第9話 家政"夫" あなたを幸せにしたい

「じゃまずは家族のことから。何故、家政夫をしているのか、そこから教えてください」

「わかりました」


 ゆっくりと時が流れているようなマルコで、京介と康太は、ゆっくりとランチを楽しんでいた。

 食事を楽しみながら康太は自分の過去を話しはじめた。



 幼少期の康太の記憶に、家族3人で仲睦まじい様子のものは何一つなかった。

 父親はいつも家におらず、帰ってきてもそれは深夜で、康太が起きる前にはまた仕事へと出て行っていた。康太と父子の会話などもちろんない。だから康太にとって父親は、『写真の中にいる人』でしかないのだった。


 家では母とふたりきり。ご飯を食べるのも寝るのも母とふたり。そんな母はいつも不機嫌で、食卓に楽しい会話も笑顔もなかった。


 保育園から帰る時間になると迎えに来た母たちに他の子どもたちは名前を呼ばれ、みんな笑顔で元気よく母に抱きつき、手を繋いだり、抱っこされたりして帰っていく。しかし康太はというと


「こうた、かえるよ」


と母に言われ、自分の荷物を自分で背負い、母のそばまでいく。

 すると母はくるりと向きを変え、車の方へスタスタ歩く。

 母に置いて行かれまいと、走って母の後を追いかけて帰るのだった。

 家に帰ってからは、とにかく母を困らさないように自分でできることは自分でした。何かをねだることなく、静かに空気の様に家で過ごす子どもだった。

 子供心に母に少しでも安らいで欲しかったのだった。


 ある日、保育園から帰ると母に大きなリュックを背負わされた。そして手を引かれ車へと乗せられた。手を繋ぐなどどれくらいぶりだろう、康太は嬉しくワクワクした。


「どこいくの?」


返事はなかった。


 かなり車で遠くまでやってきた。

 車が止まった先にあったのは、母の実家だった。家に入ると、祖父母が温かく迎え入れてくれた。


「康ちゃん、あなたが康太くんね。よく来たね。これから一緒に頑張ろうね」


その言葉で、康太は思った。『捨てられるんだ……』と。


 両親が離婚し、それまで疎遠だった母方の祖父母に康太は預けられることになった。母は最後康太を抱きしめ、言った


「康太が悪いわけじゃないの、母さんにはあなたを育てる力がないの、ごめんね……」


そう言って、母は1人出て行った。それから数年、母からの連絡は一切なかった。



 その後、祖父母に育てられることになる。

 祖父母は優しく、多くのことを教えてくれた。

 掃除なども一緒にやらせてもらえることで、昔ながらの方法なども覚えられた。

 この家では空気の様に生きるのではなく、家の中の中心に自分がいれた。温かい、家庭というものを初めて体験していた。


 しかし、その生活も長くは続かなかった。


 突然、祖父が倒れ介護が必要になった。金銭的に余裕がなかったので、施設に行くなども出来ず、誰かに助けを請うことも出来ず、祖母と幼い康太が2人で必死で介護をしていた。


 身体の自由が効かない祖父は日々、苛立ちを募らせていたが、幼い孫の前ではそんな素振りを見せない。だが祖母が1人いる深夜に苛立ちをぶつけ始めた。夜通し罵声を浴びせられている祖母……それをトイレに起きた康太は目の当たりにし、またしても自分の存在を空気の様にして生活することに決めたのだった。


 まもなく祖父は病気にもなり亡くなることになる。立て続けに祖母も亡くなった。

 祖母の法要後、ひとりぼっちになった康太のところへ音信不通だった母が現れた。『また母と暮らせるのかも?』と一瞬考えるも、母の一言目で違うことがわかった。


「康太……ごめん。」


 その後は、母のいとこになる親戚の家へと預けられることになった。10歳の時である。


 世話になる親戚の家には、年齢が康太とあまり変わらない3人の男の子がいて、彼らのためと用意していた子供部屋の一つが康太に与えられた。子どもたちは自分たちの部屋が削られたこともあり、康太を歓迎どころか迷惑といった態度で最初から迎えた。

ここでの生活も康太にとって居心地の良い家にはならなかった。


 親戚に少しでも迷惑をかけまいと自分でできることは何でも積極的に行った。毎朝誰よりも早くから起きてみんなの朝食、お弁当、さらに洗濯などの家事を済ませて学校へ行く。放課後は誰とも遊ぶことなく帰宅してすぐにまた家事を……。家事をすることは康太にとっては決して嫌なことではなく、むしろそれをすることで、叔父叔母から感謝され嬉しかった。



 15歳で義務教育が終わると、高校への進学ではなく家を出るように言われた。金銭的にもこれ以上は面倒見れないと。

 なので住み込みで働けるものを探した。

 そのなかに、家事代行をしている会社があった。そこならば、働きながら夜間の高校にも通えるというのだ。家事は嫌いではないし学校にも行けるとあって迷わず履歴書を提出した。それが今も所属している家事代行の会社なのだ。


 その後は会社の寮に入り、昼間は家政夫として働きながら、夜は定時制の家政科の高校に通った。おかげで家事代行で使える色々な資格を取っていったのだった。


壮絶な過去の話に驚愕した京介は聞く


「両親、親戚の家とは今は?」


「父はどこにいるかもわかりません。

 母は法要後、一度親戚の家に挨拶に来ました。その後は、数年に一度、連絡が来ます。1番最近は、僕が『高校卒業したよ』と手紙に書いたら、おめでとうと電話がありました。母も実は再婚してるそうで、会ったことないですが、僕に妹がいるそうですよ。

 親戚の家には今も毎月一度は電話を僕からしてます、仕送りを送ったので確認してねと。」


「高校卒業って、何年前ですか……それ以来連絡ないんですね……。

 で、親戚には仕送りって言いました?その人たちに?」


京介は慌てて聞く。

「はい。仕送りをしています。」

全く悪びれた感じなく答える康太。


「追い出されたのに?」


「追い出された…とは。んー、10歳から15歳まで育ててもらったので今があります。

 もし、あのとき僕を引き取って育ててくれなかったら僕はきっとどこかの施設か何かに行かされてたんだと思います。

 もっと酷い家庭で住むことになったかもしれない。

 そしたら今のように自分の好きな仕事に就けたかどうかもわからないじゃないですか。

 ありがたいことに、それまでの生活費、学費などは全部出してもらえました。


 だから僕には借金がないんです。


 今ぼくは感謝してます。

 今、稼いだお金で生活できるのはあの時があったからだと。だから仕送りをするのは当たり前のことと思っています」



 天使のような返事をする康太に京介は呆れ顔。

 もっと温かい家庭、家族の中心と思える経験をさせてあげたいと京介は思うのでした。



 大きなお皿のデザートプレートが運ばれてきた。

 皿の中をじっと見て京介は言う


「好きな食べ物も、嫌いな食べ物もないと言ったあなたの言葉、

 僕はあなたは食にこだわりが無いだけかな?と思ったんです。

 でも違った。

 あなたは、わがままを、自分の感情を言葉にすることに慣れてないんですね。

 言ってはいけないものと思ってたんですよね……。

 だから何もないと答えたんだ……。

 康太さん、あなたの好きな食べ物、これは美味しいと思うものを、僕はあなたに食べさせたいって思うんです。

 あなたに幸せを、自分の居場所はここなんだという実感をさせてあげたい。

 僕に遠慮はいりません。

 僕にできることがあるならば何でもしたい。

 今までの25年間、

 言えなかった甘えを、わがままを、どうぞ僕にふんだんに言ってください。

 あなたからのどんな思いをも受け止める器の人間に、僕はなれると思うよ」


 京介は、康太の手の上に手を重ねた。


「ね、康太さん、これからのあなたの人生を僕のできる限りで幸せにさせてもらえませんか?

 僕は決してあなたを1人にしません。

 あなたが話したいと思ったあなたからの話を僕は全部聞きます。

 あなたの要望も聞きたい、聞かせて欲しい。

 あなたを幸福感いっぱいにしてあげたいんです。

 だからどうか僕からの好意を受け取ってください。

 そして僕には、わがままを、甘えたいことを、思いを全部言ってください。

 遠慮はいりませんからたくさん言ってください。

 あなたのしたいこと、やりたいこと、欲しいもの思ったこと全てです。

 僕はいつでもあなたからの話を待っていますから」


 康太は自然と涙が出てきた。

 自分の境遇は常に影にあり、決して幸せではないもののそれでもそれなりに良かったと思って生きてきた。だが京介から自分のために何かをしてあげたい、幸せにしたいと言われた。そんな言葉をもらえることがあるなんて、自分の人生にそんなお伽話のようなことはないと思って生きてきたから、康太は心の奥底にある孤独感が少し癒されていくのを感じ、嬉しさのあまり涙が出てきたのだった。


  この人は本当に受け止めてくれると言うのか……

  僕は…僕は……誰かに甘えたかった……

 

「さ、じゃまずはこれからどうする?どこいきたい?なにしたい?欲しい物は?」

「もう十分です!ありがとうございます。

 あ、でもわがままを言えるなら、一緒にゲームで遊びたいです。僕も友人とゲームしたことないので」


「いいね!そうしよう。んー…じゃぁさ、今夜は宅配ピザってのはどう?一度はやってみたかったんだよね。どう?ピザ嫌い?」

「僕も食べてみたいです」

「じゃ、決まり!」


 2人は、ワクワクしながら、家路へとむかうのでした。

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