第1章 9話

ふかふかの感触を背中に受けて目が覚めた。

辺りを見回すと薄暗い部屋の中。家具の配置におぼろげに記憶がある。

ここは……

「目が覚めたか」

部屋の隅からどんよりとした声が響く。

「レン……」

「ベッドの寝心地はどうだ?人間の10分の1サイズだぞ。ティーカップといい、愛那が小さいころにおままごとの小道具として買ったのが役に立つとはなあ」

「あ、うん、ありがとう」

レンの顔が暗くて見えない。

「……愛那は?」

恐る恐る訊くと、

「安心しろ、部屋にいるよ。……晩飯はいらないって言われたけど」

声のトーンが一層沈んだ。

「身体はどうだ?羽も傷ついてないか?腹は減って──」

「あたしを責めないの?」

気づけば言葉が口から零れていた。

「……プリメール?」

「間接的にとはいえ、愛那を泣かせる原因を作ったのはあたしなのに」

数時間前の記憶がありありと蘇ってくる。

嫌なくらい鮮明に思い出せる。愛那の激高も、それを聞いた新藤くんの反応も。

「……」

レンは黙って立ち上がる。

静寂の中で微かな水音が経つ。続いて湯気と仄かな花の香り。

「あんたはどう思ってるんだ?」

「え……」

「俺はあのとき教室で何が起こったか見てない。愛那が何をしたのか、どうして泣いたのかも知らない。プリメール、あんたにしかわからないことだ。あんたはあのときの出来事が完全な事故で、失敗で、愛那にとって何も得るものがなかったと思ってるのか?」

顔を上げる。

カップを持つレンの顔に滲んでいるのは怒りか、悲しみか、そのどれともつかなかった。

「……いいえ」

目を逸らさずに答える。

「あそこまで爆発するとは思わなくてびっくりしたけど……冷静に考えたら、いつかは通らなきゃいけない道だったわ」

愛那と新藤くんは間違いなく両想いだ。だけど二人が躊躇いなく気持ちを伝え合うためには置かれている立場があまりに違いすぎる。

愛那がクラスでの立場上なかなか素直になれなかったのと同じくらい、新藤くんにも同調圧力という名の枷があったのだ。

その枷を外すにはどちらかが強気に出るしかなかった。

愛那にとって普段の自分をかなぐり捨てることは相当なダメージだったに違いない。もっと上手くやれたんじゃないかという反省はある──けれど。

「……そうか」

レンは再び座り込み、深く深く息を吐く。

一瞬とも永遠ともつかない沈黙の後に、

「あんたがそう言うなら、俺は信じるよ」

予想外の言葉が耳に届いた。

ぽかんとするあたしの顔が見えているのかいないのか、レンは語り続けた。

「愛那の両親は仕事の関係でどっちも外国を飛び回っててな。家を空けることが多いんだ」

「……」

これまた予想外に話が飛ぶ。

「だから父親──俺の兄貴だな──からはよく愛那の世話を頼まれてた。俺は自営業で時間の融通も効くし、元々近所に住んでたからな」

知ってるわ、と口を挟める空気ではなかった。

「だから俺は愛那が小さい頃からよく一緒に遊んでた。俺が子どもを喜ばせられるとは思わなかったけど、自分の昔の話をまあ、明るい方に脚色したらウケたんだな。俺も愛那も騒がしいよりは静かなのが好きで、血縁とか抜きにしても相性が良かった。──良すぎたのかもな」

紅茶の湯気が消えていく。

「これ幸いってばかりに両親は愛那をますますほっとくようになった。──当然、愛那にそんな素振りは見せねぇよ?でもわかるんだ。俺には……」

テーブルの上で拳が固められる。

「愛那はいい子だ。いい子すぎるくらい。ぱっと見は平気そうに振る舞って、誰にも心配させないようにする。学校でもそうみたいだな。きっとそれが裏目に出て、本当に好きになった相手には上手く素直になれないんだろう。俺はそんなこともわかってなかった。そういう愛那を作ったのは俺かもしれないのに」

「……レン」

「あんたの言う通りだよ。俺は今の愛那に寄り添えてなかった。あ、別に卑屈になってるわけじゃないぜ?ただほら、近すぎると見えないものもあったんだなっていうか」

「レン!」

彼の前に立ち塞がった。

「さっき愛那が新藤くんに何を話していたと思う?──あなたの話よ。あなたが小さい頃、妖精女王ティターニア様と出逢った話」

三日月のような瞳が大きく見開かれる。

「あなたが昔愛那に読み聞かせてたんでしょう?」

「……なんで」

「さあ。話題に困って咄嗟に出たのがあなたとの思い出話だったんじゃない? でもそれがきっかけで空気が緩んで、素直に喋れるようになってたみたい」

壺から角砂糖を取り出し、ふわりと浮かす。

「あなたといるときの愛那は心から楽しそうにしていたわ。少しの間だけど見てればわかる。あなたがそれを信じなくてどうするのよ」

四角い塊をレンの口に押し込む。

「別にあなたが力不足だったわけじゃない。むしろあなたがいてくれたから、あたしだってここまで出来たのよ」

「…………プリメール」

砂糖を嚙み砕きながら、ようやくレンはまともに目を合わせてくれた。

「あんたって、本当に人間のために動いてる妖精なんだな……」

「い、今更!?」

くつくつと笑う姿はまだ本調子じゃないけど、いつものレンの面影だった。

「いや、悪かったよ。愛那だけじゃなく俺にまでキラキラスマイルさせちまって。早く愛那のところへ」

「言っとくけどね!」

思わず頬を掴み、両手で挟んだ。

「これはただのあたしの本心よ!今まで散々迫ってきたくせに、こんなところで引かないでよね。あたしにとってあなたはこれ以上ないイレギュラー特別なんだから!」

……あれ?何だろう。とてもよく似たシチュエーションをさっきまで目の当たりにしていたような──

やめよう。今はそんなことを考えてる場合じゃない。

「言われなくても愛那の傍に行くわよ。じゃあね」

「あ、ああ……」

部屋を出る足取り──羽取り?が心なしか速くなる。

初めの夜と似た状況だけど、レンの瞳は満月みたいに大きく見開かれたままだった。


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