初めてのキスは味がしなかった
初めてのキスは味がしなかった。
ナイフでずたずたに切り裂かれたように舌が痛いせいで何も感じない。
きっと舌だけじゃない。全身がもう馬鹿になってる。
それでも口づけをしたのは、ずっとその行為に憧れていたから。
あとはちょっとした願掛け。
だって、御伽噺ではいつもお姫さまはキスで目を覚ます。
「……トトリちゃん?」
もう二度と聞けないと思っていた声に心臓が跳ねる。
「エコ姉! よかった、目を覚ました!」
「いったい、どうして……って、いたっ!」
エコ姉が顔をしかめる。
無理もない。エコ姉の体はすっかり灰色に変色し、見た目はもうほとんどゾンビと区別がつかない。まだ燃えるような熱さはないけど、全身が痛むだろう。
そして、それは私も同じだ。
「と、トトリちゃん、その姿、いったい何が」
「エコ姉が眠ってから一日たっただけだよ」
「ロートスジャムを飲んだのに、どうして」
「単に量が足りなかったんだと思う」
もしくは上手く溶かしきれてなくてカップの底についていたとか。いずれにしてもエコ姉が再び目を覚ましたのは奇跡以外の何物でもない。
体を起こそうとするエコ姉に片手を貸す。
エコ姉は痛みをこらえながらも、私の腕を見て目を丸くした。
「そ、その腕、どうしたの。左腕が、な、ないけど」
「ここに来るまでにゾンビに食べられちゃって」
「た、たべ、たべられたってそんな」
一日前、エコ姉が眠りに落ちたあと、私は背中に彼女をくくりつけてゾンビの群れを突っ切ってきた。
どうせ死ぬのだ。腕一本くらい安い代償だ。それでここまでたどり着けたのなら充分だろう。
「ここに来るまでって……え、うそでしょ」
そこでエコ姉はようやく自分が今、どこにいるのか気づいたようだった。
「ここ私の家よね」
床に散らばったゴミ。たたんでない衣服。片づけてない食器。残念ながらどれもゾンビが散らかしたものではなく、元からこの家にあったもの、まごうことなき定位置だ。
部屋の中心では宿木が途中で何度も曲がりながら、それでもたしかに天を目指している。
その不器用な育ち方はエコ姉の生き方にそっくりだ。
「やっぱり、赤いのね」
エコ姉が空を仰いだ。
「でも、まだ緑も残ってる」
だから。
「ここまで来れたことは無駄じゃなかった。無意味な逃走なんかじゃなかった」
「……もう少し時間が経ったら、きっと立つこともできなくなる。それでも?」
「どうしても耐えられなくなった時は――これがあるから」
私はマイス茶の入った水筒を取り出した。もちろん、ロートスジャムたっぷりの激甘。
運命から勝ち逃げするための甘い秘薬。
「そういえば、私はお茶を飲んだらキスしてもいいって言ったのよ。思いきり約束破ってない?」
「破ってません。まだ果たしてないだけです」
そして、最期には間違いなく飲むのだから、約束は何も違えていない。
そんな私の主張に口を尖らせるエコ姉の手を強引につかんだ。王子が姫をダンスに
「……突然ね」
「心の準備をする時間はもうないから」
体が熱い。
全身の細胞という細胞が悲鳴をあげる。
それは私の手を握る彼女も同じだった。視線を絡め、指をなぞり、二つの影が一つに重なる。灼けるような痛みも、萌えるような喜びも、高なる鼓動のリズムさえも繋ぎ合わせ、魂の周波数を同期していく。
時計の針が止まってしまえばいい。
そう願ったのはどちらだっただろう。どちらだったとしても、今この瞬間それは同じことだった。
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