は測定済みかつ低いようだ。
『ナックブンター』を代表する者が不甲斐なくては部下に申し訳ない、簡易キッチンとなっている棚を開けて中身を確認した。
「缶詰があるな」
「オイルサーディンか。さっき一つ開けたんだよな。
もう一声」
「…… カマンベールチーズがある」
「でかした」
差し出した一口サイズのチーズの袋に、ロレンソは嬉々とした声を上げた。常に冷笑的なイメージがあるので、純粋に嬉しそうな声が聞こえたのは意外だった。しかも別に自分が食べたくて作るわけではないだろうに。
「鍋が温まったら貸せ」と尊大な物言いをしながら、缶詰の蓋を開ける仕草は楽しそうだ。単純に料理をするのが好きなのかも知れない。
チーズは別なのかと思っていたら蓋を開けた缶詰の上に、更に半分に千切って乗せていく。なるほど。
ポトフは十分に温まったようだ。鍋敷きの上に退け、一度消したコンロの上に網を置いた。その上に準備のできたオイルサーディン缶を乗せる。
調味料の入った箱を横に置き、コンロの前を彼に譲った。
「この間、アルパカが隊長の『中』を探ったらしいが」
「『中』……?」
あまりに省略された表現に思わず話の途中で差し込んでしまった。すると、ロレンソは俺の反応を分かっていたのか、こちらを嗤いながら振り返りするりと続けた。
「『星』を介して内面を探った」
「ああ……」
『星』にまつわることか。物理的な話でなくて良かった。あの隊長は目の前に凶器を見せられるまで相手の立場を確定しないところがあるし、凶器を持ち出されるだけでは場合によっては未確定である可能性もある。武器を構えている部下を躊躇なく包容するくらいだ。
傍で見ているこちらの身にもなって欲しいと思うことは多い。
俺の気持ちをよそに、ロレンソは続けた。
「静かだったそうだ。あまりにも。物音の一つもない。
何も存在しない『
彼らが語る世界の話は初めて聞く概念ばかりだった。少しでも外部から情報を手に入れられないかと調べてみたのだが、どこにも類似する話題はない。本当にこのバディの中でしか成立しない話なのではないかとも思ったことはあるが、実際隊長は『生還』し、本隊は『星』を軍事利用する算段でいる。
現実に目の前に生じているのだ。疑う手がかりの方が少ない。
「何が言いたい」
そうして、この男の言葉の一つ一つは、あまりに多くの伏線を孕んでいる。一つの話題にいくつもの線が伸びていて、複数の話を一つの話で同時に進めていく癖があるようなのだ。
表面で話されている話だけが話題ではない。難解な人物だ。
くつくつとオイルが煮立ち始め、チーズが緩む。ロレンソは調味料の箱を開けて中身を確認しながら続ける。俺の警戒や困惑など素知らぬ顔で。
「先程、お前は隊長が飲み会のときでさえ隊長と在ろうとする、と言っていたが、それはあいつが根っからの隊長だからではない。逆だ。
あいつは空っぽであるから、唯一確たる立場を得ている隊長という立ち位置に固執しているだけだ。
あるいはそこを維持しなくてはならない強い理由がある。皮肉なことにそれがあるから、『星』の『再現』に耐えられたわけだが。
言っている意味が分かるか」
塩と胡椒を取り出すと、そこでようやく俺を見上げた。
弧を描く口元に反して、そのブルーグレーは少しも歪んではいなかった。
「その理由が無くなったら、あいつは隊長ではなくなる。
隊長でなくなったあいつは何になれるのだろうな」
***
スープボウルやカトラリーを詰めたバッグを肩に提げ、再び隊長室へ戻った。
鍋やバッグやを抱えたロレンソと俺を見た隊長がパッと立ち上がろうとしたが、ふらついた足元を察したアルパカが彼の肩を掴んで座らせた。そこまで酔っているのか。
代わりにアルパカが立ち上がり、俺が持っていた鍋を取った。その間合いで、アルパカは俺に耳打ちほどの声で告げたのだ。
「…… あんた、もうすこしおもくならないと、だ。
あのひと、ふわふわして、かるすぎる」
ぼんやりとした抽象的な言葉は、続いた言葉によって(それこそ)重く突き刺さった。
「あのたぐは、もう、おもくないらしい」
あのタグ、とは─── 隊長が首から下げている四枚のタグのことで間違いないだろう。
俺とロレンソが部屋に戻っている間、アルパカは隊長となにがしかを話していたようだ。
『ナックブンター』は隊長を含めた『マージナル』の五人で立ち上げられた隊だった。そもそも『マージナル』という人々がそれ以外の人を集めて指揮を執ること自体が異例中の異例であるのだが、彼らはそれを成し遂げた。
成し遂げ、…… あの小さな隊長に隊を託して全員いなくなってしまった。…… と、俺は班長から聞いた。俺自身はその四人とは面識がない。
話に聞くだけ。隊長がその四人に触れることを避けている様子を知っている、それだけだ。
その四人のタグを、隊長はずっと大事に首から下げている。眠るときは危ないから外した方がいいと言ったことがあるのだが、彼は苦笑いを返した。
重みがないとなんだか、バランスが変で…… などと言い訳だろうと思っていたがあながち間違いではないのかもしれないと思うほどに、ずっと、いつでも。
あの重みが彼をこの場に沈めているならばそれでいいのだと思っていた。
だが。もう重くない、らしい。
先程のロレンソの言葉がよぎる。空っぽである彼は、その理由が無くなったら、何になるのだろう。
何かになれるのだろうか。
「アイスバインのポトフか! すごく贅沢なポトフだ」
「アイスバインはもともと長く保存するための料理だ。贅沢とは立ち位置が真逆だな」
「手間暇掛かっているという意味でだ」
ロレンソのツッコミにいつもより感情的な声で反論する。酔っているときの彼はテンションが高く楽しそうだ。
スープボウルを手に取り、こちらを振り返る。
「目一杯盛ってもいいか、夕飯は食べたのか」
「自分の分は後でいい。先に食べたい分を取ってくれ」
「部下の分を差し置いては取れないだろう」
軽く笑い、隊長はやや怪しげな手元でボウルにポトフを盛った。
部下の分、とは俺のことだろう。ここまで酔っ払いながら、彼はそれでも隊長なのだ。
「差し入れありがとうな」と笑顔と共に差し出されたボウルを受け取るしかない。彼はバディの方へも声を掛けている。
「これチーズの下にあるのオイルサーディンか。さっきは蓋も開けず寄越されたのに」
「さっきのはお前の保存食力に相応した対応だった」
「副隊長の保存食力は」
「20」
「でかしたと喜んでなかったかお前」
予想外に低かったので思わず口を吐いてしまった。
すると、そのやり取りがツボに入ったのか、隊長が弾かれたように声を立てて笑った。それは懐かしい笑い方だった。俺が『ナックブンター』に入った直後くらいだろうか、隊員たちの輪の中で、彼がおかしげに腹を抱えて笑っていた声だ。
だが、隊長はハッと我に返ったように口を噤み、更に空のままだったボウルで口元を隠した。きょとんと俺とバディが様子を見ていると、隊長は気まずそうに呟くのだ。
「…… 今のナシ」
「なんだそれ」
ハッ、とロレンソが鼻で嗤った。彼もまた、先程俺に話したことを思い出しているだろうか。
隊長のフォローをするのが副隊長の務めであるので、思うところはあったが話題を変えようとボトルを見やった。
「まだ酒は残っているのだったな」
「半分ほど。お前も飲むだろ」
「今日全部飲まなくてもいいだろう」
また何故急にボトルを開けだしたのだろう。確かに作戦が終わり今日からオフ期間であったが、せめて一晩に一本ずつと緩めのペースで空けていけばいいのにと思うのだ。
だが、隊長はその理由を噤んで笑う。そうしてまだ残っているボトルへ手を伸ばすものだから、俺はその手の先からボトルを拾った。
「飲み過ぎだ。お前はこれから水を飲め」
「ええぇ……」
「ほら美味しい水だ」
「お水おいしい」
「なんだこれ」
チェイサー用に持ってきたミネラルウォーターを開けて渡し、しょんぼりとした様子で受け取る一連の流れを指してロレンソが噴き出した。緩い、と嗤う。
俺は隊長の隣に座っているアルパカへグラスを差し出した。
「アルパカ、飲めるか。
ロレンソは」
「あ、駄目だ。こいつにはやらんでくれ」
変わった話題にホッとした顔をしたと思ったら、すぐに焦ったように隊長はロレンソを下げようとする。
俺もロレンソも驚いて隊長を振り返ってしまった。
「ビール半分で沈没する」
「そうらしい」
「そうなのか」
隊長の指摘に本人も頷くので、どうやら本当らしい。いや、本人の記憶が怪しいところがまさに物語っている。つまり一回沈めて沈められたということだ。
俺は頷きながらアルパカの方へだけプラスチックのコップを渡した。
「お前は大丈夫なのか」
「うん、へいき。どくとかも、へいき」
唐突な劇薬に思わず相棒を振り返ってしまうが、ロレンソはひらひらと手を振る。
「飲ませたことなんて無いから知らん。が、『星』があるんだ、アルコールだろうと毒だろうとすぐに通常の状態が『再現』されるってことだろ」
「びっくりした。飲ませたことがあるのかと思った」
俺の驚きを隊長が代弁してくれた。ロレンソは呆れたように首を傾げる。
「人体に有害だと分かりきってるものをなぜ敢えて試さなくちゃならんのだか」
「『星』のことを調べようとしたことがあるとか」
「興味が無いんだよなあ」
と、本当に興味が無さそうな様子で返し、隊長からボウルとレードルを引き取る。
俺は隊長の斜向いに座り、彼らの様子を眺めることにした。
「本隊の『星』開発の主任とは思えないセリフだな」
「それはアルパカが『空』を落としたいと言うから請け負ってるだけだぞ」
「真っ当な理由のように言ってるが使われてる本隊の要素が一つも入ってない」
「利害が一致しているから問題がないな」
くらだないとばかりにロレンソは隊長を一蹴し、しかしポトフのボウルをまず隊長に差し出した。自分の相棒よりも先に隊長へ向けたことに一瞬不思議に見えたが、きっとアルパカに差し出してもそのまま隊長に向かうだろうからなのだろう。最短距離を進む彼だ。
隊長も自分に差し出されたことに戸惑ったようで隣のアルパカに渡そうとしたが、案の定アルパカはその手を押さえていた。そうなっては受け取らざるを得ない。数分前の自分を見ているようだ。
「それに、『空』を落とすために毒がどうのこうのは全く関係が無い。よってその効果を確認する意味がない」
「そりゃそうだな」
理路整然と訂正されると、隊長は大人しく頷いてポトフにスプーンを突っ込んだ。
アルパカへポトフを渡すと、自分のボウルにもよそい椅子に座った。自然にレードルを引き取るあたりを見ると、態度に反して面倒見は良いのだろう。元々アルパカの面倒を見ているくらいだ、そういう立場を敬遠しているわけではないようだ。
「お前の相棒はいつもしっかり理屈立てる。昔からこうなのか」
「たまにりくつをぶんなげるときもあるけど」
「心当たりがあるな」
隊長の言葉を根底から覆すようなアルパカのツッコミに本人が頷いてしまう。「心当たりあったかあ」と隊長も頷くので、この場にはおそらくツッコミ要員が足りていないのだろう。
とはいえ楽しく話しているようなので自分はそのまま黙って彼らの様子を窺っていた。
「付き合いは旧いんだろ。子どもの頃から一緒なのか」
「以前その話題を振られたときに軽く拒否った覚えがあるんだが、随分気軽に聞いてくるんだな」
「あれ出身地だけの話じゃなかったのか」
酔った勢いもあるだろう嬉々として尋ねた隊長は、さっくりとロレンソに返されてぎょっとしている。以前とは、おそらく彼らを監視すると話していた頃のことだろう。日常的な会話から彼らの素性を確かめようとしていたのかもしれない。拒否されたらしいが。
ロレンソの方はそれで話を終わらせた様子だったが、隊長は戸惑いつつもなんとはない待ちの様子を漂わせている。この人は割と控えめに強引だ。
「…… 子どもの頃から一緒だ。
初めて会ったときは、お前泣いていたっけな」
「そうなのか」
「そういうこといわなくていい」
隊長の待ちを察したらしいロレンソは存外素直に答えた。いや、アルパカへの揶揄を含めるあたりは素直ではないのだろうが。
相手が酔っ払いだと高を括っているのか、あるいは当時は拒否したものの今となっては抵抗が無いのか。そうならばそれは、この半年にも満たない短期間で起きた様々な出来事で濾過された信頼の成すところだろうか。
「アルパカは昔からよく泣くのか」
「ぜんぜんないてないし」
「人の顔を見た途端泣き出したのは誰だったよ」
「あれは、おまえをみたからないたんじゃない、ておまえにはいっただろ」
不満そうにアルパカが返すがロレンソは「似たようなもんだった気がする」と頭を傾けて嗤った。
隊長はアルパカを殊更年下扱いするのだが、その一因となっているのが彼に泣くイメージが付いているからなのだろう。俺はそれほど彼が泣いているのを見たことが無いので、ゆるふわとした印象はあるものの、いまだに噂されている『死神』の空気を拭い切れないでいる。彼の戦績は、およそ人の成すところではない。
それは隊長だって知っているはずなのに、それをしてもなお、なのだ。
「おれたちのことは、もう、いいでしょ
たいちょとふくたいちょのこと、おしえてよ」
これ以上の詮索を嫌ったらしいアルパカが強引に話題を変えた。
さすがに突っ込み過ぎたと感じたのか、隊長は「うーん」と慌てて話題を考えたようだ。隊長と俺のことを聞かせてくれとはまた漠然としている。何を話せば彼が満足するだろうかと自分も一緒に悩んでしまった。
「さっき、くーるだうんのことはなしてた
ふくたいちょは、くーるだうんはどうしてるの」
隊長と俺の戸惑いを汲んだアルパカが話題を提示してくれたのだが。そういえば、俺が部屋に入ってきたときにそんな流れだったことを思い出す。
俺はのんびりと水を啜っている隊長を見やった。
「お前、もしかして肩のこと」
「い、いや、話してない……!」
そっと小さく尋ねると、隊長はびっくりしたように首を振った。反応からして嘘は吐いていないようだが、どこかで心当たりがあるような気配がある。
そして、そこを見逃すわけもない男がこの場にはいる。
「なんだなんだ、随分楽しそうな話題が出てきたじゃあないか」
俄然興味津々と身を乗り出してくるロレンソだ。獲物を見定めた動物にも似た目をする。
「肩? 誰の肩がクールダウンにどうしたって?」
「的確に要点を突いてくるな……!」
「突いてくるもなにも、クールダウン中の話しだったろ。どっちの肩だ?」
ん?とロレンソは人差し指で交互に隊長と俺を指してきた。焼け石に水だろうとは思うが、俺は苦しくも事実を返した。
「クールダウン中は瞑想をしている」
「違うな、そんなつまらん回答じゃないんだ副隊長。
ほら、肩がどうしたっていうんだ。そこまで
「なんでそこまで読めるんだ?!」
「こら」
うわっ、と酔っ払いがド天然に反応してしまうので小さく諫めた。あ、と俺を振り返り、ロレンソを振り返り、深く嘆息しながら顔を覆う隊長だ。ケタケタと楽しそうにロレンソが嗤う。「図星だ」
自分が肩のことを切り出してしまったのが最大の悪手だった。ポンポンと隊長の肩を叩く。奇しくも自分が二回壊した方の肩だ。俺の手に収まり切ってしまうほど小さな。
「
という勝手な想像だった。正解だった」
律儀にも隊長の驚きに回答するのだが、勝手な想像だけでたった一言から見抜いてしまうのだから手に負えない。
更にロレンソはニヤニヤと嗤いながら頬杖にこちらを見る。
「ただクールダウン中に負傷させるというのがいまいち腑に落ちないな。まさか副隊長殿が新米兵士のように取り乱していたはずもない。
なのに隊長を、この隊長を負傷させるとは」
「なんで言い直したんだよ」
「込めた意味が多くて説明がめんどくさい」
「言い切った!」
「想像がつくものもあるんだが」
そこで、ロレンソは言葉を切って相棒を振り返った。静かだが、静かであるだけの圧力というものがアルパカから滲んでいる気配がある。
「これ以上引っ掻き回すと後で相棒に怒られそうだな」
やめておこう、と頬杖をついていた手をひらりと振った。アルパカと隊長がホッとした様子だ。
ただ、俺は後でこの男には肩のことと、ひいては俺自身のことは話しておいた方が良いだろうと思っていた。この場をこれ以上酒飲みの空気から遠ざけたくはないが、しかしてこのまま隠し通せるものではないのだろう。この男の前では。
幸い、ロレンソは比較的『ナックブンター』に友好的であり、隊長が『星』を持っている以上アルパカの保護が機能する。実績を踏んだ信頼があるのだ。
俺も彼らに譲歩する必要はあるだろう。それが身の上のことならば尚更だ。彼らとはこれからまだ密接に関わっていくはずだ。
「まえにみた、たいちょのかたのきず、このことだったんだね」
「ああ…… うん、そうなんだ」
そっと尋ねたアルパカに隊長はゆっくりと頷く。先ほど俺が確認したときにどことなく心当たりがあるように見えたのはこれか。
アルパカには片腕を負傷した隊長のフォローを頼んだことがある。そのときに肩の傷に触れたのかもしれない。
「きゅうにごめんね」
顔を覆ってしまった隊長を横で見ていたのだろう。アルパカは申し訳なさそうに謝るのだった。そこには噂話の『死神』は欠片もなく、確かに小さな子どものような
隊長が顔を綻ばせて頭を撫でる気持ちも分かるというものだ。
***
「そういえば、『星』でもこの肩の傷は消えなかった」
「ああ」
ポンと投げられた隊長の疑問に、そうだな、と至極当然のようにロレンソは頷いた。
「そうだな、て。俺は一体どこの時点の『再現』をしているんだろう」
「そこは自分で押さえておけよと言いたいところだが、無駄に境界線試験をされても困るから推測を伝えておくと」
「境界線試験?」
「傷の深さで『再現』の度合いが変わるのかと試されても面倒だと言っている」
「思いつかんわ」
はは、と軽く隊長は笑うのだが、おそらく彼を除く三人全員が「思いついてたらやるだろうな」と思っていることだろう。自分の身体が傷つくことへの抵抗が人よりずっと小さいのだ、この人は。元からそうだった。だから勇敢と蛮勇の境界で一人、部下を助けに行ってしまう。その上『星』を保有していることを認識した彼は、この先更にその抵抗を失っていくのだろう。
これからは、彼の身を守るための認識が必要になる。
「『再現』される傷は、お前が自身で『自分のものだ』と認識している傷だ」
隊長が差し込んだ質問にスラスラと答えた上で、ロレンソはその前の回答を続けて返した。
ふと、そこでもう一つ気付く。あまりに二人のやり取りが自然だったので聞き流すところだったが、考えれば珍しいことが起きていた。
隊長が人の話しの最中に気軽に発言を差し込んだのだ。普段なら最後まで部下の話しを聞くのだが、今のロレンソとの会話は彼の発言を遮る形で差し込まれた。
そうしてそれを、ロレンソも特に気にすることなく進めていたのだ。隊長がそういう質問をしてくることを想定していたとばかりに。
確かにロレンソの話しは(癖なのか)一つの話題の中に複数の話題が詰め込まれており難解だ。一つ一つ解釈して聞き進めたくなる気持ちは分かる。
だが、もし彼が『ナックブンター』の部下であったならば、隊長は果たして疑問を差し込んでいただろうか。
「ん…… うんん??」
やはりロレンソの回答を上手く解釈できず、隊長は酔いの最中にあるとろんとした目をしかめながら首を傾げた。
その反応を見て、まあそうだよなと言うようにロレンソは頷く。
「その傷に対して深く認識してるんだ。例の『トラウマ』と一緒だ。
お前を構成している要因になっている」
「へえ……」
より砕かれたロレンソの仮説を聞きながら、隊長は無意識のように肩へ触れた。その指先があまりに柔らかだったので、俺は胸が詰まってしまった。
彼を構成する一つ。自分が傷つけたものが、彼の像を結ぶ一つになってしまった。
彼の肩の傷を見るたびにどうしようもない罪悪と自己嫌悪を感じていた。あれは自分の醜悪な
それなのに。
この人は、そんなものまでも必要として昇華してくれるというのだろうか。
「良かったな」
ふふ、とロレンソが俺にともなく、隊長にともなく、おそらく俺と隊長二人に向かって、嗤った。
***
アルパカに渡したグラスを確認すると、中身が空いていたので呼びながらボトルを傾けてみた。
抵抗もなく彼はグラスを差し出してくるところや、顔色が変わっていないのを見ると、先程ロレンソが言ったように『星』によって通常の状態に常に『再現』が掛かってしまうのだろうか。
酔っ払うという状態を経験できないのかもしれない。そう思うと、それが良いのか悲しいのか判断しかねるところだ。
「ふるいきずみたいにみえたけど、ふたりはどのくらいいっしょにいるの」
グラスの縁に口を当てながらアルパカが尋ねた。なるほど、少なくとも傷が付いてからはずっと共にいることになる。
隊長の方を見ると、彼は両手で頬杖を着くようにして頭を預けていた。反応が鈍かったので寝ているのかと思いきや、緩んだ笑みでアルパカを見上げた。
「10年くらいかな」
「たいちょ、ねむい? おひらきする?」
「まだポトフ残ってるし、たぶんもう少し水飲んでおかないと明日きつそうだから」
「分かってるなら最初から水を飲んでおけばよかったものを」
自分が言ったのかと思うほど同じことを考えていたが、口に出したのはロレンソの方だった。呆れた声には遠慮がない。
今夜の酒は自棄酒のような衝動が見えた。何かあったのだろうか。並んだ酒瓶は種類も量もバラバラだ。
「次は気をつけるよ」と受け流すと、ロレンソもそれ以上を言及しない。
「じうねん…… けっこうながい」
「10年前の隊長と言われても想像ができないな」
「おいどういうことだ」
いつもの揶揄に対してツッコミを入れた隊長だったが、思いがけず真顔のロレンソに「え」と困惑している。
せっかくアルパカが話を振ってくれているので俺も10年前のことを思い出してみた。
「隊長は今より身長が低かったな」
「どんだけ低かったんだお前は。豆粒か」
「おいやめろ笑うだろ。
お前だって10年前から身長が変わってないわけじゃないだろが」
「10年前でも今のお前よりは身長あったわ」
「それほど今と身長差があるわけではないが、確かに初めて隊長を見たときはギョッとしたな」
「え、ん、んんぅ……???」
隊長とロレンソの応酬へ差し込んだ俺のコメントに、奇妙な鳴き声を上げる隊長だ。困惑させているだろうが、きっと明日にはさほど覚えてはいないだろう。
彼の様子にロレンソがおかしげに嗤う。それから俺を振り返った。
「初めて見たのは戦場か」
「いや、当時の本隊だ。…… 俺の元職場は知っているのだったか」
「ああ、北の軍だということは」
少し含んだ口調でロレンソが返すので、隊長を見ると彼も俺を見て頷いた。彼から伝わっているようだ。
先程、俺が肩のことをロレンソに伝えようと思ったことと一緒だ。この男には下手に隠さない方が拗れない。大事なことほどクリアにした方が良いと隊長も考えたのだろう。
そうかと俺も頷く。
隊長から元職場のことが伝わっているならば、その上で、ロレンソが場所以上のことを言及しないのは、この場への彼なりの配慮と考えて良いのかもしれない。
『軍神』の空気は、今この場には重すぎる。
俺はロレンソの配慮に乗っかることにした。
「俺が隊長を見たのは北の本隊のホームだ。子どもがホームを一人で歩いていると思った。
それも本隊側の建物をだ。慌てて腕を掴んで食堂まで連れて行ったな」
「懐かしいな。あのときは俺もびっくりした」
そう言って隊長は軽く笑う。自分とは今よりももう少し身長差があったはずだ。こんな大男に突然腕を掴まれては驚かない方が難しい。
「オムライスを奢ってもらいながら滾々と1時間くらい郷里に戻れと説得された」
「オムライスを……っ 食べながら説得されてたのか……っ」
隊長の話にロレンソはツボに入ったようで、手で机を鳴らした。アルパカが彼の手元からスープボウルを離す。
「さすがに必死に説得する相手を前にして食事はできなかったなあ」
「あのオムライスは結局どうしたんだ。食べきれなかったろう」
年少者だと思っていた隊長へ確かに食事を奢ったのだが、あの後すぐに各隊の隊長が招集されてしまい、先に俺が、後に彼が別室で顔を合わせることになったのだった。あのときの驚きようはなかった。ずっと怪訝な顔で彼を見てしまった覚えがある。
食事を奢ってから招集までそれほど時間は無かったはずだ。今ほど食が細くは無かったとは思うが、とはいえあの時間で完食できたとも思えない。
俺の予想通り隊長は頷いた。
「手をつける間もなかったから、居合わせていた部下に渡した」
食堂に『ナックブンター』の隊員がいたのか、と俺が驚いていると、隊長は頬杖をしていた片手を「ほら」とひらりと返して続けた。
「お前が入隊してきたとき挨拶するなりいきなり謝ってきたときがあっただろ、あのときに声を掛けた部下たちだ」
「どういうじょうきょう?」
傍らのアルパカが首を傾げる。「確かに」と隊長は笑って頷いだ。
そうして、手で俺の方を指しながら言うのだ。
「子どもだと思ってた俺が隊長だと信じられなくて、めちゃめちゃ調べたんだってさ。それでやっと納得できたって言ってた。
その詮索を含めて入隊のときにすっげえ真面目に謝られたんだわ」
「くそほど真面目な男だな」
ケタケタと嗤いながら悪態をつかれたのだが、聞き慣れてしまったせいなのか、ロレンソの言葉にそれほどささくれ立たなくなってしまった。
隊長も相当不思議な人間だが、この男もまた違った方向で不思議な人物だ。早々には越えられない壁があるが、そこを越えてしまうと表面上の皮肉や悪態は飾りなのだと思うようになる。
彼の本当の刃は、その正しさなのだろう。
そうだな、と俺も素直に頷いた。自分でも当時、自覚はあったのだ。
「度が過ぎるほど調べたと感じてはいたからな。
お前の故郷のことも、集落を特定して今も監視している」
「……え、と…… なぜ……」
辛うじて声を絞り出したかのような、まさに蚊の鳴く声で隊長が尋ねた。本人に伝えるつもりはなかったが、この先俺に何かあった場合に知らないままにさせるわけにもいかない。
良い機会かと思い返した。まあ、明日覚えてはいないだろうが。
「『星』の一件で思い直した。万が一集落側に何かあったとき、お互い連絡が行くまでに時間が掛かっては一大事だろう。
カメラを付けているわけではなくて、集落の近くの人を雇って様子を見てもらっているだけだ」
「だけっていうか、その、えと、つまり『星』の半月の間から …… コスト!!」
「コストを突っ込まれるとは思ったが、自費でしていることだ。だが、お前は納得しないだろうな。明日お前が覚えてたら相談しよう」
「コスト以外にも突っ込むべきことが山程あった気がするがな」
「あしたおぼえてないぜんていではなされている……」
隊長は手を組んで考え込んでしまうし、ロレンソは怪訝な表情でアルパカはどこかオロオロとした様子で隊長と俺を見ている。
しかしながら嘘ではないので訂正のしようもなかった。
***
鍋が冷めてしまう前にポトフは食べ切られたようであった。アルパカがよく食べてくれていた。彼は食べるのが遅いだけでアルコールも料理も無尽蔵のように見える。
「たいちょ、ちゃんとたべた?」
「食べた食べた。副隊長のアイスバインの料理は旨いからな」
そもそもアイスバイン自体が非常に出来よく作られている。自分はそれを使っているだけだ。
隊長も一杯半程度よく食べてくれた。これでどうにかなるとも思えなかったが、少しでも明日の苦行を減らせたら良い。
そこで自分の端末に連絡が入った。班長からの着信だ。
俺は三人にことわり一度退室し通話に出た。
彼の連絡は次の作戦の内容を偶然仕入れてしまったので共有したいということだった。どういう偶然があればそんな貴重な情報を入手できるのかとも思うが、相手は班長であり隊員の中で最も信頼の置ける人物である。
内容を聞くと要人警護の依頼で(だから尚の事、こんな時間でも彼は連絡を入れたのだろう)、しかも隊長を指名してきているのだと言う。
こめかみを押さえてしまった。どんな状況が想定されればあの小さな彼に要人警護のお鉢が回ってくるというのだろう。
俺はひとまず報告の礼を告げ、通信を切った。酔っ払っている隊長には明日報告をした方が良いだろう。
部屋に戻ると、少し風景が変わっていた。
隊長が腕を枕にテーブルに突っ伏している。頭をアルパカ側に倒しており、その顔と向かい合うようにアルパカもまたテーブルに上体を倒していた。
ロレンソは退室前と変わらず自分のボウルに残っていたポトフを食べており、まるで退室前後の間違い探しのようだなと思ってしまった。
「さすがにねむかったみたい」
アルパカが視線だけ俺に寄越して口を開いた。「だろうな」と頷く。
時刻は23時を回ろうとしており、普段であれば門限はおろか隊長自身の就寝時間をとうに過ぎている。俺が隊長室に来た時点で出来上がっていたわけだが、もしかしたら自室に戻るつもりがなかったのかもしれない。
「すやすやしてる。もってかえってながめてたい」
「お前ずっと猫の寝顔見てたもんな」
食べ終わったボウルを置き、鍋の中を確認しながらロレンソは相槌を打つのだが、そこで自然な流れで猫の思い出が出てきたことに首を傾げてしまう。
するとアルパカがこちらをじっと見上げてなんとはない訴えを発信している。
話の流れから隊長を彼らの部屋に連れて行きたいと言いたいのだろうけれど、思わず顎を撫でながら考えてしまう。
大前提として隊長は明日きつい二日酔いが待っているだろう。その面倒を彼らに看させてしまうことになる。きっと赤毛の相棒が適切な対応を提示してくれるのだろう(彼が直接対応するのかアルパカに任せるのかは分からないが)。
その点に心配は無いのだが、彼らの手を煩わせてしまった隊長の方が気にしてしまう可能性は大いにあった。
「…… すまない、やはり起こそう。部屋を片付けて、自室まで戻させる」
そう言って俺は隊長の肩を叩いた。
ふと白い頭を上げたアルパカが、どこか驚いた様子で俺を見ていた。
「どうした」
「…… ふくたいちょは、たいちょのこと、もうこどもあつかいはしないんだな」
おそらく彼は先程話していた初対面のときのことを考えていたのだろう。
純粋な質問に、なぜか和んでしまう。相棒の複雑かつ難解な言葉を聞いた後だから、なおさらなのかも知れない。
俺はアルパカに笑いかけた。
「この人は誰より敬意を払うべき人だ、俺にとっては」
ぱたぱたとアルパカの榛色が瞬いた。なるほど、と白い頭が頷く。
微かなうめき声が聞こえ、叩いた肩が動いた。むくりと隊長が上体を起こす。
「…… すまん、寝てたか」
「もういい時間だ。片付けて戻るぞ」
「そうか。そうだな」
部屋の時間を確認すると、隊長はぐうっと背中を伸ばした。軽く寝ていたからか、数分前よりもすっきりとした表情をしているが、もって30分もないだろう。
空いたボウルとカトラリーをすべて鍋にしまい、隊長が持つ。ボトルは空いている分だけをカトラリーを入れてきたバッグに詰め自分が持ったが、この采配は途中で隊長が倒れたとしても破損が無いという判断だった。
部屋を出たところで、鍋を持つ隊長へアルパカが心配げに声を掛けた。
「だいじょうぶ?」
「大丈夫大丈夫、落とさないって」
「もっていく?」
「鍋を?」
「たいちょとおなべ」
「俺ごとかあ」
「だいじょうぶ?」
「うん、ありがとう、大丈夫だよ」
「もってく?」
「戻った?!」
見事にループしてきたアルパカの横で、ロレンソがケタケタと笑う。今の時間、隊長室の並ぶ部屋に誰がいるとは思わないが念の為「静かにしろ」と一言添えた。
「おやすみなさい」
「よい夢を」
夜の挨拶を交わし、我々は自室の帰路に就いた。
自室のある棟に入る際に一度屋外に出るのだが、夜の風は柔らかだ。あともう少し季節が進むとしっとりと質量を増してくるだろう。
棟を渡ったところで、隣を歩く隊長のつむじを見下ろし、声を掛けた。
「今日は、何かあったのか」
「え」
唐突な質問だったろう。俺を見上げた彼の顔は半分寝ぼけている様子だった。
なぜそんなことを聞かれるのか分からないと如実に顔に書いてある隊長へ、もう少し言葉を足した。
「今日からオフだろう、急にこんな量の酒を飲まずとも日を掛けてゆっくり飲めばいい。
飲まなければならない理由があったのか」
「ああ…… それかあ」
歩みを止めぬまま、隊長は緩く笑った。そうして俺を…… いや、俺が持っている空いた瓶を見やった。
「それは『退職者』が持ってきてくれた酒なんだ」
「…… そうか」
そうだったのか。
俺は今一度、空になってしまった瓶を見つめた。
『退職者』とは二通りの意味がある。一つは何らかの事情で傭兵稼業から足を洗った者、もう一つは、戦死者だ。
先の作戦では『ナックブンター』にも戦死者が出た。隊長のバディだった子以来だろう。
「今度一緒に飲もうと言っていたのを思い出したんだ。
思ったよりも量があって、なんで彼がいる間に開けなかったんだろうと思ってな。
気持ちが、───」
彼の言葉が、その先が続かない。自分が抱えている感情を表す言葉を見つけられないでいる。
俺へ伝えるための言葉の中で相応するものが見つけられないのか、それともそもそも彼自身が自分の感情を噛み砕けていないのか、ここからでは分からなかった。
ただ、止まってしまった先の沈黙が、むしろ言葉以上に滲んでいたように思うのだ。
俺も俺で彼に返す言葉も見つけられず、黙ったまま自室の前まで辿り着いてしまった。
一度鍋を俺の部屋に戻し、彼を部屋の方へ送る。すぐ隣だと言うのに、隊長は「ちゃんと戻れる」と俺が部屋を出るのを押し留めようとした。
「そんな断るほど大した距離じゃないだろう」
「大した距離じゃないから大丈夫だと言ってるんだろ」
「お前の今日の酔い方は重症だ。ベッドに辿り着く前に行き倒れては困る」
そう強く押すと隊長は言い詰まり、軋んだ音が聞こえそうな頷き方をする。
本当に他人の手を借りるのを厭う人だ。そうであるのに、どこか致命的なのだ。致命的に、…… 危うい。
そうして自分もまた、誰かを助けている自分を作りたいのかもしれない。この人の隣は、容易く優位に立ててしまうのだ。隊長という立場と倒錯し、それは奇妙な優越感がある。
…… と、俺を分析したのは
隊長が眠っていた半月の間にいくつか話をしただけで、あの男は俺すら無自覚だった歪みを抉って目の前に差し出してきた。無意識をわざわざ取り出し認識付けるのだ、あの男は。
だが、例え彼の言葉がすべて正しかったとしても、この人の隣を空けるつもりはなかった。
自分がどれだけ歪曲しているのかなど、とうに知れている。
「気分が悪ければ壁を叩いてくれ。水差しと桶を棚に置いておくからな」
「ありがとう、助かる」
ベッドに潜り込み深く息を吐きながら、彼は俺を見上げて苦笑いのように笑う。もう眠くて仕方ないだろうに、きっと俺がここにいる限りは落ち着いて眠ることができないだろう。
壁を叩いてくれと言ったが、異変があれば叩く前に気付ける。
ベッド脇に座り、彼の額を触るとやや熱い。これは明日、きついだろうな。
「今度は」
隊長室に残してきたボトルを思い出しながら声を掛けた。
「一緒に酒を空けよう。隊の飲み会に出してもいい。そうしよう」
「…… ああ、そうだな。それがいい」
一人で背負うことはないのだ、彼も、俺も。
おやすみと彼は言うと目を閉じた。スコンと眠ってしまいそうであったが、長居をすることなく俺も部屋を後にした。
翌日、予想通りグロッキーな物音が隣から聞こえ、胃薬と水とを持って扉をノックした俺に、彼は不可解とばかりの表情で尋ねるのだった。
「…… 昨日、隊長室で三本目を開けたあたりからの記憶が無いんだが」
「そうだろうな。その後三本空けてるぞ」
死ぬ、と隊長が呻いた。
さすがに『星』をもってしても一晩で通常状態までは『再現』に持っていけなかったのだろうな。
酒で記憶を飛ばしているうちは、まだ平和な話しだ。
(今夜はここまで 了)
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