第38話 温度差!

 ぶつかりそうになりながら扉を開けると、部屋にいた四人が一斉に僕の方を見た。清美君は僕を見て弾けるような笑みを浮かべた。蛇蔵さんは先程よりは多少柔らかな表情だ。奏君も機嫌が良さそうだった。優翡さんは頬を紅潮させていた。が、僕を見ると段々元のツンとした顔に戻っていった。

 うわあ、勿体ないことをしてしまった。これで僕がいた時の流れがまたやられるんだ。嫌だあ。

 その時、意外なことに奏君が動いた。

「話続けましょうよ。奏、最後まで聞きたいです」

 子猫みたいな上目遣いと可愛らしい声で甘えていた。見たことも無い状態だ。

 奏君は十代の時に十四歳年上の女性と付き合っていた、という過去がある。まあ、だから、年上な方がタイプなんだろう。でも、優翡さんは五十路の人妻だよ? いけちゃうの? いっちゃうの? いっちゃってるの? 不倫願望なの? リスクがあまりにもハイだよ。

 僕の不純な戸惑いを他所に、清美君は奏君に加勢した。

「そうですよ。此処で終わっちゃあ生殺しですよ。生・殺・し! せめてプロポーズの所だけでも聞かせてくださいよ」

「プロポーズ⁉ 今の旦那さんのこと⁉ 若頭補佐との馴れ初め聞いてたってこと⁉ 何で⁉」

 思考より先に飛び出た疑問に、何故か蛇蔵さんが頷いた。

「愛があるなんて思いませんよねえ」

 初めて聞いた声は柔らかく響いた。在さんと同じく眠たくなってしまいそうな調子で、二人の長い月日を感じさせた。

 投げかけられた言葉は同意できるものだった。けれども、優翡さんが彼を睨みつけたから、同意する訳にはいかなくなった。

「いや、僕が気になりますのは、どうしてその話になったという所、一点のみですね! そこ、教えてもらえませんか?」

 やけっぱちになって優翡さんに話しかけると、彼女はまた頬を紅潮させた。ふるふると髪を一分の隙も無く纏め上げた頭を振った。派手な色の口紅をさしたぽってりとした唇の下に、紅のマニキュアを飾りなくマットに塗り上げた爪が揃う柔らかい手を悩ましげにつけた。アーモンド形の瞳は威圧的に見えるようにメイクされていたけれども、今はそれを台無しにするように潤んでいた。きっちりと体を固めるように着た着物の刺繡の繊細さが今になって目についた。

 ……あれ、可愛いな?

 脳内でアニメオタクの友人、獏宮ばくみや凜々花りりかちゃんが話し出す。

 ――ギャップ萌えってやつだよ。全く正反対に思える属性が一つのキャラクターに付与されると、互いの属性が映え合って深みが出るのさ。

 今になってその言葉が理解できた。味付けが濃く感じるから好きじゃないとか当時は言っちゃってごめんね。

 優翡さんが咳払いをした。あまりにもわざとらしくて可愛いな。

「清美君が旦那の人柄を聞きたがったさかい、しゃあないんよ。うちかてしたくてした訳ちゃうわ」

 清美君、奏君、蛇蔵さんが優翡さんに注ぐ生暖かい視線で察しちゃった。ノリノリで話したんだろうな。

「まあー、おとうちゃんが帰ってくるまで暇やし、続き話したってもかまわへんよ」

 清美君と奏君が万歳した。仲良いよね。僕もこの空気に完全に混ざりたいので、話してほしい。清美君と奏君に合わせながら強請った。

「そこまで言うんやったらしゃあないわ」

 優翡さんはそう言って、ふふんと機嫌よく鼻の奥で笑った。右側の口角だけ上がって、几帳面に均一に塗られた口紅を際立たせた。しかし、その唇はすぐに尖ることになった。

 在さんが部屋に入って来たのだ。

 優翡さんは乙女から一気にクレーマーへと転身した。突き上げるようにして立ち上がり、在さんを睨みつけた。

「おとうちゃんはまだかいな」

「もう此処には戻られないかと」

 優翡さんは床を踏み抜かん勢いで力強く在さんのいるドアへと歩き出した。

「おとうちゃんったら……話に行くわ」

 そんなあ、と奏君が声を上げた。優翡さんは僕らに背を向けた形で歩きながら言った。

「また今度な」

 そんな温かな声が一瞬にして絶対零度になる。

「蛇蔵。あんたも仕事するんやで」

 蛇蔵さんは一旦間を置いた後、浮遊する声で答えた。

「はいはあい」

「返事は一回や!」

「はあい」

 もうっと優翡さんは全身を震わせてから、部屋を後にした。

 蛇蔵さんの仕事を披露してもらおうかと言わんばかりに、在さんは席に座った。僕は見たくは無かったし、今すぐ帰りたかったが、流れに逆らう気力も無かったので座った。

 しかし、まず口を開いたのは奏君だった。在さんのスーツの袖を両手で掴んで上下に引っ張った。在さんは宥めるように奏君を見つめた。親子っぽさを感じた。感じていいのだろうか。

「空気読んでくださいよー。何ぶち壊してくれてるんですか。日本に戻ってきてから一番楽しい時間だったんですよっ」

「そんなに楽しかったの?」

「最高でしたよ。でももう終わりですよ。貴方のせいでっ。また辛気臭いシリアスが始まるんですよ」

「今までは何だったの?」

「ラブロマンスですよっ」

「あの人と若頭補佐の?」

「それ以外に何があるっていうんですか」

「その話を聞くのが一番楽しい時間だったの?」

「そうですよ。清美さんや蛇蔵さんだってそうに違いないですよ」

 清美君が抗議の声を上げた。

「そこまでのことじゃないですよ」

 ね、と清美君が蛇蔵さんに同意を求めた。蛇蔵さんは変わらない微笑で頷いた。真っ白に染め上げた髪をきっちりと編んだ長い三つ編みが揺れた。そして、細い目は白々しく清美君を眺めた。

「橘清美君はさ、桜刃組にいない方が良いですよねえ」

 清美君は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、ギャアと鴉のように鳴いた。

「蛇蔵さんのお仕事って、優翡さんと同じものじゃないんですか」

「俯瞰的に見たら同じことですよう。ねえ、端的に言えば、君は父親に振り回されているだけでしょう」

 清美君がむっとした。シリアスモードに切り替わっちゃったとでも言おうか。半眼で空気をひりつかせて蛇蔵さんに対峙した。

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