新日常プロローグ
虎山八狐
prologue
第1話 寿観29年6月10日未明①
軽やかな足取りと共に揺れる髪は緋色に染められていて、左側の横髪だけが鎖骨辺りまで長かった。右側は短く、耳が良く見えた。右耳には真鍮の羽根のピアスがしてあり、頭に合わせてよく揺れた。左耳の方のピアスは同じ材質だが、飾り気のないものだった。前髪は左上がりに斜めに切られていた。後頭部が左右対称なのが不思議な程だ、と
安藤の奇抜さはそれだけでは無かった。紅茶色の瞳やはっきりとした目鼻立ち、すらりとした体格は日本人離れしていた。というか、何処の国の人間か分からない。リップラインがはっきりした大きな唇から多量に生じる言葉が滑らかな日本語だということだけで、日本人として判断する他ない。
先程いた中華料理屋であまりにも率直な安藤の態度に飲まれて、清美は出身を尋ねた。東京生まれ東京育ちと、映画の文句のような言葉が返って来た。そして、更に続いた。
「父方のお婆様はロシア人なんだ。父方の方は、彼女以外日本人だね、分かる限りは。複雑かつ不明瞭なのが母親の方。まず、彼女の母は、つまりは僕の祖母はフィリピン人と日本人のハーフ。父親、つまり、僕の祖父は誰か分からないね。マンマ・ミーアみたいにちょうど三人には絞れるんだよ。ブラジル人とイギリス人のハーフか、エジプト人と中国人のハーフか、トルコ人とベトナム人のハーフか。複雑でしょ。もっと複雑なのは僕の祖母。さっき、母方の祖母はフィリピン人と日本人のハーフといったけれど、この日本人も純粋じゃないんだよね。彼女は、そうそう僕の曾祖母はね、母親が日本人なんだ。オランダ人の血が少し入っているけどね。曾祖母の父親は不明なんだよ。ある程度は絞れるよ。日本人か、韓国人か、中国人か、フランス人か、アメリカ人か、インド人か。絞れてない? 頑張って調べて絞ってこれだよ。限界なんだよ。母方の方は体を売って日銭を稼いだ挙句に避妊に失敗しちゃった人間ばかりでね。完全な特定なんて奇跡でも起きないと無理なんだよね」
清美は酔いが醒めるような気まずさを覚えると同時に、会って一日も経っていない人間に対してこれ程までに赤裸々に話す安藤に不安を抱いた。否、正確に言えば、心配になった。彼は情報屋という職業だ。だのに、この調子じゃ不運を招いていないか気を揉んだ。
「あんましそういうこと言わん方がええんとちゃうの」
思わず忠告を口にすれば、安藤はにんまりと笑った。
「君が知りたいことは教えてあげたいんだよ。その方が、少しでも気が楽になるでしょ」
ハイボールのグラスを持った清美の手に安藤の手がそっと重ねられた。長い睫毛に縁どられた紅茶色のアーモンドアイが柔らかく細められていた。
清美は彼の手を拒まなかった。それどころか、陽だまりのような心地よさを覚えていた。
この時点の前から、安藤の優しさや素直さに好感を抱いていた。同時に、悪趣味な所やしつこさも認めていた。
今、数歩前を行く安藤の背中を眺めながら、清美は彼を評価していた。
――悪くはない、寧ろ良い人ちゃうんか。
父の
特に宗助は不穏だった。
そもそも宗助は、清美が桜刃組に入ることを安藤に手伝って貰っていた。しかし、清美に彼の存在を告げたのは
電車の中、アナウンスが次の駅が匣織だと告げた。その途端に宗助は口火を切ったのだ。
「安藤巳幸っていうのがおるんじゃがな、あんたの世話してくれるわ」
抱えた鞄に視線を落としたまま、苦々しく囁いた。普段の無敵な態度とは正反対で清美は困惑した。
「誰よ?」
宗助は鞄の金具を弄った。電車が揺れるリズムに合わせるようにかちゃりかちゃりと高い音が鳴った。
「情報屋じゃ。桜刃組贔屓の。あんたは、好きじゃろうな。出会ってしまったことをいつかは後悔するタイプじゃけども」
「そんなこと言うて、その人に頼んだんやろ」
「まあ、うん、そうなんじゃがの。……しゃあないんじゃよ。じゃけん、あんたに忠告したいことは一つじゃ」
「何よ」
宗助が清美を見上げた。
「利用はするが、巻き込まれちゃならんぞ」
父が突如見せた冷酷さが清美の癪に障った。同時に電車は大きく揺れて止まり、彼等が目指して来た地名を告げた。
宗助は清美の先を行きながら一方的に情報をぶつけた。
「地雷原じゃ。いや、本人も地雷を持っとるが、多くの他人様の地雷を踏み抜きかねん。下手すりゃ、あんたを地雷原に突っ込ませるかもしれん。人を利用できる人間じゃ。あんたは簡単に盾にされようよ。ほじゃけん、深入りはしたらいかん。されてもいかん。他人やと切って捨てられる距離を保たないかん」
「そんなん、俺にはできんわ」
「できるできんは関係あらへん。やらないかんのじゃ」
宗助はそう言って駅を出た。そして、駅の前の広場にいたものを見て言葉を失った。彼にとどめを指すように女の声が響いた。
「匣織市のゆるきゃら、ハコオちゃんの交通安全のお願いでーす。よろしくお願いしまーす」
ハコオちゃんの見た目は容易い。頭から踝まである箱を被っている。腕は無いが、顔は申し訳程度にある。黒い点が二つとその下に黒色でV字が描かれている。足は黒く分厚い靴下のようなものを履いていた。その形態上、動きは当然悪い。道行く人々に対して左右上下に僅かに揺れる程度のアクションしか出来ていなかった。
どうやら交通安全キャンペーンに参加していたようで、「交通安全」と紺色のゴシック体が並ぶ白いタスキをつけていた。ハコオちゃんに肩は無いので、胸から腰にかけて縦に貼り付けられていた。
異様な姿を前に宗助は立ち竦んだ。清美は先程の刺々しい会話の仕返しとばかりにわざとハコオちゃんに近付いた。宗助が渋々後を追った。
ハコオちゃんの傍らにいた女性がにこやかに清美にポケットティッシュを渡した。続けて宗助にも渡し、ハコオちゃんの肩辺りを軽く叩いた。
「お兄さん、弟さん、信号は守って下さいね。ハコオちゃんも応援していますよー」
彼女が顎の下に拳を作って笑みを深めた。
ハコオちゃんが正面を宗助に向けて、スマホのバイブレーションのように小刻みに震えた。
宗助は真っ青になり、清美の腕をひいて駆けた。広場の端にある自動販売機の前で止まると、宗助はハコオちゃんに背を向ける形で金を入れた。
「あんた眼鏡しとらんけん、分からんかったやろ」
宗助が水のボタンを押している間に清美は振り返った。
「何がよ」
「あいつのタスキな、ガムテープでつけられとるんじゃ」
清美の驚いた声とペットボトルが落ちた音が重なった。宗助はそれを取り出しながら苛立ちを漏らした。
「あんなゆるい通り越して雑なもんが匣織しょったらいかんやろ」
桜刃組に執心している父が郷土愛自体を見せるのは珍しいことだった。清美は面白くなってきて、その方向に話の舵をきった。
今思えばあの時に安藤のことを追求するべきだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます