第3話 最悪な誕生日
雲ひとつない晴れ渡る空。その開けた空を
(まるで、私を祝福してくれているみたい)
朝の鍛錬を済ませ、湯浴みをしようと居住区に戻る道の途中。誕生日の朝を無事に迎える事が出来た
無事湯浴みを済ませた依依は簡単な
(お誕生日おめでとう、私)
鏡に映る自分は、晴れやかで幸せそう。ただし咳き込むせいで続く寝不足の結果、目の下には色濃く隈が出来ている。
(でも、いつもよりましな気がする)
(自分で言うのも何だけど、私可愛くない?)
利発そうな瞳に薄く桃色に色づく頬と唇。それが化粧のせいだとしても、ここまで化けれれば問題はない。
それに、今は亡き両親はここ杏山で一番の美男美女だと
つまりそれは。
(遺伝子的に優れているという事よね?)
依依はだから自分は容姿に恵まれているに決まっていると得意気な顔で鏡に映る自分に微笑む。
それに、凛玄は饅頭の食べ過ぎだと依依を時折揶揄するが、依依は別に太っているわけではない。むしろ最近、体調不良が続き食が細くなったせいで筋肉が落ちた。
(何とか元に戻さないと……)
鏡に映る自分の体は、たまに使いで訪れる
(むしろ、動きやすいし)
だから若干貧相な体は仕方がない。目下の問題は落ちた筋肉だと、依依は全力で自分を援護する。
(それに私はまだ十六だし)
これから凛玄にもっと褒められ、甘やかされ、きっと女性らしさが花開くに違いないと依依は確信を持って鏡を見つめる。
そして依依は鏡に映る完璧だと思う存分言い聞かせ、自分の髪に手を伸ばす。
普段の依依は長い髪を頭の天辺で一個にまとめ、
(でも今日は正装だから)
依依は慣れた手付きで両脇に下ろした髪をそれぞれ耳の上でくるりとまとめる。そして再度後ろに垂らした髪に櫛を入れたら完成だ。
「可愛いよ、私。むしろ完璧すぎて怖いかも……コホッ、コホッ」
胸を押さえ咳き込みむ依依。それでも何とか鏡に映る自分に微笑みかけ、ようやく部屋を出たのであった。
★★★
「依依、おめでとう」
「おめでとう」
「ついに、
「全然秘めてなかったよな?」
「先ずはお誕生日、おめでとう」
回廊ですれ違うたび、仲間から温かい言葉と
「ありがとう」
依依は仲間たちの優しい気持ちに、照れながらも礼を返す。
「依依は
「いや、
「半々ってとこか?」
依依は友人達のそんな噂話を耳にしながら目的地へ向かう。
(そりゃみんな気になるよね。私だってみんなの配属先は気になるもん)
杏玄流に籍を置くものにとって、一人前と認められ、配属先が決まる十六歳の誕生日は自分にとっても、そして仲間にとっても重要な日なのである。
(ま、私はどうであれ、使命を全うするのみですけれど)
依依は襟をただし歩く速度を早めた。
そして程なくして依依は
杏玄殿は緑色の屋根を持つ大きな御殿だ。
白色に塗られた御殿の壁面には、八角形にくり抜かれた窓がある。
訪れる者の目を楽しませ、そして中に入ると外の景色に全く別の深い意味をもたせる事が出来る
そんな美しい窓が連なる建物の中に依依は恐る恐る足を踏み入れた。
(わ、勢揃い)
室内には既に掌門とお偉方が勢揃いしていた。
依依は粗相のないようにと緊張した面持ちで気を引き締める。
前方の小上がりに立つのは掌門だ。依依と同じ形の深衣に身を包んでいるが、一際凝った刺繍が施された
どこか
そして壁に沿って左右に並ぶ老年の道士達の中に依依は劉帆の姿を見つける。
何となくその表情が固いような気がしたが、それもまた特段気にすることはない。
(きっと
依依はチラリと劉帆に視線を送る。すると劉帆が小さく頷いた。それを見て少し緊張が解れた依依は口元をしっかり結び、真っ直ぐ掌門の元へと向う。
依依は掌門の前で固く握った右の拳を、立てた左手の平に合わせ頭を下げる。
これは
「掌門、参りました」
「待っておったぞ、依依。お前に道士の符籙を伝授しよう」
掌門の声に応え、控えていた道士が木の盆を持って依依と掌紋の脇に立つ。盆の上には文字の書かれた
「これはお前の身分証代わりでもあり、守り札ともなる符籙である。邪を払い、病を治す効能があるものだ。これを常に身につけさらなる修行に励むように」
掌門の言葉を待ってから、脇に控える道士がうやうやしく盆を掌門に差し出す。
掌門は盆の上から符籙を手に取る。そして依依に厳かな空気と共に符籙を手渡した。
「ありがとうございます」
依依は両手で符籙を受け取る。
そして今までの決して平坦とは言えぬ辛い修行の日々が脳裏に駆け巡り、感慨深い気持ちで符籙をまじまじと眺めた。
とその時――。
「父上、一体どういうことですか!!」
突然場の空気を一転する怒鳴り声が室内に響く。
「説明を願います」
怒りの籠もった声と共に現れたのは凛玄だ。
依依は驚きと共に自分の横に並んだ凛玄の横顔を盗み見る。
(え、怒ってる?)
吊り上がった目、ワナワナと震える体。
そもそも礼儀を重んじる武道の世界で、挨拶すらせず乗り込んできた凛玄。
(どうしたんだろう?)
依依は明らかに様子のおかしい凛玄にひたすら困惑しその場で固まる。
「父上、説明を」
「ここでか?」
掌門がチラリと依依を見た。掌門の顔に浮かぶのは珍しく動揺といった感情。
そんな厄介に思える掌門の表情に気づいた依依は、嫌な胸騒ぎがし思わず眉を顰める。
「説明も何も、お前の結婚相手は
「ですが私は」
凛玄は何かを言いかけた。
しかし厳しい顔を向ける掌門に睨まれ観念した様子で口をつぐむ。
(一体どういうこと?)
依依は耳に飛び込んできた言葉を理解しようとするが、心が拒絶する。
けれどそれは一時凌ぎでしかないと、依依は掌門が口にした言葉を噛みしめ、状況を整理する。
(つまり、大師兄の結婚相手は私じゃないってこと)
事実を受け止め、依依は愕然とする。
「お前達が思い合っているのは重々承知している。しかし結婚とは惚れた腫れたで行うものではない。ましてや凛玄、お前は杏玄流の跡継ぎだ。杏玄流の繁栄のため、より強い力を婚姻により得る事は何も間違ってはいない」
諭すような掌門の言葉に小さく頷く老年の道士達。
(そりゃそう……だよね……)
依依はあまりに予想外の出来事だったため、何処か他人事気味に思わず納得してしまう。
(杏玄流の発展のためか。わかるけど、でも)
依依はじわじわと自分の心に納得出来ない、そんな気持が込み上げてきた。
現状、自分に関係のない場所で起きた話であれば、名のある家に生まれた者の宿命だと思うくらいには理解出来る話である。しかし自分の身に同じ状況が起こってみると、いくら杏玄流の為とは言え、到底「はいそうですか」と素直に身をひける気がしない。
(これはきっと悪夢だ)
まるで現実味がない話に、依依は思わず頬をつねる。
すると残念な事に確かに頬に鋭い痛みを感じた。
「では、父上。私が
隣に並ぶ凛玄の口から思いもしない言葉が飛び出し、依依はこれ以上ないくらい目を丸くする。
(え、今度は何?)
依依は何の冗談だろうと隣にいる凛玄の顔を見上げる。
すると凛玄は冗談を微塵も感じさせない、見事なまでに真剣な表情を掌門に向けていたのである。
その瞬間依依の心に大きく亀裂が走る。
(その発想はなかったよ、凛玄兄様……)
依依の心に衝撃と共に怒りが沸き起こる。
そしてそんな言葉を口にした凛玄を残念に思う、あまり良くない感情がこみ上げた。
「それは、今この場で問う事ではないだろう。今は依依の苦労が報われる瞬間だ。凛玄、頭を冷やせ」
掌門の厳しい声が響く。
その声を耳にしながら依依は今すぐこの場から逃げ出したい気持ちを何とか堪える。
「依依、すまない。例の場所で待ってるから」
凛玄は囁くように口にすると、依依の返事も待たず掌門に抱拳礼を取った。
それから両脇に控える老師たちにも礼を取り、凛玄は杏玄殿から静かに立ち去ったのである。
「凛玄はしばらくあんな調子だろう。私もお前と凛玄の仲を割くような事になり胸が痛い。だが、杏玄流の道士として、お前が取るべき最良な方法はわかるな?」
掌門は眉根に皺を寄せ、まるで依依を脅すような言葉をかける。
(胸が痛いだなんて、調子のいい事を言っているけれど)
結局は権力を得るため、掌門は依依を切ったのだ。
そして依依に凛玄を思う気持を捨て、わきまえろと。
つまり明らかに身を引けと口にしているのである。
そんな状況に依依の中にえも言われぬ怒りが込み上げる。
「大師兄に私ではふさわしくないという事ですか?」
「悪く思うな。これもまた運命なのだ」
「運命……」
依依は掌門から発せられた言葉を噛みしめる。
(運命だから諦めろとか、そんなの納得出来ないし、悔しい)
依依は今まで、道士になるべく辛い修行にも耐え、そして真っ当に生きてきたつもりだ。それに凛玄と思いを確かめ合ってからは凛玄を支える為と、より一層稽古に励んだ。
(それに、運命は自分の努力で切り開くものだって)
何度も修行中、先輩道士達に励ますようにかけられた言葉。
それが今や手のひらを返したように、運命だから諦めろと告げられているという状況。
(わけがわからない)
都合よく解釈を変え、掌門が依依にかけた言葉。
その言葉を浴びた依依の頭は混乱する。
(自分の努力全てを否定されている気分なんだけど)
依依はそう感じ、虚しさと共に伝授されたばかりの符籙を強く握りしめた。
しかし何とか堪え、依依は掌門に尋ねる。
「私の所属先は」
「
依依は掌門の口から飛び出した言葉の意味を理解し、あまりの仕打ちについに言葉を失う。何故なら、道長とは旅先などで死亡した者を法術によりキョンシーにし、故郷へ連れ帰る為、夜な夜な旅をする者のこと。
(つまり掌門は私をここ
自分に対する状況を把握した依依は全てを虚しく感じた。
同時に抱える怒りがふっと消え、体から力が抜ける。
「わかりました。ありがとうございます」
依依はしっかり掌門に対し抱拳礼を取った。そして左右に並ぶ老年の道士達にも同じように頭を下げる。それから有無を言わさぬ勢いで足早に、まるで逃げるように杏玄殿から立ち去った。
「あくまで私を厄介払いしたいと。そういうわけなのね」
あまりに衝撃的で思いもよらぬ一連の事実。
依依は自分の心が今まで縋っていた全てのものから急速に冷めていくのを感じたのであった。
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