第5話 杏玄流にとって価値のある人

 自分史上最悪な誕生日を迎え、しかし晴れて十六歳になった依依。

 本来であれば今頃、仲間達からの様々な意味を込めた「おめでとう」の嵐でうんざりしている予定であった。


 けれど大変残念な事に、そんな状況には一切陥らず。

 むしろ「仕方ないよ」だとか「元気を出して」だとか。

 とかく気遣いの言葉をかけられる日々を送っている。


 唯一の朗報は、誕生日を境に体に巣食っていた謎の症状が綺麗さっぱり完治した事。謎の病を完治し、本来の身の軽さを取り戻した依依は目下筋肉を鍛え直す事に精を出す日々を送っている。


 そんな依依の所に、劉帆リュウホが突然現れた。


「話がある」


 厳しい顔で告げられ、依依は自室に劉帆を連れ込んだ。

 そして現在、大真面目な顔を依依に向ける劉帆が一体何故自分の元を訪れたのか。依依は不思議に思いながら、厳しい顔を自分に向ける劉帆の第一声を待っている所である。


「はっきり言おう。お前は杏玄流あんげんりゅうにとって、もはや目の上のたんこぶだ」


 劉帆は我がもの顔で依依の僅かな財産の一つ、お気に入りの座椅子に腰掛けている。しかも足の間に立てた杖の天辺に両手を重ね、どこか威圧的な状態で依依をしっかりと見下ろしていた。


「わかっていますって」

「いいや、わかっておらん。掌門しょうもんもほとほと困り果てておるぞ?」

「半分は自業自得じゃないですか」


(そもそも仕方がないとは言え、思蘭スーラン公主様との婚約を認めたのは掌門なわけだし)


 依依は不貞腐れた顔で頬を膨らます。


「お前はハッキリと凛玄リンゲンに断りを入れたのか?」

「はい。断腸の思いできっぱりと妾は嫌だと、お伝えしました」


(あれで伝わってないとか、絶対あり得ないし)


 依依は嫌々ながら泉での会話を振り返る。そして確かに自分は凛玄に結婚は無理だと、そして思蘭との婚約を祝う言葉をしっかりかけたと、全くもって不本意な記憶を確認する。


「ならば何故、凛玄はお前を妾にしようと動いているんじゃ」

「知りませんよ。私じゃなくて、大師兄だいしけい本人に聞いて下さい」


 劉帆には冷たく言い放ったが、依依はお節介な仲間によって自分の耳に嫌でも飛び込む凛玄にまつわる情報を思い出す。


 凛玄は思蘭と正式に婚約した事が現皇帝によって公示され、その事実は杏玄流に驚きと喜びを持って受け入れられた。


(そりゃ相手は噂の公主様だし。新米道士の私とよりはずっと杏玄流の為になるでしょうよ)


 依依はやけっぱちな気持ち全開で思蘭にまつわる、嘘か本当か巷での噂を思い出す。


 現皇帝の腹違いの妹である思蘭。

 依依にとっては雲の上の人。そして何かと庶民の噂に上がりやすい人でもある。

 というのも思蘭は、先に起こった後継者争いにおいて、現皇帝の対抗馬と噂されていた第二皇子の同腹どうふくの妹だからである。


(先帝が亡くなり、現皇帝がその座に就くには後宮の妃を含む多くの者が亡くなったと噂されているけど)


 実際の所、それが真実なのかどうかは国民にはわからない。

 というのも、後継者争いで一体何があったのか。

 その事実の多くは現皇帝により伏せられており、国民に知らされる事はなく詳細は未だ不明だからである。


 そんな中、思蘭は長いこと亡くなったとされていた。

 しかしここ数年、先帝がこの世に残した末娘である思蘭が、時折公の場に姿を見せ始めたのである。


(病弱であるが故に後宮に幽閉されていたって噂されているけど)


 それも事実かどうか、庶民には知る由も無い。

 とにかく、ここ数年突然表に現れた御年おんとし二十歳になるという思蘭は、その姿が憂愁ゆうしゅうを備えた儚げで美しい女性であったこともあり、一気に国民の同情と感心を集める事となったのである。


 曰く、「思蘭様は同腹の兄である第二皇子を亡くし、長いことお心を痛められ表に出ることが叶わなかったに違いない」だそうで。


 その結果、兄たちの派閥争いに巻き込まれ、運命を翻弄された悲劇の公主だと巷では憐れむ声が高い。


 よって今回公示された凛玄と思蘭の婚姻に関し、国民の反応は「苦労なさったからね」「よかったね」と賛同する声が大きいようだ。


 そんな悲劇の公主、思蘭と凛玄が婚姻の儀を行うのは来春。

 凛玄は掌門によって「とにかく思蘭との仲を深めよ、気持ちを疑われるような行動をするな」と告げられ、依依と接触する事を一切禁じられているそうだ。


 その結果、凛玄は依依への想いを更に募らせ、拗らせているという状況らしい。


(まるで子どもがおもちゃを取り上げられたみたいにね……)


 凛玄の行動を子ども染みていると思う依依は沈んだ表情になる。


 依依としても確かに凛玄へ抱く感情は「仕方がない」とすぐに割り切れる、簡単な想いではない事は確か。けれど何をどうしたって二人で駆け落ちでもしない限り状況は変らない。

 それに、凛玄が妾として依依を傍に置きたいというその気持が庶民の依依には到底理解し難い感情なのである。


(何があっても妾にはなるのは嫌)


 そう感じる気持ちは、誰に何と言われようと絶対に譲れないものだと、依依は強く心に決めている。


(つまりどうあがいても凛玄兄様と共に歩む未来なんて、私には来ない)


 依依はその事をきちんと理解している。

 しかし凛玄は周囲の話を聞く限り諦め悪く、未だ依依を「妾に」と願っているようなのである。


(凛玄兄様は人一倍努力家なところがあるから、それが裏目に出てるのかも知れない)


 依依は目の前に突きつけられた難題に、困惑した顔で大きくため息を吐き出した。


「このままでは依依。お前は無理矢理にでも凛玄に囲われるぞ?この部屋の鍵は?」


 劉帆が依依の部屋の格子窓こうしまどのついた扉に視線を送った。


「新米道士の部屋に鍵なんてありません。というか、流石に部屋まで押しかけてはこないと思いますけど」

「いや、あいつは今血迷っているからな。何をしでかすかわからん。よし。今日からわしがここに寝てやる」

「は?」


 劉帆の提案に依依は思わず間抜け面になる。


「いいだろう?お前のじじいなのだから」

「確かにじじいではありますけど、ここは狭いので却下です。むしろ私が師爺しやの部屋に泊まる方向で」

「ふむ。確かにそうじゃな」

「……じゃなくて。師爺、話が大師兄だいしけいの事であるのならば、もういいですか?私は死者をキョンシーにする練習をしたいんですけど。近々初任務に出る予定だし」


 色々あったが、依依は正式に影玄部かげんぶに所属する道士となった。


(初の任務が地方出張。しかもキョンシーを引き連れてとなると不安しかないし、生きて帰れる気もしないけど)


 それでも掌門からの勅命ちょくめいであれば、やらねばならぬのである。

 そして避けて通れない道であっても、もがく事くらいはしたいと依依は思う。


「依依、お前にはまだ無理じゃ」


 劉帆がやけに真面目な顔をして依依に酷な言葉を告げる。


「正直私もそう思います。だけど私がこの先も杏玄流の道士として生きていく為には、無理だと思っても挑まなければいけないのです」


 床に座った状態の依依は、膝の上に置いた手を固く握る。


「満月のキョンシーは凶暴化する。新米のお前に道長任務は荷が重すぎる案件だ。儂だけではない。誰もが内心そう思っているぞ」


 劉帆の言葉に依依は唇を噛みしめる。


 依依が出発を命じられたのは上弦の月の頃。

 自分に都合よく計算しても目的地とされる場所につくまでに確実に満月を迎える計算になる。しかも初任務であるにも関わらず、単独任務な上に連れ歩くキョンシーは全部で八体。

 この数は新人につけるキョンシーの数としてはあり得ない数であると依依も理解している。


(つまり、この任務に最初から帰る予定は組まれていないということ)


 そんな任務を任命した掌門は依依の事を既に大事な仲間だと思っていない。


「掌門に見限られたって事くらいわかっています」


 依依ははっきりと口にして、悔しさがこみ上げる。

 確かに杏玄流の跡取りである凛玄と依依ではその命の重みが違うのだろう。


(わかってるけど)


 それでも依依は自分が運命とやらに抗わず死が待つような、そんな任務を引き受けるしかない状況を腹立たしく感じてはいる。


「依依。お前はそこまでして杏玄流に恩を返す義理があるのか?」

「それは……ここまで育てて頂いた恩があります」

「しかし、それはお前が望んだ事ではないだろう。たまたまここで生まれ育っただけじゃ」

「そうですけど、でも私には他の人より得意な事って、杏玄流で習得した武術と法術くらいしかないですし」


 いっそ破門してくれと願う気持ちもある。

 けれど、破門されたとしてこの先どう生きて行けばいいのかわからない。

 閉鎖された武人の山。杏山あんざんで生まれ育った依依には外の世界の仕組みが想像出来ないのである。


(どっちにしろ私は野垂れ死ぬ運命なんだ。折角道士になったのにあんまりだ)


 依依は逃げ場のない自分の人生。

 そして道士になるべく修行した全てを活かす機会を与えられる事なく、無駄に終わりを迎える事になりそうな自分の儚い人生をひたすら悔しく思うのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る