電脳蒸気怪奇譚

牧野大寧

霧の中のコンピュータ

コンピュータの中で何が行われているのか、きみは知っているだろうか。

秘められた謎。

きみの目の前にあるスクリーンは、時に奇妙な振る舞いをすることがある。

知りえない出来事。

文字化け。

シャットダウンしたコンピュータは、きみが次に起動するまでその時を静かに待っているけれど、きみが意識していない時間もただただそこにいる/あるだけなのだろうか。

ゆっくりとやってくる恐怖。

永遠に流転する電子の波の中にたしかなものはあるのだろうか。

森の中から鹿が飛び出してきて、顔だけをこちらに向けた。

グリッチと呼ばれるゲームのプログラムバグ。

鹿は、姿を消す。

きみは/わたしはコンピュータの中で何が行われているのか、知っているのだろうか。





気付けば夜になっていて、きみは知らない建物の廊下の窓から外を眺めていた。きみが昔通った中学校かもしれなかった。外はあまり良く見えずぼやけていて、窓に手を触れてみると、指先をなでるガラスの傷や汚れ、その冷たさを、きみはどこかで触ったことがある気がした。長い廊下の奥で音がした。こちらを呼んでいるかのように、突き当たりの部屋の擦りガラスから、ほんのすこしだけ光が漏れていた。仕方ない、そちらに行ってあげますよ、ときみは思う。何が仕方ないのか、誰に対して思ったのかも分からないが、いくつもの部屋の扉を横目に通り過ぎて、あのぼんやりした光を目指す。扉の上に「二年一組」という表札が見えた気がした。そういえば、自分は何年何組として学校生活を送ったのだろうか、きみは思い出すことができない。廊下の一番奥の部屋にたどり着くと、そこはコンピュータ室だった。表札にそう書いてあったからだ。重そうな扉を引くと、ドア枠がガタついていて途中で引っかかったが、きみは体をすべりこませる。コンピュータがならんだ長いテーブルが三列あって、一番奥のコンピュータのスクリーンが白く光っている。部屋には誰もいない。ついてるコンピュータの前まで行き、オフィスチェアをひいて座ると、きみはスクリーンの光の中に入っていた。



 コンピュータの光の中に永遠が見えた。ほしいものが買ってもらえず泣き叫ぶきみを、怒った顔でにらみつける母が見えた。今は連絡先も知らない、かつて仲が良かった、転校していったクラスメイトが見えた。約束を守らないことを繰り返し、別れてしまった恋人が見えた。全ての可能性の未来が見えた。これから起こるだろうことが見えた。きみが送る別の人生が見えた。コンピュータの中に全てがあった。そして、コンピュータの中には何もなかった。全ての出来事はコンピュータの中で起こっていた。コンピュータはありとあらゆる可能性を計算した。しかしそれは嘘だった。メモリーはCPUには一切の情報も渡していなかった。それなのにCPUは計算結果を吐き出し続けていた。存在しない計算処理の結果だけがコンピュータを動かした。スクリーンに表示される映像は偽物だった。コンピュータは平然と計算を続けている。CPUは存在しない思い出を計算しているのか、あるいは別の宇宙に思いをはせているのか。分からないことが多すぎた。高密度に集積された電子回路の中から、誰のものでもない白昼夢が、泡のように浮かび上がってきた。この夢は、コンピュータのどこから現れたのだろうか。

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