第1話 冷蔵庫が故障した

 暑い。


 ああ暑い。


 なのに冷蔵庫が壊れるとは。


 世の中って何もかもがおかしいよな。



 一人暮らし用の冷蔵庫。小さな50cm程度の大きさしかないその白い冷蔵庫だった物体はすでにうんともすんとも言わず、ただ俺の狭い部屋のスペースを占領している。


 今朝、バイトに行こうと準備していると、急にガコンと大きな音が鳴って部屋が静かになった。音の元は今目の前にある白い物体。冷蔵庫だったやつだ。


 人から貰ったもので、冷凍機能は付いてない。暑い夏に氷も作れず、アイスも冷やすことが出来ないそんな冷蔵庫でも俺にはこの夏を乗り切るための必須アイテムだった。冷たいビールくらいは飲める。それだけで十分にありがたかった。


 それなのに全く動かなくなっちまった。あれだけ昼夜構わず轟音を立てて冷やしてくれていたのに。あの轟音すらなくなった部屋は正直寂しい。おい、俺を一人にするんじゃねえよ。




 バイトの帰りに大型家電屋に立ち寄る。あの動かなくなったやつの後継を見るためだ。

 エスカレータを登り、2階へ。1階は駐車場になっている。学生時代に免許を取ったきり、一度も車は運転していない。車は金がかかるから。だから俺はずっと自転車だ。もう運転の仕方も忘れたと思う。


 大型家電屋に行くと、配送料無料と張られた最新のものが並んでいた。どれも2階建て以上で冷凍庫は付いている。ただ野菜室とかもう一つの冷凍庫とか、全く使う気配のない機能までがもれなく付いてくる。それでいて値段は目を疑うほど高い。月のバイト代が丸々飛ぶようなものばかりだ。こんなの買えるかよ。


 煌々と輝く店内をすり抜け出口に向かう。少しでもこんな店で買おうとした自分を責める。こんな惨めな思いをするのはわかっていただろうに。なぜこんな店に来たんだよ、俺は。


 大型家電屋を出ると、自転車にまたがる。そして近くの川沿いを走る。特に行先は決めていなかったが水辺を見ていると心が休まる。自転車を止めて夕日に染められオレンジと黒の切り絵のようにくっきりとした水面を見つめる。


 さて、帰るとするか。


 再び自転車をこぎ出す。と、ふと視界の右端に「リサイク…」と表示された看板が目に入る。こんなところに店なんかあったか? と不思議に思ったが、リサイクル店だったらもしかすると冷蔵庫があるかもしれない。


 自転車を道端に置き、ガードレールにチェーンで固定する。二重ロックのカギを抜き取り、店らしき場所に足を踏み入れる。


 空き倉庫の敷地に雑多なものを置いただけの店。人の気配はなく、物だけが乱雑に置いてある。屋外に木造のタンスとか置いたら駄目だろう。洗濯機も年季が入っているからって外は駄目だぞ。この店明らかにやる気ないな。


 敷地を抜け倉庫の中に入ると所狭しと物、物、物。種類ごとに整理されているわけでもなく、ただ置いてあるだけ。見方を変えればゴミ置き場とも言えそうだ。


 そんなゴミ置き場をぶらぶら歩いていると、見つけてしまった。


 そこには今俺の部屋で場所だけ取ってふんぞり返っている白い物体を少し背を高くしたくらいの黒い物体。ドアは上下に二つ。上は小さく下は大きい。これは冷蔵庫だよな。


「おや、それをお求めですか?」


 黒い冷蔵庫をじっと眺める俺の背後から声がする。柔らかい声質だ。大型家電屋にいた売りたいオーラをバンバン放ってくるような雰囲気はなく、近所のおじさんが気軽に話しかけてきたような、そんな感じ。こういうのは嫌じゃない。


「ええ、冷蔵庫が壊れてしまって。いいのがないかと思って」

「そうですか。この暑いのに、大変でしたね」


 会話をしながら声をかけてきた相手を見ると、50代ほどの白髪交じりの髪を短く刈り揃えたおじさんだった。服装は作業着らしい繋ぎを着ている。


「これ、いくらですか?」

「こちらは5千円です」

「え? マジで?」


 5千円なら、今すぐにでも手持ちの金で買えてしまう。


「ええ、その値段で結構ですよ。もともとはただで引き取ってうちで整備し直したものですから。うちはオープンしたばかりですので、少しでも売り上げが欲しいんですよ」


 明け透けにそう言うおじさんの表情には一切の二心を感じられなかった。人を信じることがほとんどない俺でも素直に「そうなんだ」と思えてしまう。


「あ、大丈夫ですよ。ちゃんと動きますから。こういった年代物は作りが単純ですから整備も楽なんです。凝った造りをしてませんから壊れにくくて直しやすい。昔の電化製品は本当にいい仕事のものが多いんです」


「そうですか、じゃあ、これ買います」

「はい、ではこちらでお会計をしますね」


 俺は五千円を財布から支払う。そして支払ってから気が付く。


「あ、配送とかって…」

「ああ、うちは配送はまだしてないんですよ」

「あ、そうだったんですか。いや、そうだと困るな」


 俺は道路脇に留めてある自分の自転車を見る。


「ああ、そうですか。ちなみにおうちはどちらで?」

「ええ、この近くなんですけど。さすがに持って運べる距離じゃ…」

「では、わたしもご一緒にお運びましょう」


 そう言うとおじさんはいい笑顔でリヤカーを引いてきた。リヤカーかよと思いながらも、無料で運べるならと一緒に黒い冷蔵庫をリヤカーに乗せる。ロープで何重にも固定し、おじさんが前で引き、俺が後ろから押す。


 俺のアパートは2階建ての1階角。入り口に一番近い場所だ。まあ一番家賃が安い場所ということになる。おじさんと共に黒い冷蔵庫を運び入れ、同時に白い冷蔵庫だった奴を運び出す。


 白いほうはおじさんが無料で引き取ってくれるという。また整備し直して売るとのこと。こちらとしてもありがたい限りだ。


 冷蔵庫は一定時間置かないと電源を入れられないので、その時間でおじさんのリヤカーに白い奴を載せて倉庫まで運んであげた。


 自転車でその辺をぶらつき時間をつぶして帰宅。新しい冷蔵庫の電源を入れる。ブウウンという音と共に時々ガコンと音がする。


 中を開けるとすでにキンと冷えた空気が流れ出てくる。冷気の強さは前の白い物体とは段違いだ。冷凍庫の方はすでに内側に霜が付き始めている。


 めちゃくちゃ性能がいいなこれ。


 昔の電化製品の品質に驚きの声を上げ、俺は買い物へと出る。冷蔵庫の故障で少々出費をしてしまったが、これでこの暑い夏を乗り越えられる。早速、コンビニでビールとつまみ、夕飯の弁当を買ってくる。


 買ってきたものをそのままとりあえず冷蔵庫に投入し、汗を流しにシャワー室へ。数分後、熱気を帯びた俺の体は自らを冷やすためにビールを所望する。俺は体の欲するままに冷蔵庫を開けてビールを取り出…せない。


 ない。


 あれ? 入れたよな?


 周りを見るがコンビニの買い物ビニール袋は見つからない。


 おい、どこ行った、俺のビール。つまみに弁当。どこだ?






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