白百合が灼け落ちるまえに

赤猫柊

なにもかも、ゾンビのせいだ

 なにもかも、ゾンビのせいだ。


 魔封じの投擲剣『ヤドリギの枝ミストルティン』。ゼンマイの新芽を用いた『ぜんまい仕掛けの自奏琴オルゴール』。夢のように甘い果実から作られた睡眠薬『ロートスジャム』。

 ドライアドの里に脈々と受け継がれてきた伝統と歴史が、私たちの代で途切れようとしている。

 それもこれも全部、ゾンビのせいだ。


「みんな、ごめんなさい。噛まれちゃった」


 エコ姉が左肩を押さえながら笑う。傷口からは琥珀色の体液がだらりと垂れていた。

 周りのドライアドたちが目を背けたのは、その痛々しさからか、それとも残酷な未来からか。


 突如、里に現れたゾンビたち。

 彼らは生者に見境なく襲いかかり、噛まれた者は彼らと同じゾンビと化した。ミントの如き繁殖力を誇るゾンビを前に、ドライアドの里は一瞬で壊滅。

 その日から、治癒院へ逃げ込んだ私たちの援軍のない籠城生活が始まった。生き残ったドライアドは数十人。治癒院という場所柄ゆえに元からの怪我人や病人も少なくない。


 ドライアドは宿木やどりぎと命を共有する種族だ。各々に自らの宿木が存在し、その二つは互いを守り守られながら生きている。

 いくらゾンビに里を占拠されたとはいえ、いつまでも自らの宿木を放置できない。私たちは行動を起こす必要があった。


 その結果がこれだ。


「ま、まだだ。噛まれてから発症するまでに二日かかる。その間になんとか――」


 それまでエコ姉の側で顔を抱えてうずくまっていたドライアドの男がのっそりと立ち上がった。

 平静とはほど遠いその姿に、他の男が眉をひそめる。


「やめとけ」

「でも」

「ケルクス、それ以上は口にするな。現実から目を背けても後が辛くなるだけだ」


 それはケルクスを思っての言葉だったのだろうが、彼には逆効果だった。

 たしなめられたケルクスは逆上し、仲間の胸ぐらをつかんだ。


「お、お前はッ、エイコーンを見捨てろっていうのかよ!」

「違う。苦しくなる前に終わらせてやることは、見捨てることとは違う」

「同じだろ! まだ、時間はあるんだぞ! なのにっ」


 ケルクスは拳を握りしめた。音が聞こえそうなほど固く、強く。

 そして。


「やめて」


 振りかざした彼の拳を止めたのはエコ姉の声だった。


「やめてよ、ケルクス。お願いだから」

「――っくそッ!」


 縋りつく声にケルクスの拳がゆるんでいく。

 胸ぐらを掴まれていた男はケルクスの手を払った。


「……エイコーンさんを連れて行け」


 エコ姉を隔離するよう指示。

 周囲のドライアドたちがエコ姉のそばに寄っていく。


「あの、まずは傷口を」

「いいのよ。包帯なら自分で巻くから。傷口に触れてうっかり感染するわけにはいかないでしょ」


 いつものように明るい口調を見せるエコ姉。

 そこに割り込むようにケルクスがエコ姉の腕を強引につかんだ。


「俺が連れていく」

「は、はい」


 有無を言わさぬ気迫を前に、エコ姉に肩を貸していたドライアドはゆっくり後ずさった。


「エイコーン……痛くはないか?」

「平気よ、意外と何ともないみたい。明日になったらそんなこと言ってられないんだろうけど」


 エコ姉とケルクスはゆっくりとその場を去っていった。


 残されたわたしたちはしばらく何も言えなかった。


「……猶予は二日間。いや、実質一日か」


 初めに口を開いたのは、先ほどケルクスをたしなめた男だ。

 彼が言わんとすることが何なのか、この場の全員が理解していた。


 エコ姉がゾンビと化すまで後二日。症状の進行による苦痛を思えば一日。それまでにエコ姉を苦しみから解放させなければいけない。

 つまり、エコ姉の最期を"誰"が介錯するか。


 私はようやく声をあげた。


「私がやります」

「ダメだ……トトリちゃんは彼女と知り合いなんだろ?」

「だからです。子どもの頃からエコ姉にはお世話になってきたから、最期まで一緒にいたいんです」


 男はやり切れない表情で首を横に振った。


「だとしても、十代はまだ子供だ。しかも、女の子にこんなことをさせるわけにはいかない」

「こんな状況で子供も大人も、男も女も関係ないですよ。さっきだって、ゾンビを一番多く倒したのが誰なのかわかってます? 私ですよね」

「それは……」


 言い返せない。

 そりゃそうだ。

 幼い頃からずっと武術を習ってきた私はこの中で一番強い。私がいなければ今頃、感染者はエコ姉だけでは済まなかっただろう。

 そもそも、途中で二手に別れた時、私がエコ姉と一緒にいたなら、こんなことには絶対ならなかった。

 それなのに。


「――わかった。トトリちゃんに任せよう」

「ありがとうございます」

「お礼なんて辞めてくれ……自分が情けなくなる」


 苦笑しながら長椅子に腰掛ける男の姿は、もういない父とよく似た哀愁が漂っていた。

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