才器の翼
寺池 魔祐飛
第1話 ブルーファルコン
1984年10月5日13時30分、宮城県金華山沖上空にグレー一色にペイントされた一機のジェット戦闘機が飛行していた。
「こちらブルーファルコン、座標、北緯38度20分東経141度59分、訓練空域に到着。高度35000フィート。速度400ノット。これよりテスト飛行に入る。ところで、今日のテストメニューは空中戦を想定した飛行テストだっけか?」神崎翔太三佐は訊いた。
「とぼけたことをぬかすな。上昇、降下時および左右旋回時のCCVによる姿勢制御テストだ。」航空自衛隊松島基地の管制官佐々木が応えた。
「はいはい。毎回毎回眠くなるテスト飛行で感謝感激であります。こんなテストは俺じゃなくてもいいでしょうが。もう」神崎は退屈すぎるテスト飛行にうんざりした様子で言った。
「余分な燃料は積んでないんだ。さっさと開始しろ」
管制室には管制官の佐々木茂と基地指令の富樫健治、そして三川重工エンジニアでブルーファルコンの主任設計士である木佐貫昭の三人がいた。
「あいつにとっちゃこんなテストは退屈なんでしょうな」佐々木が言うと指令は、
「神崎じゃなけりゃだめなのさ。あいつぐらいの腕がないとあの機体のテストは任せられない。いつ何時予想外のトラブルを起こすか知れないからな。その時対処できる飛行技術をもっていなけりゃいかんのさ」と答えた。
神崎三佐は松島基地第四航空団所属第二一飛行隊内「戦技研究班」の隊員だ。つまりブルーインパルスのパイロットなのだ。三十歳になったばかりの神崎はその中でも飛行技術においては一、二を競うほどの腕を持っていた。
エンジニアの木佐貫は黙って二人のやりとりを聞いていた。木佐貫にとっては誰がテストパイロットでもどうでもよかった。決められたテストメニューをきちんとこなしてくれればそれでよかったのである。
「降下を開始する」神崎の声が聞こえた。
木佐貫は、今、神崎が操縦している機体の主任設計士でありその飛行データの収集を任せられていた。この機体は1977年から部隊配備された支援戦闘機F1の後継機種として次期支援戦闘機FSXを三川重工業が研究開発し造り上げた試作機で「ブルーファルコン」と名づけられた。新たな技術がいくつも採用されていたため、その作動性や強度、耐久性などチェック項目は数多く、しかも長期にわたりデータを収集する必要があった。
木佐貫はこの機体の動力性能に絶対の自信を持っていた。しかし、それは卓上の計算上のことで実際に飛行して木佐貫が思っているような性能が発揮されるかは、これからのテスト飛行でこの機体を成熟させていくことに掛かっていることを彼自身十分認識していた。
神崎はブルーファルコンを降下させ高度20000フィート(6096メートル)を切り、なおも降下させていった。神崎がこの機体のテスト飛行を始めたのは二ヶ月前の8月初旬からだったが、まだ急降下や急上昇、急旋回などの機体にとって厳しい操作はしていなかった。それゆえこの機体に対して絶対の信頼を寄せてはいなかったのである。そこで少しこの機体を試そうとしていた。
神崎はほぼ垂直にブルーファルコンを降下させていたのである。速度は600ノット(1111km/h)に近づこうとしていた。
管制室のレーダーではブルーファルコンの位置はほとんど変わっていなかった。
「あの野郎」管制官の佐々木が呟いた。
神崎は高度計を見続けていた。高度10000フィート(3048メートル)を切ると神崎はスティックを握りなおし大きく息を吸った。速度は600ノットを少し超えていた。
「もう少し」神崎が心の中で呟く。高度7000フィート、あと7秒ほどで海面に衝突する。高度計が高度6000フィートを示したその瞬間スティックをグイッと引いた。機首が瞬時に反応し機体の姿勢が急激に変わった。それと同時に神崎には強烈なGが加わった。耐Gスーツが神崎の足を締め付け血液が下半身へ集中することを妨げる。「ウッ」僅かに声を発した神崎。
管制室のレーダーからブルーファルコンの機影が消えた。
神崎の視界が一瞬波頭を捉え次の瞬間には真っ白な空へと変わった。その後方では轟音とともに水しぶきが立ち上った。海面10数メートルのところで上昇に転じたブルーファルコンが引き裂いた空気が海面に衝突したのだった。
管制室のレーダーにはまたブルーファルコンの機影が写し出された。
「こら、神崎、てめーその機体を壊したらお前の首が飛ぶだけじゃすまんのだからな。」
管制官の佐々木には神崎のやっていることが手にとるように分かっていた。
「こいつとの付き合いももう二ヶ月になる。そろそろ信頼関係を築こうと思ってね。」
神崎が少し息を弾ませながら応えた。この時、神崎は一瞬ではあったが限界Gに達しグレーアウト状態に陥り失神寸前だったのである。神崎以外のパイロットであったならブルーファルコンは海の藻屑と消えていたかもしれない。
指令は「フン」と鼻から息を漏らし、「それじゃ、後よろしく頼むぞ。」と言って管制室を出て行った。木佐貫は何のことだか分からずにその会話を聞いていた。
「今、何かあったんですか?」木佐貫が問いかけると佐々木は、
「いや、ちょっと神崎が急降下をしたもんですから。帰ってきたらフライトレコーダを解析すれば分かりますよ。」と言った。その時神崎から、
「高度35000フィート、これよりプログラム通りのテストに入る」と通信が入った。
「了解」佐々木が返信した。
この次期支援戦闘機FSX「ブルーファルコン」のテスト飛行は極秘とされていた。日本政府はFSXを表向きにはアメリカやヨーロッパの戦闘機を候補に上げ選定しているようなそぶりを見せていた。しかし、政府は軍事に関する分野を産業として位置づけ、FSXを国産の戦闘機にしたい思惑でいた。将来的にはその技術を民間にフィードバックし航空機産業を世界レベルにして世界市場への進出を狙っていたのである。これは、国産ロケットを開発し宇宙産業に乗り出しているのも同様なものだった。今や世界の軍事・宇宙産業において日本の製品や技術は欠かせないものになり我々の知らないところで深く広く浸透しているのである。その日本の技術力を結集すれば将来的に十分産業として成り立つと政府は目論んでいた。
しかし、アメリカはこうした日本の動きを警戒していた。軍事産業はアメリカにとって国益的に重要である。ましてや、日本はその分野で大のお得意様なのだ。
神崎は高度40000フィートから30000フィートの間で予定のテストを繰り返していた。この機体に乗り始めたときには、操縦系統のスティックやラダーの手応えのなさ、そして、操縦に対する機体の過敏な反応に違和感を覚えていたが、今ではそれにも慣れ、むしろ面白く感じ始めていた。口では退屈だの眠くなるだの言っているが、実は楽しくてテスト飛行を心待ちにするようになっていたのだ。神崎が今、ブルーインパルスで操縦している機体と比べるとその運動能力の差が歴然としていたからだ。
神崎は上昇や下降、旋回中にラフな操縦を幾度か試みた。時には失速するような姿勢も故意に作り出してみたが失速状態には陥ることはなかった。
「これがCCV技術なのか」と感心していた。
また、先程の急降下から上昇に転じた時に味わった急激に加わるGには注意が必要だと感じていた。旋回にしてもラフに操縦しようものなら瞬時に機体の姿勢が変化するので一瞬にして強烈なGがパイロットに加わる。普通のパイロットでは危険すぎるため改善が必要かもしれないと思った。
神崎がブルーファルコンの操縦に夢中になっていたところに、「そろそろ時間だ」と管制官の佐々木から通信が入った。
「あれ、もうそんな時間ですか」
「予定の1時間を少しオーバーしている。ぼちぼち帰還しろ」
「了解。この続きは次回にまわしますか」
「神崎よ、楽しくなってきたんじゃないのか?」佐々木が訊くと、
「まぁーね」と神崎ははぐらかした。
ブルーファルコンが松島基地に向かいその機影が金華山沖の訓練空域から消え、また海には静寂が戻った。その海上に黒く鈍く輝く物体が浮かんでいた。その物体はブルーファルコンが消えたのを確認すると、静かに海中へと姿を隠した。アメリカ第7艦隊所属の原子力潜水艦バッファローだった。一ヶ月ほど前から金華山沖の海域に現れブルーファルコンのテスト飛行を監視していたのだ。
「時間及び飛行域を報告しておけ」と艦長が言うと、
「了解。しかし、監視する必要がある機体なんですかね、アレが」通信兵が尋ねてきた。
「うちの戦闘機に比べれば性能的に劣るのは言うまでもない。上が警戒しているのは将来的なことだろう」
「将来的ねぇ」通信兵が溜息混じりにつぶやいた。
「日本の技術力をなめてはいかんぞ」と艦長はニヤリと笑い、そして、
「あと一週間はテスト飛行はない、沖に出て150まで潜行、ウラジオストクに向かう」と言って、バッファローは金華山沖から姿を消した。
ブルーファルコンは松島基地に戻ってくるとすぐさま格納庫へ収容された。基地には時折航空機マニアが写真撮影しに来ている事があるため、機体をすぐに隠す必要があるのだ。また、ブルーファルコンの離着陸時の写真を撮られないようにテスト飛行する日には隊員が複数のグループに分かれパトロールしマニアたちや不審者を基地周辺から排除していた。
格納庫に収容されたブルーファルコンの機体は、全長16m、翼副12m、全高5,5m、重量は空虚重量で9,9tだ。コックピットは一人乗り用の単座で、翼はクローズ・カップルド・デルタ翼と呼ばれるもので、機体の中央付近から後方のエンジン部分にかかるまで三角形のデルタ翼を持ち、コックピット後方からカナード翼と呼ばれる小さな翼が取り付けられている。これが、デルタ翼のちょうど前の部分に位置する形だ。水平尾翼は無く、垂直尾翼は二枚、双発のエンジン上部に位置していた。エンジンは石川島播磨重工業がライセンス生産しているアフターバーナー付きターボファンエンジンF100―IHI―100を二基搭載。F15イーグルに当初搭載されていたエンジンと同じ物を積んでいる。重量が13t近いF15よりも軽い機体には十分すぎる推進力を持っていた。機体サイズの割りに軽く仕上っていたのには理由があった。翼を炭素繊維素材で造ったのだ。炭素繊維は比重がアルミやジュラルミンよりも軽く、強度においても優れ、それでいて曲線などの加工が容易で一枚のパーツ面積も大きく造ることができるため繋ぎ目が少なくなり空気抵抗や重量面で優位性が大きいのだ。
この軽い機体に、十分すぎるエンジンパワー、そして、機動性を高めるカナード翼を付けたブルーファルコンの運動能力は世界最強のF15イーグルをも上回ることが期待された。だが、それにはまだ問題があった。その問題と言うのがCCV技術の向上である。
カナード翼を取り付けると、機動性が増す分、まっすぐ飛ぶときなどの安定性に難が出てくる。パイロットにとってはかなり神経質な操縦となり、長時間の飛行ではパイロットにかかる負担は計り知れないものになる。そこで、コンピュータで機体の動きを制御しパイロットの負担を軽減しようとした。その技術がCCVと呼ばれるものだ。
このコンピュータソフトの開発及び改善がカナード翼を持つブルーファルコンの運動能力向上には欠かせない。いくら運動能力が優れていてもその動きにパイロットや機体が耐えられなければ意味が無いのである。
神崎がブルーファルコンから降りてくると整備隊員が声をかけてきた。
「おかえり、なにか気になったこと、ある?」
「おお、美香か」
出迎えたのは松島基地唯一の女性整備隊員の熊沢美香二曹だ。神崎より一つ年下の彼女は宮城県の牡鹿半島の出身で、小さい頃から金華山沖に向かう松島基地のジェット戦闘機を見てきた。そして、いつしか戦闘機のパイロットに憧れるようになり、一時はパイロットを目指した時期もあった。一度、松島基地の航空際に行った時、ジェット戦闘機を目の当たりにし、綺麗で美しいスタイリングの機体を見てから戦闘機自体に関心が移り整備隊員になりたいと思うようになったのだった。
「機体に関してはノープロブレムだ。だが、今日ちょっと無理をやらかしたんで点検は念入りに行ってくれ」
「わかったわ。次の飛行まで一週間あるから、一部バラして点検することになってるから大丈夫よ、ちゃんとしとくわ」
美香の言葉に、
「えー、一週間も空くのかよ」と神崎が驚いた。
「なんであんたが知らないのよ。バッカじゃないの」
「そーいう言い方ないんじゃないの、仮にも俺は美香の上官だぜ」
「そうね、仮の上官だわね」
神崎がその言葉に反発しようとした時、木佐貫が声をかけてきた。
「神崎さん、お疲れさまです。今回のテストで気になったことありますか?」
「あ、ああ、お疲れさまです。はい二、三ありますけど」神崎がチラッと美香の方を見ながら答えた。彼女はもう機体の点検を始めていた。
「じゃあ、あちらで話を聞けますか」木佐貫は格納庫の奥にある二階建てのプレハブを見て言った。
「はい、ではちょっと装備類を置いて報告を済ましてきますので待っていていただけますか」
「ああそうでしたね。では待っていますのでよろしくお願いします」
木佐貫はそう言ってプレハブに向かった。
このプレハブ・ハウスは三川重工業用に設置されたもので、二階部分は主に木佐貫とCCVソフト開発担当者の伊藤仁が使用していた。一階部分がミーティングルーム兼休憩室として使われ、パイロットや整備隊員と木佐貫たちが打ち合わせを行う場所にしていた。
木佐貫は二階に上り伊藤に声をかけた。
「ご苦労さん。今、神崎さんが来るから一緒に話を」
「はい、分かりました」
伊藤は二八歳でまだ若いが落ち着きがある青年だ。物静かで淡々と仕事をこなすタイプの人間である。整備隊員や神崎らと打ち合わせをする時に、度々人懐っこい笑顔を見せることもありみんなから「仁ちゃん」とか「仁坊」と呼ばれ好感をもたれていた。
一方の木佐貫は、殆ど笑顔らしきものは見せたことがなかった。このような大きなプロジェクトの開発責任者を任されるには若い三六歳と言う年齢で重責を担っているためなのかいつも難しい顔つきでいる事が多かった。整備隊員たちとの会話もブルーファルコンに関する事に限られ、どこか堅苦しいイメージが出来上がっていた。
「木佐貫さーん」神崎の呼ぶ声がした。木佐貫がプレハブの二階に来てから15分ほど経っていた。
「伊藤君、来たようだ」
木佐貫と伊藤が一階に降りると、神崎がコーヒーを入れようとしていた。
「あっ、僕がやります」伊藤が言うと、
「いいって、いいって、仁坊。どうせインスタントなんだから簡単だって。二人ともブラックでしたよね」神崎がそう言って三個のカップにインスタントコーヒーの瓶からスプーンでコーヒーを入れていくと、伊藤がポットからお湯を注いでいった。
ミーティングに使われるテーブルは六、七人が座れるほどの大きさがある。パイプ椅子を引っ張り出し木佐貫は言った。
「今日はどんな点が気にかかりましたか」
すぐ本題に入るのが木佐貫のやり方だ。コーヒーを啜りながら神崎が、
「ちょっと濃かったかな」と言うと、
「そんなことはないですよ」一口飲んだ伊藤が返し、コーヒーの入ったカップを木佐貫の前に置いた。
「ありがとう」木佐貫もコーヒーを口に含み、神崎を見て頷きOKのサインを出した。
「だいじょうぶですか、それはよかった」
「神崎さん、今日、急降下をされたと聞きましたが」
「おっ、情報が速いですねぇ」即座に神崎が反応し、そして続けた。
「今までは、初めての機体なのでやさしく無理をしない操縦をしてたんですよ。女の子との付き合い始めのようにね。で、操縦の癖や機体の動きも分かってきたんで、ぼちぼちこいつの本性を見てやろうと思ってちょっと激しく攻めてみたわけなんです。女の本性は怖いですからねぇ、気をつけろよ仁坊」神崎が伊藤にちょっかいを出すと、
「女の喩えはいいですから」木佐貫が静かに言った。
「はいはい、でね、その時は急降下から急上昇に移ったわけなんですが、他にも急旋回なんかもしてみたんです今日は。そしてまず感じたことは、反応が早いことです。機体が即座に反応する。機動性は確かに優れている。自分が今まで乗った戦闘機の中で一番です。」
ここで、神崎はコーヒーカップに手を伸ばした。
「それは、素直に褒め言葉と受け取っていいんでしょうか?」木佐貫の言葉に、コーヒーをゴクリと一口飲んで神崎は答えた。
「もちろんです。ただ、もう一つ感じたことが、これまで経験したことがないGの受け方をしたことです。機体の姿勢が急激に変化しすぎるのです。スティックの操作に対して敏感過ぎるっていうのかなぁ、今まで乗っていたのと違ってスティックやラダーがスコスコ軽いんですよ。その動きに機体もクイックイッて素早く反応するから、人間の体の方がついていかない感じなんですよね。」
「なるほど」
「自分たちは、ドッグファイトを想定した訓練もします。その時でさえ機体を思いっきりブン回します。この機体でそんな訓練をした場合Gロック状態に陥る可能性があるんじゃないかと思うんです。自分たちは7Gに耐えられるように訓練されますが、それもほんの数秒間のことです。瞬間的にはそれを上回るGにも耐えられるパイロットもいますが、8、9Gあたりが限界でしょう。ブルーファルコンはパイロットが意図する以上に姿勢が急激に変化して、それ以上のGが加わるような気がするんです。これでは危険すぎます」
「改善要項に入れておきましょう。これは、伊藤君の部分が多くを占めると思うので頼んだよ」木佐貫が伊藤を見て言った。
「わかりました。神崎さんもう少し詳しく話してもらっていいですか」伊藤が尋ねた時、プレハブの引き戸が開いて整備班長の新田正義一曹がオレンジ色のボックスを両手で持ち抱え入ってきた。後ろ向きのまま器用に足で引き戸を閉めると、
「木佐貫さん、これ、フライトレコーダ。ここに置いときますよ」と言い、木佐貫が頷くのを確認しながら新田が続けた。
「翔太、今日はかなりハードに飛んだんじゃないのか?翼の付け根のリベットが落ちてたぞ」その言葉に素早く反応したのが木佐貫だった。立ち上がると、
「新田班長、すぐに見たいのですが案内していただけますか」そう言いながら新田班長の背中に左手を添え「さあ行きましょう」というふうにプレハブの出口の方に右手を伸ばした。
「ちょ、ちょっと、俺もコーヒーを・・・」新田が言うと
「後で自分が入れてあげますよ」後ろから付いて来た神崎が新田の耳元で小声で囁いた。
木佐貫たちがブルーファルコンに近づくと、美香ともう一人の整備隊員松本が主翼付け根付近を点検していた。
「あそこのリベット二個です」新田が指差したところは、右側主翼付け根の下の部分である。よく見るとふたつの小さな穴が開いていた。
木佐貫が近くに行きしばらく観察して「外側にはじき出されたような感じですね」と呟くと、
「穴の周りが外側にめくれているので、どうもそのようですね」と新田。
「目視では他に異常はないようだけど」右側主翼を点検しながら美香が言い、 「どう、松本さんの方は」ともう一人の整備隊員に声をかけた。
「はい、自分が調べた範囲ではないですね」左側の主翼部分を点検しながら松本が大声で返した。
「いずれにせよ超音波検査をしたほうがよさそうですね」新田の言葉に、
「そうですね、明日お願いできますか?」木佐貫が同意し、そして依頼した。
「ちょっと、翔太」帽子の鍔を後向きにかぶった美香が神崎を少し見上げ怒るような口調で始めた。
「あんた無理をしたって言ったけど程度ってものがあるのよ。この子はまだ生まれたばかりの赤ちゃんのようなものなんだからね。分かってんの」
「いやいや、分かってるって、飛ばせてんのは俺だし、もう二ヶ月にもなるんだから」言い訳がましく神崎が答えた。
「二ヶ月ってまだ20時間も飛んでないでしょう。そんな子に限界Gがかかるような飛行したんじゃないでしょうね」
「よくご存知で」
「あんたアホじゃないの」
「おまえなぁ、アホは言い過ぎじゃないか」
二人のやりとりを聞いていた伊藤が、
「美香さんすごいですね」と新田班長に小声で言った。
「夫婦喧嘩の予行演習だ、ありゃぁ」
「はぁ、あの二人結婚するんですか」
伊藤と新田班長がヒソヒソ話していると、
「ちょっと、なんであたしがこいつと結婚しなきゃならないんですか」耳ざとい美香がそれを聞きつけた。
「あら、聴こえてました?」
「そんなことより、班長からも言ってやって下さいよ」
「わかったわかった、今日はそのくらいにしてやれ。翔太は荒っぽいが、機体の限界ギリギリを心得た飛ばせ方だ。限界でのトラブルを解決していかなけりゃこの機体は成熟していかなってことだ美香」
「もう、班長は翔太に甘いんだから」
「翔太、コーヒー入れてくれ。コーヒー飲みながら詳しく話しを聞こうじゃないか、なあ、伊藤君」
「はい、私もいろいろ聞きたい事がありますので」
新田は神崎を手招きで呼んで、伊藤と三人でプレハブに向かった。
木佐貫はリベットが抜け落ちたところをまだ観察し続けていた。
途中、神崎が「班長ありがとうございます。美香には口ではかないませんから」と小声で言うと、
「尻に敷かれるな、おまえ」新田が面白そうに言った。
「なに言ってんですか、結婚する分けないじゃないですか」
「仲人は俺がしてやる。まかせておけ」
「だからぁ・・」
「僕にも披露宴の招待状ください、神崎さん」
「仁坊おまえまで、このぉ」
神崎は伊藤の頭をヘッドロックしじゃれ合いながらプレハブに向かって行った。
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