あなたのことが――

 ゾンビの闖入でお茶休憩を中止された私たちは、捕まえたゾンビを二階の窓から外へ突き落とし、他にゾンビが潜んでないか家中を見て回った。案の定もう一体隠れていたゾンビを見つけ、同じ要領で片付けることに。


 考えてみれば、この家は初めから扉が開けっぱなしだった。ゾンビがいて当然だ。


 ようやくエコ姉が用意できたマイス茶をテーブルに並べ、二人でソファに腰掛ける。


「ごめん、エコ姉。私がうかつだった」

「トトリちゃんはそんなこと気にしなくていいのよ。そもそも、それを言うなら、はるかに歳上の私の方なんだから」

「でも、役割的にそういうのはエコ姉じゃなくて私だし」

「…………そ、そう」


 心なしかエコ姉の視線がうつむく。

 とはいえ、実際のところそれが事実なのだから仕方ない。

 何も言えずにいると、おもむろにエコ姉が口を開いた。


「ねえ、トトリちゃんは……後悔してないの?」

「何を?」

「ゾンビに感染してまで私と一緒に逃げてきたこと」

「してないよ。するわけないじゃん。私が言い出して、私が無理やり始めたことなんだから」


 全部、何もかも、私がしたかったからしたことだ。そこに後悔があるはずもない。


 だが、エコ姉はゆっくりと首を横に振った。


「それはきっとね、トトリちゃんがまだ元気だから言えることよ」

「元気って……もう感染してるけど」

「でも、体は動く。声も出せる。言葉も理解できるし、思い出も浮かべられる。それは元気ってことよ。夜が明ける頃にはきっとそれも少しずつできなくなっていく」


 エコ姉が語るのは生きながらにしてゾンビになることの苦痛だった。


「感染してから二日目は、体が燃えるように熱くなる。これは比喩じゃないの。本当に発熱して、皮膚も爛れていく。ほら、ゾンビたちってみんな服が肌にくっついてるでしょ? これは爛れた皮膚が服と癒着しちゃってるの。でも、そこまで苦しい思いをしてもまだ死なない、死ねない」

「……」

「感染者はゾンビになる最期の瞬間まで生きているの。うわ言のように『熱い、熱い』とわめきながらね」


 まるで見てきたように語るエコ姉。

 いや、きっと本当に見たことがあるのだろう。


「その瞬間がきたら、私もトトリちゃんも絶対に後悔する。ああ、どうして先に死んでおかなかったんだろう。どうしてこんな苦しまなきゃいけないんだろうって。『殺して』って泣き叫ぶことになる。私はトトリちゃんのそんな姿を見たくない」

「……」

「トトリちゃんが私を宿木に連れていってくれようとする気持ちは嬉しい。でも、ここまで来てわかったでしょ。ゾンビが多すぎて私の家までなんてとてもたどり着けない。だからもういいの。これ以上、現実から目を背けるのはやめて、ここで一緒に終わらせよう?」


 エコ姉はマイス茶の注がれたカップを握った。その手は不自然なまでにカタカタ震えている。


「……エコ姉?」

「トトリちゃんはロートスジャムって知ってる?」

「睡眠薬だよね」


 ちょうど治癒院でエコ姉に会いに行くとき、薬瓶ごと持たされた。


「うん、そのとおり。強力な睡眠作用のある果物から作られた薬でね。摂取量が適量を超えると、眠ったまま二度と目覚めなくなるの」

「エコ姉」

「――ごめんね」


 エコ姉は悲しそうに謝ると、カップを口につけた。


「ダメッ!」


 私の伸ばした手が届くよりも早く、エコ姉はカップの中身を飲み干した。

 空のカップを奪い取り、匂いを嗅ぐ。

 渋い味わいのマイス茶にはふさわしくない甘ったるい香りだ。まるでジャムをたっぷり溶かし込んだような。


「冗談、だよね? まさかここに睡眠薬を入れたりなんて、そんなこと」

「入れたわ」


 静かにはっきりと言い切る。

 これ以上、事実から目を逸らすことは許さないとでもいうかのように。


 目の前が暗くなった。

 せっかくここまで来たのに。ようやく決心できたのに。

 その全てが“手遅れ”の渦に飲みこまれていく。


 きっと今までの報いがきたのだ。

 ずっと隠してきた本音に、今さら正直に従った罰が当たった。

 もっと早くに行動に移すか、いっそのこと死ぬまで隠し通すかしていればよかったのだ。

 中途半端に慣れないことをするからこうなる。


 でも、それでも。


「エコ姉……私、今までずっと、エコ姉に隠してきたことがある」


 今を逃せば、もうずっと届かない言葉を口にする。


「あなたのことが好きです」

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