第8話 富樫の覚悟
美香は格納庫でブルーファルコンの帰還後の点検準備をしていた。遠くで誰かが叫ぶ声がしたような気がしたが、さほど気にもかけず作業を続けていると、ジェットエンジンが始動する音が聞こえてきた。
「今日って他に飛行予定はないはず・・。え、まさか?」
作業を放り出して格納庫の外へと走り出た美香の視界に飛び込んできたのはアーミングエリアから動き始めたT2だった。
「何かあったな」
振り向くと新田班長が険しい顔つきでその様子を見ていた。後ろから松本が走ってくるのも視界に映り込んだ。
「美香、おまえはここにいろ。俺は管制室に行ってくる。松本、後を頼んだぞ」
そう言うと新田は管制室に走って向かった。美香も一緒に行きたかったが、かろうじて思いとどまった。が、じっとしていられるはずもなく、待機機であるT2の整備班たちがいるアーミングエリアへと駆け出した。
「おい、美香」後ろで松本が呼び止めようとしたが、その声も美香の耳には届かない。
走りながら「何があったの?まさか・・、まさか・・・」と頭の中で最悪の事態ばかりが思い浮かぶ。
「早坂さーん」T2の整備班の一人の名を美香は遠くから呼んだ。その声に一人の隊員が振り向くと、息を切らしながら走り寄ってくる美香の姿を認めた。
「何があったんですか?翔太に、ブルーファルコンに何かあったんですか?」
早坂に近づきながら息を整える間もなく尋ねた。
「自分たちも分からんのだよ。突然管制室から『大至急T2を上げろー』って言われただけで何が起こったかまでは・・」と話す早坂の声を遮ってT2のジェットエンジンが轟音を響かせた。二人がT2に視線を向けると、噴出口からオレンジの光の束が吐き出され、その機体はスルスルと動き始め急速に速度を上げた。
「アフターバーナーを使うほど急ぐの?」と美香が思った時にはT2は地を離れ急角度で上昇を始めた。
「美香」早坂が声をかけた「管制室に行ってみろ」
「でも、今、新田班長が行ってるの」早坂に向き直った美香の目からは不安と心配がこぼれ落ちそうになっていた。
「自分で確かめろ。落ちたわけじゃないだろ、まだヘリが飛んでな・・い」と言っている早坂の目に飛び込んできたのは待機中のヘリに走って乗り込むパイロットの姿だった。
美香が早坂の視線の先に目を向けた。
「イヤー」
喉の奥から絞り出すような声で叫ぶと美香は管制塔に向かって走り出していた。
「なんで?・・どうして?・・うそでしょ?」頭の中で混乱している自分の声が響く。その声を遮断するようにヘリのローターが回り出し、その回転が空気を切り裂き美香の鼓膜を振動させた。
建物の中に入ると美香は管制室へ続く階段を駆け上がっていった。管制室のドアを勢いよく開けると緊迫した空気が美香を包んだ。荒い呼吸を整えながら管制室を見渡すと、管制官の佐々木の後ろに富樫司令が険しい顔つきで立ち、隣で早川がヘリに指示を出していた。新田班長は入口から少し離れた所にあるテーブルの脇に立ち、その横には椅子に座りテーブルに両肘を付き頭を垂れ、額の前で手を合わせている木佐貫の姿があった。
「間もなく金華山上空を通過する」T2のパイロットからと思われる通信を聞きながら美香は新田班長の後ろに近づいた。
「川村二佐、通信が途絶えたのは北緯38度、東経143度付近だ」
「了解。救難信号もその辺りから発信されているようだ。現場付近到着後高度を下げ捜索を開始する」
その交信を聞いた美香は膝の力が抜けたようになりよろけそうになったが、前にいる新田の左腕を後ろから掴み踏みとどまった。新田が振り向き「美香」と小声で呼んだ。
「班長、落ちたんですか?」左手で口元を押さえ嗚咽を堪え、消え入るような声で尋ねた。
新田は声を出さずに頷いた。かろうじて美香を支えていた両足は震えだしたのと同時に膝から力が抜け、木佐貫の隣にある椅子に崩れ落ちるように腰を落とした。
そして、項垂れた美香の口から「どうして?・・」とかすかな声が漏れた。その声に、
「翼が・・、吹き飛んだ・・ようです」と木佐貫が俯いたまま静かに答えた。
「神崎さんは、最後に『脱出する』と・・・、その後、途絶えました」
「ぐ・・」テーブルに突っ伏して美香は嗚咽を堪えた。
「翔太は悪運が強い。きっと・・大丈夫さ」新田が自分にも言い聞かせるように言った。
「ヘリ、上がりました」
「全速で向かわせろ」富樫司令の声に、
「小堀二尉、現場は北緯38度、東経143度。速力最大でお願いします」と早川はヘリのパイロットに指示を出した。
「了解」とヘリのパイロットから返信があった直後、
「海面に漂流物発見」と川村二佐の声がスピーカーから聞こえた。ガバッとテーブルから上半身を擡げ美香は次の言葉を待った。
「ブルーファルコンの機体の一部と思われる。この近辺を重点的に捜索する」
もう、ブルーファルコンが海の藻屑になったことは否定できない事実となった。しかし、美香はその事実を受け入れることはまだできなかった。
「頼む。ヘリが今そちらに向かっている」と佐々木が伝えた。
「了解・・、ん? なにか光った」
「どうした?」
「2時の方向で何か光ったような、花火かもしれん。旋回して確認する」その言葉に管制室の誰もが脱出用パラシュートの救命装備の中にある自分の位置を知らせるための打ち上げ花火だと思った。それを翔太が使ったのだと。美香もそう願った。
パイロットが次の言葉を発するまで随分時間がかかっているような気がした。誰もがT2の旋回には時間がかかることは知っていた。しかし、早くと思う気持ちが感覚を麻痺させ時間を増長させる。長く感じる沈黙を「まだか?」と誰かが苛立った言葉で破った時、
「ゴムボート発見」と通信が入った。しかし、皆はまだ静寂にしてその次の言葉を待った。
「あの野郎両手を振ってるよ。五体満足のようだ。最強の悪運だな」
その言葉を聞き、「よっしゃー」と誰かが雄叫びを上げた。管制室の中は歓声で溢れた。美香はおもわず両手で口を押さえ漏れ出る声を抑えたが、目からは涙がこぼれ落ちた。新田が美香の肩をポンポンと叩き、その手を美香の目の前で握り親指を立て、
「な、俺の言ったとおりだろ」と自慢げな表情をした。美香は声も出さず何度も大きく頷いた。
佐々木も安心したのだろう椅子の背もたれに脱力したように寄り掛かりT2のパイロットに指示を伝えた。
「川村二佐、ヘリが到着するまで上空で待機願います」
「了解」と返信がきたのを聞き、首を捻り後ろの富樫司令を見た。
司令は厳しい表情のまま、
「佐々木、後は頼んだぞ。俺は空幕に報告してくる」と言い残し出口に向かった。新田はそれに気が付き敬礼をすると、美香も立ち上がりくしゃくしゃの顔で司令に敬礼をした。富樫はその敬礼に答えるように軽く頷き笑みを返した。そして、ドアを開け管制室を出た。すると、富樫の表情は再び険しい表情へと変わった。これから司令としての難しい仕事が始まるのである。事故の一報を入れ、詳しい報告書を作成し、関係した部下たちの処遇を考えなければならないのである。
しかし、富樫にとって神崎が生きていたことが何よりも救いであった。今後、部下たちに責任が及ぶようだったら、自分が責任を取ればよいのだから。
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