第39話 蛇蔵さんVS清美君With在さんだよ……

 蛇蔵さんは懐かしむように、清美君の奥に宗助さんを見るかのように目を細めた。

「橘宗助は惨い人ですよねえ。仲良くはありませんでしたけど、同じくくりに入っていたから知ってはいるんですよう。よおくね。正義感――というラベルが貼れる我儘を貫き通す強さをねえ。桜刃組二代目組長さんが生贄に選ぶ程でしたよねえ。聞かされていますよねえ、宗助が桜刃組にいられなくなった原因のリンチ」

 私も参加しましたよお、と蛇蔵さんは目を眇めた。だから何だって言うんです、と清美君が噛みつくように答えると、蛇蔵さんは悪戯気に舌を出した。その舌は蛇のように二股に別れていた。かなり深く切られているようだった。正確に把握する前に口の中に戻されちゃったが。

「大多数で叩きのめしておかないと邪魔だと思わせる我の強さがあったんですよねえ、宗助には。ちゃあんと発揮して勝った所もいくらか見たことがありますよお。自分のペースに呑み込んで、相手の考えを制限する。嫌でしたねえ。おぞましいというかあ。君はあ、二十四年間それを一心に受けてきた訳ですよねえ」

「自分でした選択とは言えない、と。誰だってどんな選択だって多からず少なからず何かしらの影響は受けているものでしょう」

 清美君は苛立ちを含んだ声で答えた。蛇蔵さんがくすくすと笑った。

「そちらの組長さんの厄介な性質のおかげで、君自身がしたと呼べる選択だということは分かりますよお。問題はその奥ですよう」

 蛇蔵さんがパチンと指を鳴らした。

「君が選択した時に使った判断材料、その全てはもう桜刃組には無いんですよう」

「……父が初代組長に憧れていることを言いたいんですか」

「そうですねえ。それもありますねえ。二代目のことは嫌っていたから、宗助は悪く言ってるでしょおう?」

 清美君が肯定すると、蛇蔵さんは人工的な白髪の下で眉を顰めた。

「残念ながらあ」

 二代目組長には重用された蛇蔵さんのことだ、フォローの言葉が続くと思ったが、そうではなかった。彼は両指を絡め合わせて、お伽話でも聞かせるような調子で続けた。

「君が聞いているよりもずっと、想像さえ及ばない程度には悪いんですよねえ。悪逆非道の限りを尽くしてましたよお。まあ、具体的なことはあ、それにより生じる空気感や関係性はあ、当時の桜刃組のある一定以上の地位のある人間、その人間が出て来るような取引をした人間、そこで生じた被害者の皆さんじゃないと分からないんですよう。逆に言えばあ、君が今日会った白金会の人間と、勿論私と、そして当然ながら桜刃組の今の組長さんには分かっているんですよう」

 ねえ、と蛇蔵さんは瞳だけで在さんを見た。瞬間、清美君が焦ったように口を挟んだ。平静を崩していなかった在さんがその反応に戸惑ったように瞬きした。

「そんな限られた人間しか知らないことがどうだって言うんですか。今とはもう関係のことじゃないですか」

「関係大ありですよう。今の、桜刃組長さんはねえ、その時代の残り滓でしかないんですからあ」

 清美君は息を詰まらせた。紅潮してく頬から怒りが読み取れた。僕もむかついた。在さん本人は困ったように眉を下げて僕らを見てから、蛇蔵さんに向き直った。

「そんなことは無いの。桜刃組はあの頃から大きく変わったのよ。貴方から見てもそう見えるでしょう?」

「それはあ、カタギだから悪いことが思いつかない三ツ矢焔君と、漸く意見を聞いてもらえるようになった真面な優作君と、初代組長と貴方を重ね合わせている白金会会長と、暴れるのを我慢し続けた一ノ宮のおかげでしょう? 貴方自身は変わりませんよお。今も、二代目の時代も。誰かの道具でしかない。それもギロチンですよねえ」

 蛇蔵さんは急に清美君を見た。清美君は唾を飲んだ。

「薬師神子在という人間はねえ、沢山の人の首を斬り落としてきたんですよお。それも自分の意思ではなく、二代目組長の――父親の娯楽の為にねえ。怖くないですかあ?」

 問いかけにも関わらず、蛇蔵さんは間髪入れずに話し続けた。

「怖いですよう。信頼できないんですよう。皆そう思ってるんですよう。自分達の預かり知らぬところで見知らぬ誰かにギロチンが再び動かされて殺しにかかってくるかもしれないんですよう。不安ですよう」

 清美君は浅い呼吸を一つして、身を強張らせた。テーブルの下で拳が作られたのが、隣に座る僕には見えた。

「まるで人格が無いような扱いをするんですね」

「無いようなものですよお」

「反対に、際立った人のように思いますよ」

 清美君は、な、と僕に同意を求めた。同時に蛇蔵さんが半眼になり、瞳だけを動かして僕を見た。怖いので、表情を保ちながら清美君の拳を撫でた。清美君はそれで自分の拳に気付いたようで、瞬いてから拳を解いた。

 蛇蔵さんは声を尖らせた。

「半月程しかいないから分からないんですよ。いつか、その空虚さに失望することになる」

 蛇蔵さんはそこで一旦口を閉じた。一度も口をつけていないティーカップを両手で包み込んだ。そして、笑みの仮面を被り直した。

「ずうっと傍にいたから分かるんですよう」

 奏君が何を思ったのか、ずっととは、と問い返した。

「ええ、十歳の頃から面倒を見るように頼まれていましてねえ。二代目組長、つまりはあ、父親からですねえ」

「じゃあ、在さんが反抗的な時も傍にいたんですね」

 清美君がさらっと言うと、蛇蔵さんはきょとんとした。

「知ってるんですかあ? まあ、そうですけどお」

「楽しくやってたんじゃないですか?」

「できる訳ないですよう」

 清美君は在さんに同じ問いをした。

 在さんは眉を顰めて、口元に手をやった。数度瞬いた後、目を細めた。

 蛇蔵さんと同じ答えかと思ったけれど、それにしては沈黙は長かったし、緊張した感じは無かった。言葉を探しているんじゃなく、記憶を探しているんだろうと察しがついた。目当ての記憶が抜け落ちていることも分かっちゃった。

 在さんは手を下ろし、膝の上に置いた。そして、真っ直ぐ蛇蔵さんを見据えた。

「そうだったかもしれない。嫌な心地は少なかったから。……本当に楽しくなかったの?」

 蛇蔵さんが愕然とした。見開かれた目が逃げ場を探すように揺れた。は、と息とも問いかけともとれる声が薄い唇の合間から零れた。

 在さんが俯いた。奏君が子どものような顔で在さんを見上げた。清美君も心配そうに在さんを見つめていた。その視線を振り払うように在さんは顔を上げて、また蛇蔵さんに話しかけた。

「……そうだとしたら、大切にしたかった。でも、僕はきっと踏みにじってしまったんでしょう?」

 蛇蔵さんは蛇に睨まれた蛙のように動けないようだった。在さんがまた俯いた。

「悔しい……」

 消え入るような呟きをかき消すように、清美君は在さんの肩に自分の肩を当てた。

「今から大切にし直せば良いじゃないですか」

 ね、と清美君が元気よく在さんに同意を求めた。在さんは唇を噛んだ。ねえ、と清美君がまた肩を当てた。在さんが身を引きながら、答えた。

「烏滸がましいよ」

「えー、勿体ない考えしますね。楽しくやっていきましょうよ。蛇蔵さんとしてもその方がっ!」

 清美君の言葉が途切れた。彼が蛇蔵さんを見たからだ。というか、全員が思考を止めずにはいられなかった。

 蛇蔵さんの顔は真っ赤に染まっていた。

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