価値を示せ
その夜。
ララの家の火が入れらていない暖炉の上で、俺は単なる置物と化していた。
ララはずいぶん前に寝室に下がってしまい、リビングには誰もいない。家の中は、しんと深夜の静けさに包まれている。
外も、たまに酔っ払い男どもの喚き声が聞こえてくるぐらいで、それ以外はまるで夜の雪原のように静かである。
俺は兜になってから、一度も眠気というものを感じていない。
脳や肉体がなくなったのだから当然かもしれないが、俺にはもう睡眠というものが全く不要らしい。
それは表面的には便利なようでもあるが、よくよく考えてみると非情に怖いことだ。
死ぬことも、眠ることもない。
目を逸らすことのできない、永遠の孤独の中に取り残されるようなことになったら……どうなるのだろう。
そう改めて考えて、俺はゾッとせずにはいられない。
深夜という時間がそうさせるのか、鬱々としたような気分で闇を見つめていると、キィ……と家の外、すぐ近くから音がした。ドアを開ける音だ。
――セリアさん?
姿は見えないが、音はすぐ右手の隣家からした気がした。そして、女性らしき足音がコツコツとララの家の前を過ぎていく。
するとほどなく、ギシギシと階段を下りてくる音がして、ララがリビングに姿を見せた。
シャツにホットパンツ、胸当てに一本の剣という、昼間見たのと同じ格好をしている。
「二人とも、どこに行くんだ?」
尋ねると、ギクッとしたようにララがこちらを見る。
「な、何よ……? アンタ、起きてたの?」
「起きてたというか、俺はこの姿になってから睡眠が必要なくなったんだ」
「そ、そう……それは大変ね」
「で、どこに行くんだ? しかも、そんな格好で」
「アンタには関係ない。これはアタシたちの問題よ」
「剣が必要になる問題なのか?」
「――――」
闇の中、ララが息を呑む音が微かに聞こえた。
どうすべきか考えあぐねるような、戸惑う瞳でララはこちらを見つめる。が、やがて嘆息して、
「……昼間、妙な男たちが店に来ていたのを見たでしょ」
「ああ」
「あれは、コルケ・カピドゥス――香水郷って呼ばれてる貴族の手下よ」
「香水郷……?」
「香水で莫大な利益を得て名を上げた貴族だから、広くそう呼ばれてるの」
「へえ……。でも、どうして貴族の手下がセリアさんに金をせびりに来るんだ?」
「せびってる、っていうのはちょっと違うわ。セリア姉は店の売り上げを確保するために、カピドゥスの作る香水を店で売らせてもらっているの。あの男たちは、その上納金を取り立てるために雇われてる連中なのよ」
「なるほど……。そういえばセリアさん、上納金がどうとか言ってたな」
ええ、とララは刃物のように鋭い目をしながら頷く。
「でも、どうやらカピドゥスは上納金だけじゃ満足できなくなったらしいわ」
「……?」
「セリア姉を愛人にしようとしてるのよ。そのために、あのクズ……上納金の額を勝手に引き上げて、それが払えないなら愛人になれ、でなきゃ取引は打ち切る、ってセリア姉を脅してるの」
「なっ、なんだと……!? それは間違いないのか? 実際にお前も聞いたのか」
「聞いたわ、セリア姉からね。この店を守るためには仕方ないのかなって……すごく悩んでた」
そう言って、ララは怒りと悔しさがない交ぜになったような顔で歯噛みをする。
「……ダメだ。そんなのは間違ってる」
俺はまだ二人にとって、ほとんど部外者のような人間だ。だが、それでも言わずにはいられなかった。
「亡くなったセリアさんの両親だって、この店のために自分の娘を差し出したいなんて……そんなことは思ってないはずだ」
「当たり前よ。だからアタシは――」
「俺も協力する」
「言ったでしょ。これはアタシたちの問題なの。関係ないアンタは巻き込めない」
「こんな状況で何を言ってるんだ。お前が守りたいのはプライドなのか? それともセリアさんなのか? そう考えたら、断ることなんてできないはずだ」
我ながらエラそうなことを言ってると思う。だが、セリアさんの身の安全がかかっている以上、言うべきことは言わねばならない。
ララもそれは解っているのだろう。歯がゆそうな顔でしばし沈黙してから、
「……アタシはセリア姉を、本当の姉だと思ってる」
そう、静かに口を開いた。
「血も繋がっていない、それどころか種族も違うアタシのことを、セリア姉は受け入れて、そして色んなことから守ってくれた。アタシがここまで生きてこられたのは、セリア姉のおかげ。本当にそう思ってる。
だから、次はアタシがセリア姉を守る番……。何かあったら、自分の命を懸けてでもセリア姉を守ろうって決めてきた……。なのに、ここでアンタの力を借りたら……」
「覚悟を捨ててしまったような気がする?」
言うと、ララは思い詰めた顔で小さく頷いた。
気持ちは……解る気がする。俺も、妹がいるからな。妹を守るのに、他人の手を借りなくちゃならない、自分の無力さを認めなくちゃならないのは、確かに癪に障ることだ。だが、
「別に、そう思い詰めることじゃない。覚悟は――分かち合えるはずだ。想いが同じでさえあれば」
「想いが同じ? アタシと、アンタが?」
カチンときたような目で俺を見る。
「ああ、同じだ。俺も、何があってもセリアさんを守りたい」
「どうして? まだ会ったばかりなのに」
「そんなことは関係ない。お前はさっき、セリアさんは種族の違う自分も受けれてくれたと言ったが、それは俺も同じだ。セリアさんはこんな俺にも初めから隔てなく接してくれた。そんな優しい人を放っておけるはずなんかない。――それに、めちゃくちゃ美人だしな」
「……最後のが本音のような気がするけど」
「そんなことはない。最初に言ったほうだって本音だぞ」
「まあ、いいわ。でも言っておくけど、アタシはまだアンタを完全に信用したわけじゃないから。確かに、その……一度は助けられたけど、それとは話が別よ」
「当然だろう。だからこそ、ここでもう一度、俺を試してくれ。本当に信用に値するのかどうかを」
「言うじゃない。じゃあ、しっかり働いてもらおうかしら」
ララはニヤリと笑い、昼間とは違ってすっかりキレイになった俺をその頭に被った。
と、俺の兜からララの肢体へと黒い紋章が這い下りる。俺たちが『同期』した証だ。
ララは紋章が入った自らの手や足をどこか気味悪そうに見てから、玄関脇に置いてあったカゴ――昼間も背負っていた、大きな石がゴロゴロ入ったカゴを背負った。
「どうしてそんな物を持っていくんだ?」
「必要だからに決まってるでしょ」
ふむ……なるほど、必要だと言うからには必要なんだろう。
俺は主人の言葉に大人しく納得して、ララと共に夜陰の中へと忍び出た。
――自らの価値を示せ。
これは自分の居場所を作るための、俺個人としても大事な戦いだ。ララのいい匂いにクラクラしてる場合じゃない。
しくじるなよ、俺。
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