第3話 暗躍する男

 光沢公園の戦没者慰霊塔は、地上の塔と地下の安置堂から造られている。


 その塔の前に五十代男性がいる。


 白髪交じりの長髪、優しそうな初老の男性という雰囲気を持っていた。


 夏用のビジネススーツを着て、旅行用のショルダーバックを掛けていた。

 

 男はバックから呪符ケース二つを出して腰につけ、呪符を一枚取り出した。


 呪符は上側に五芒星のセーマン、下側に縦四本横五本の直線が描かれたドーマン、その間に文字が書かれている。


 この呪符は陰陽師が使うものだった。


 呪符を足元に貼って念を込めると、不自然に人が慰霊塔の周囲から離れていく。


 男は効果を確認して、バックから儀式に必要な金属製の香炉を取り出す。

 

 次に呪符を五枚取り出して念を込めて飛ばす。


 慰霊塔を中心に呪符が五芒星になるよう均等に地面へ貼り付く。


 刀印を組んで集中すると、慰霊塔の周りに光の二重円が描かれる。


 階段の段差、造園も関係なく光の線は描かれた。


 そして円の間の呪符が光の線を結び、五芒星を描く。


 香炉の蓋を開けて火を入れる。


 香炉から煙と独特の香りが立ち上るのを待ってから始めた。


 九字護身法の印を一つずつゆっくり結ぶ。


「臨……兵……闘……者――」


 静かに詠唱を発しながら、体内に気を巡らして霊力を高める。


「――皆……陣……烈……在……前」


 上着から木目の数珠を取り出し、手に数珠を掛けて合掌すると眼を閉じた。


――じゃらり、じゃらり……。


 数珠が辺りに鳴り響く中、男は詠唱を始める。


下津国しもつくに石隠いしがくれ どこに姿があるものや どこに形がいたものや 誰の道を呼ぶや 仏の道を呼ぶや 極楽の宝珠がつらなる 宝珠の数珠が響き鳴る 帰る道へと響き鳴る」


――じゃらり、じゃらり……。


 いつの間にか空が雲で覆われていた。


 鋭い眼光を放ち、詠唱が強い声に変わる。


 再び九字護身法の印を詠唱に合わせて結ぶ。


「東方には青大青竜王せいだいせいりゅうおう、南方には赤大赤竜王せきだいせきりゅうおう、西方には白大白竜王はくだいはくりゅうおう、北方には黒大黒竜王こくだいこくりゅうおう、中央には黄大黄竜王おうだいおうりゅうおう、陰陽の道たる五行にて現世へ道を現し給え!


 ……召呼幽魂しょうこゆうこん! 急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!!」


 術が終わると、男は荒く肩で息をしている。


 煙の漂う中、慰霊塔の周りに戦没者の霊が一体、二体と徐々に現れた。



――召呼幽魂しょうこゆうこん――

 

 イタコの口寄せを組み込んだ術。


 死者の霊に対して応じた魂だけが一時的に召喚される。


 お香、数珠や錫杖しゃくじょうを用いて呼びかけ、術で現世への道を作る。今では失われた術。


――――――――



 軍人、民間人を含めて数える必要が無いほどの霊を視て、男は口元をニヤリと歪ませた。


 数珠を上着に戻し、もう一つの呪符ケースから別の呪符を有るだけ霊に撒いた。


 セーマンドーマンは同じ位置にあるが、先ほどまでの呪符と違っていた。


 呪符の中央に陰陽勾玉巴いんようまがたまともえがあり、周りに様々な線が描かれている。


 その呪符が舞う中、刀印を組んで詠唱する。


三清さんせい元始天尊げんしてんそんを奉り、封神台ほうしんだいことわりを用いて魂魄こんぱくを封じる……呪縛封神じゅばくほうしん! 急急如律令!」


 大量の封神呪符は無数の霊を吸い込み封印した。



――呪縛封神じゅばくほうしん――


 神や妖魔、核の禍津日まがつひ、魂などの非物質で霊的なものを封印する術。


 陰陽師において、主に罰示式神ばっししきがみとして使役するための封印術。


 本人の力量があれば十二神将も従えられる。今では失われた術。


――――――――



 手に集中すると封印した呪符が、その手の中へ戻っていく。


 集めた呪符をケースに入れ、腰の呪符ケースや香炉も片付けて全てバックに収める。


 足元の呪符、魔法陣の呪符に念を送り、灰にして消滅させた。


 光の魔法陣が消えたことを確認して呪符の灰を踏み払った。


 男は周囲に人の気配が戻らない状況を推察して呟いた。


「この状況、退魔師の連中も動いているか。ならば……」


 封神呪符を一枚取り出して集中する。


「……封神開放」


 呪符は一瞬で灰になり、眼の前に小さな禍津日まがつひを浮かべた。


「ここは、あのような出来損ないにはなるまい」


 慰霊塔に息で吹き送ると、塔に憑いて周りの陰の気である霊を取り込んでいく。


 取り込んだ霊の数で禍津日まがつひが急成長し、妖魔の姿が形成されて慰霊塔を離れた。


 白い着物を着た半透明の女性が現れて、泣きながら辺りを浮遊する。


「私の子供はどこ? 家族は……みな燃えている、もえ……あああぁぁぁぁ!!」


 叫びと共に激しい霊波が風となって駆け抜けると、近くの木にいた鳥が地面に倒れ落ちる。


 周りに散った幽霊も霊波に当てられて、悪霊へと変わっていく。


 疲労した男は妖魔を視て呟く。


「これなら、私がここを抜ける隙を作れるだろう」


 音もなく、頭上の雲が幕電まくでんで光った。

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