第10話 中央調査隊

 格納庫でブルーインパルス5番機の機体を眺めていた神崎に、

 「なに自分の機体見てるの?」と美香が声をかけた。

 その声の方に振り向くこと無く、磨きこまれた濃いブルーの機体に外の陽光が映し出され輝くT2を慈しむように見つめながら、

 「こいつとも別れることになるかもしれない・・なと思ってさ」と言って美香の方に振り返り様ぎこちない作り笑いを神崎は浮かべた。

 寂しさを滲ませた笑顔には、ブルーインパルスのパイロットから外されるのではないかという不安が素直に表れていた。美香に対して素の自分を見せることに何のためらいもなくなっている神崎の心情を、美香はもう随分前から知っている。優しい言葉をかけてあげたい。しかし、照れくささがその気持ちを抑える。そんな自分の性格が美香は嫌で仕方が無かった。周りからはボーイッシュで男勝りに見られていても、その内面には人一倍優しく人を気遣う心を持っている。

 「何バカなこと言ってんのよ。それより、こんな所で油売ってていいの?」優しい慰めの言葉を掛けられない自分を呪いながらも口からは勝手にいつもの調子で言葉が出てくる。

 「報告書、書いてんじゃないの?」

 「9時からずっと書いてんだぜ、ちょっと休憩しないとさ」

 「まだ10時過ぎたばっかじゃない。なにが休憩よ」

 「俺は机に向かうのは1時間が限界なの」

 「なに偉そうに言ってんのよ」いつもの美香とのやりとりに、神崎は滅入った気持ちが徐々に和らぎを取り戻していくのを感じていた。美香が思っているような優しい言葉よりも、神崎はいつもの美香の言葉が嬉しかった。

 「なんだ、なんだ、翔太じゃないか。落っこちた割には元気だな。大丈夫なのか体は?」

 新田が二人のやり取りを聞きつけ割り込んできた。

 「はい、あの後、病院で検査したんですが、どこも異常なしでした」と自慢げに胸を張って見せた。

 「ほんと、体だけは頑丈ね」と美香の言葉に重ねて、

 「まったく体だけはな」と新田が言った。

 「なんすか、その棘のある言い方は」

 「まあまあ・・」と新田がなだめるように右手を前に出し上下に揺さぶり、その手で神崎の肩を掴み、グイッと自分の方に引き寄せ、耳元で尋ねた。

 「調査隊に何か聞かれたか?」

 「はい、部外者にブルーファルコンの事を話したか?とか、基地の外にはいついつ外出したか?とか」二人は急に小声で話し始めた。その二人に美香も寄ってきて小声で聞いてきた。

 「私も聞かれたわ。調査隊って何なんですか?」

 「スパイを探してんのさ。アメリカへの情報提供者が基地内にいるんじゃないかと調べているらしい」

 調査隊の名称は中央調査隊。防衛庁長官の直轄の組織で自衛隊内部の不正などを調査する組織である。その調査隊が松島基地に来たのはブルーファルコンが墜落した翌日の10月16日の午後だった。栗林防衛長官が早速動き中央調査隊を松島基地に派遣したのだ。

 派遣されたのは鈴木三佐をリーダーとする計四人であった。彼らがやってきた昨日の午後は富樫司令とずっと話をしていたという。そして、今日の朝から隊員一人一人に個別に聞き取り調査を始めた。真っ先に話を聞かれたのが神崎だった。その時の模様を神崎は二人に話し始めた。

 8時半にブリーフィングルームで事故報告書を書く準備をしていると、

 「神崎三佐、ちょっとお話いいでしょうか?」と話しかけてきたのが鈴木三佐だった。事故調査という名目の聞き取りだと言ってブルーファルコンのパイロットに決まった時からの事をあれこれと聞いてきた。始めは警戒し身構えていた神崎だったが、穏やかな表情に時折笑みを浮かべながら物腰の柔らかい口調で尋ねられているうちに警戒心が薄れ雑談めいた事まで話すようになっていった。威圧的に追求する聴取とは異なり、聞き取り対象者をリラックスさせ、聞き上手に徹することで話しやすい状況を作り出すのが鈴木の聴取スタイルだ。神崎のような単純な性格の対象者は鈴木にとって苦も無く得たい情報を聞き出すことができるのだった。

 鈴木が得たい情報とは誰と接触し何を話したかである。普段話す事も無く、連絡も取り合ったことも無い人物との接触などがあった場合には、その人物の連絡先や所在などメモを取りながら詳しく聞いてきた。

 神崎は基地内の宿舎に住んでいるので休日以外は基地から出ることは無く、休日に外出すると言ってもちょっとした買い物に出かけるか、趣味のバイクで牡鹿半島のコバルトラインへ走りに行くぐらいだった。

 「ほう、バイクに乗っておられるのですか?」との問いに、神崎は鈴木がバイクに興味があるものと勝手に思い込み、

 「はい、今年の4月に発売になったヤマハのRZV500Rっていうバイクなんですけど、これが凄いんですよ。なんたって2サイクルの500ccですからね、パワーゾーンに入ってからの加速って言ったら鳥肌もんですよ。乗ってみたかったらお貸ししますよ」とバイクに乗ることを勧めてみたが、

 「いえ、私はオートバイの免許を持っていませんので遠慮しておきます」とあっさり返されたという。

 「あなたって、調査隊に対してもアホなこと話してんのね」

 美香が口を挿んだ。

 「何がアホだよ、向こうが聞いてきたから答えたんだよ」

 「まあまあ、それだけか?翔太」と新田は訊き、神崎が頷くと、

 「俺らみたいな下っ端を調べたところでスパイは見つからんだろうさ。奴らもそんなことは分かっちゃいるが形式としてやっているだけだろう。恐らくスパイは上層部の人間に違いない」と新田は断定した。

 「何か根拠はあるんですか?」美香が尋ねた。

 「いや、無い。俺の勘だ」

 「でたー。班長の勘は当てにならないからなぁ」

 「まったくだ」神崎も美香に同調した。

 「なんだ二人して、これは間違いないって」

 「いやいやいや」神崎と美香は声をそろえて新田にダメ出しをした。

 そこへ「班長―」と新田を遠くから呼びながら松本が駆けてきた。

 「どうした松本?スパイが見つかったか?」

 息を切らしながら「え?なんすかそれ?」と松本はきょとんとした。

 「いや、なんでもない。それよりどうしたんだ」新田が尋ねると、

 息を整え「今、総務部に稟議書を出しに行って来たんですが、そこに、鮎川漁協から電話がかかってきて・・」そこまで話した松本に、

 「鯨でも網にかかったか?」と新田が口を挿んだ。

 「違いますよ。松島基地と名前が入ったオレンジ色のボックス状の物が網にかかったと漁船から無線連絡が入ったと言うんです」

 「なにぃー」と新田は驚いた。

 「それって、フライトレコーダーですよね?」神崎に続けて、

「ブルーファルコンの?」と美香が訊くと、「おそらく、そうだろう」新田は答えた。

 「俺、確かめてきます」そう言うと神崎は駆けだして行った。

 「それがあれば・・」美香は独り言のように呟いた。

 「うむ、ブルーファルコンが落ちた原因が分かるかもしれん」

 新田の言葉を聞いた美香の思いは複雑だった。墜落の原因がパイロットの操縦に起因するのであれば翔太が処分を受け、整備に不備があった可能性があれば自分たちに処分が及ぶ。美香の眼差しは一点を凝視してはいるものの、様々な思考を巡らせるあまり瞳に映るその映像はバックスクリーンに映し出される背景画のようにぼんやりとしていた。

 思案顔の美香が何を考えているのか新田にはおおよその見当がついた。

 「なあ、美香・・、松本も」と二人に新田は静かに話し始めた。「俺たちが関わって来たブルーファルコンは開発中の戦闘機だ。戦闘機の開発には膨大な時間と金が掛かる。試行錯誤や失敗は付きものだ。相当のリスクを覚悟しなければ戦闘機など造れない。墜落することも想定済みなのさ。その原因を究明し改善しなければ完成はあり得んのだ」一呼吸置いて美香の方を見て続けた。「おまえが心配しているのは、その原因が分かれば翔太や俺たちが責任を取らされるんじゃないかということだろう?」

 美香は新田を見ながら僅かに頷いた。

 「翔太がなぜブルーファルコンのパイロットに選ばれたか知っているか?」

 「詳しくは・・」美香の言葉に重ねるように、

 「自分は誰かから聞いたことがあります」松本が言った。「ブルーインパルスのパイロットの中でも翔太が一番上手いからだって」

 「そうなんだ。伊達に5番機を任されているわけじゃないんだ。エリートと言われるブルーインパルスのパイロットの中でもあいつは操縦の技術だけじゃなく咄嗟の判断力や対処が一枚上手なのさ。だからブルーファルコンのパイロットに選ばれたのさ、分かるか?」

 美香と松本が頷く。

 「今回のような事があっても翔太なら最善の対処をするだろうと言うことでな。そして、俺たちもだ。司令からブルーファルコンの整備の任を言われた時、俺は補佐としてお前たち二人を選んだ。お前たちが一番信頼できるからだ」

 だから、おまえたちが処分を受けるようなことになるのならこの俺がすべての責任を負う。おまえたちのことは俺が守ってやる。新田は言葉に出さずに自分自身に言った。

 「おそらく富樫司令も同じだと思う。だからこそ、あの人は上から誰かを処罰しろと言われたら自分ひとりで責任を取るだろう。優秀だから選んだ者たちを想定内のトラブルで処分などさせられない。もし、誰かが処分されるとしたら、今後ブルーファルコンの開発に携わる者がいなくなってしまうことにもなるからな」

 新田の話を聞き、美香は心の重しが少し軽くなった気がした。すべての不安が取り除かれたわけではないのでスッキリしたわけではないが、翔太が責任を取らされることが無いように思えてきたのが少しは救いになったからだった。どうせなら私一人だけが処分されて、他の人たちは何も処分されなければいいのにと思う美香であったが、そんなことはあり得ないと思い、また溜息を漏らした。

 そんな美香を見て、新田は彼女の肩を軽くポンポンと叩き、

 「心配するな。それより仕事だ。気持ちを切り替えてやるぞ。俺たちの仕事は命にかかわる。ボルト1本の緩みが大惨事につながるからな」と言った。

 



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