第27話 匣織市は田舎じゃない!
「さて、さっきの質問に答えてもらおうか。君の太腿撫でまわして良いのか悪いのか」
「そんな話じゃっけ?」
「良いよね?」
唸り声が返ってきた。即答で拒否しないってことはまあそこそこ悪くないのでは……なんて都合よく考えていたら、清美君は勢いよく答えた。
「ええよ」
「良いの? 撫でちゃうよ?」
「正直、言葉にされるとつっかえるものが無いことも無いけん、何というか、ナチュラルにいってくれや」
「それは良くないってことじゃないの」
「言われなきゃ気にせんかったけんの、悪くはねえんとちゃう」
ほお、と意識的に声を上げる。頭の中ではアラームが鳴り響いていた。この子の警戒心の無さが怖い。
「清美君、心配になっちゃうよ……」
カチンときたのが、空気で伝わった。言うてねえ、と声が旋回した。
「どうもせんじゃろ。太腿程度で」
「程度」
「いかんのは、真っ直ぐ局部狙うもん」
言葉に実感があった。突飛な発想じゃないって分かっちゃった。つまりは。
「真っ直ぐ局部狙われたことあるんだ」
見ず知らずの痴漢じゃないとすれば、という仮定が浮かんだ。僕が把握している彼の友人の中から、彼をそういう視点で見そうな人を探す。
ある人のSNSに投稿された文章のいくつかが浮かんだ。実在の男性を特定できないようにしていたが、性的な目線で語っていた。ジョークの範疇に収まるような、軽く茶化した言葉だった。そのSNSのアカウント名は「セクセン」。
「瀧川紀香」
その人に向かって、清美君は言ったのかもしれない。「セクハラですよ先輩」とか。やたらと容易く再生できた。
まあ、妄想だ。飛躍だ。悪い癖だ。おしまいにしなきゃ。
ウインカーを出して、右折する。ハンドルが完全に戻った時に、鳴りっぱなしになっていた音楽が気に障った。停止させて気付いた。――清美君が驚いて固まっていた。
「当てちゃったんだあ」
「何で分かるんよお!」
砕けた物言いにほっとした。今更ながら、気味が悪いことをしちゃってたと気付く。反省。
「勘だね。まあ、今まで穏やかな関係だと思っていたよ。僕が見た時、普通に仲良かったし」
「あー、その時は既に修復してたんよ」
「できちゃうんだ」
「叱ったら、やらんくなったもん。根は良い人じゃけん」
良い人の定義が分からないな。
詳しく聞き出そうとしたら、わざとらしい咳払いでかき消された。
「別の話しよ」
「じゃあ、昨夜、君が何をしつこいと言ったかという話だね」
しばしの沈黙。無言の制圧を受けた。
清美君も僕と同じく頭を使わずに勢いで話す傾向があるね。
追撃しようとしたら、清美君が先に口を動かした。
「今、永苑に向かってる訳じゃが」
「勘で行ってたけど当たってたんだね」
「しっかりしてくれえ」
皆大好き、揺り籠から墓場までのお付き合いができる永苑ショッピングセンター。向かっている隣の市の永苑には近くに電気屋と家具屋まであるので、清美君のような新生活を始める人には必須の場所だ。今回の都合に適いすぎているから行っちゃってるのだ。
前に維新君に何気なく永苑の話をしたら、匣織は田舎と認識されたのでちゃんと言っておく。匣織は田舎じゃない。
自動車が無くても余裕で生活できる。安さを売りにしたスーパーも、珍しい食材を売る高価格帯スーパーもある。本屋も図書館も半日潰せるような規模のものがある。楽しく食べ歩きもできるし、飽きない程度には色んな国のご飯屋さんがある。
清美君は徒歩一時間もかからずにシネコンがあることに感激していた。在さんは融雪がしっかりしていることを褒めていた。こんな雪の降る場所で人が住むべきじゃないとか言い出したことがあるのは目を瞑る。優作さんは生きていて不便をあまり感じたことがないと言っていた。他の場所で生活したことがないからそう思えてる気もする。でも、大阪から来た奈央子ちゃんも不満を言ったことが無い。匣織市喜珠村出身の焔は、匣織市中心地を都会の方と認識してる。
だから、匣織は田舎じゃないのだ。話がずれちゃったよ。
隣の助手席で清美君は永苑にレモネード専門店があることに触れていた。飲みたいらしい。代打として出す話題が弱い。
「僕は昨日レモネードの話をしたのかな」
「……した! してたわい!」
清美君は意地になって頑張って話を作ってくれた。酔った僕の精度の悪い物真似を披露しながら、レモネード専門店なのにレモネード以外も売っていることが気になると言っていたと捏造してきた。なかなかの熱弁だったが、途中で飽きたようで間の抜けた声をあげて打ち切った。なかなかの自由人だ。軽く唸り声をあげて、清美君が囁くように本題に入った。
「言ったら、もう言うの止めてくれんの?」
そうだね、と反射的に返してちょっと考えて答え直した。
「約束はできないねえ。努力はするけどね」
へへ、と笑い声がした。同調して同じように笑っておいた。
清美君はまた笑った後、おずおずと話し出した。
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