美鈴

いくつになっても女性の気持ちはわからないな、家に来た美鈴を見て思った。

「バイトお疲れ様。ケーキ買っておいたから手を洗ったら食べようね」

「…ありがとうございます。おじさん、部屋での用事は良かったんですか?」

「…まあ大丈夫かな」

美鈴は玄関で靴を脱ぎながら、のぞき込むようにじっと目を見つめてきた。お母さんと同じ切れ長の目だ。

さっき喫茶店で会った時には、俺が部屋にいたいという要望を嫌がった割に、少し時間が経つとこちらの顔を伺うように聞いてくる。これもこの子のお母さんにそっくりだなと思った。

部屋でマッチングアプリの状況を確認したかったが、どうせまだマッチングしていないだろう。それに美鈴は何か話したげだった。

美鈴はバイトの疲れもあるのだろうか、どこか気だるげに洗面所に向かい手を洗った。俺はそれもしり目に、駅前でかったメロンとブドウが乗ったケーキをお皿の上に取り分けた。

「飲み物はどうする?」

「コーヒー以外でお願いします。バイト先でコーヒーばかり見たのでゲシュタルト崩壊しそうで」

「ゲシュタルト崩壊の意味は違いそうだけどね。じゃあ、ほうじ茶にするね」

俺はほうじ茶を二つ用意し、美鈴の席と対面の自分の席に置いた。

「…おじさん、ケーキを食べる前にお話しがあります」

「食べながらでもよくない?」

「だめです。真剣なお話です」

そう言って美鈴は席に着いた。確かに真剣なお話のようだ。いつにもまして固い表情をしている。

「わかった」

「さきほど。おじさんのスマホの画面を少し見てしまいました」

「ちがっ…はあ…」

まずい。マッチングアプリの画面を見られていたようだ。思わず否定の言葉が口に出そうになったが、何も違わない。言葉を飲み込み、軽くため息をついた。

「おじさんは彼女が欲しいんですか?」

「…」

どう答えたものかわからなかった。俺の世代だと、マッチングアプリは出会い系サイトという考えを持っている人がまだ多い。しかし美鈴はどう考えているのだろうか。

素直に誰かと結婚したいから始めたと伝えたとして、それが美鈴の教育に良いのだろうか。

ダメだ、この考えは。俺は何度間違えるか。俺は美鈴の親ではない。ただの近所に住んでいるおじさんなんだ。美鈴の教育どうこうなんて、考える必要はない。それは無駄なおせっかいなんだ。

「…おじさんは、彼女が欲しいんですか?」

美鈴は再度聞いてきた。目の前に座った美鈴の目を見る。俺の目をまっすぐに見ている。

「…彼女というか…結婚したいんだ」

美鈴のまっすぐな瞳を見て、俺は気づいたら白状していた。

一度言葉が漏れてしまうと決壊するのはすぐだった。

「もう30歳だしさ。これから1年かけて出会って、1年付き合って、1年結婚準備したりして、子供ができるころには35歳になっているかも知れないと思ったんだ。むしろ今までがちんたらしすぎていたのかも知れない」

「それでマッチングアプリを始めたんですが」

「出会いなんてないからね。美鈴も知っているでしょう」

「好きな人とかいないんですか?恋愛をして結婚するのも良いことだと思います」

「…」

「…ごめんなさい」

謝らないでほしい。と言おうと思ったが言葉を飲み込んだ。

「まあ、あれだよ。高校生にはわからないかも知れないけど、大人になると好きな人が出来て付き合って結婚するということは無いんだよ」

「どういうことでしょうか」

美鈴はよくわからないのか困り眉をしている。

「気になったら先にお付き合いから始まってそこから好きになれそうだったら結婚するのが一般的なの。ほら合コンとかそういうイメージ無いかな?」

「よくわかりません。合コンとか良く行かれるんですか?」

「…」

「…ごめんなさい」

「いや謝らなくていいよ」

「いえ、おじさんが好きな人がいないことや合コンに行ったことがないことは何となく想像がついていましたから」

「…そうなんだ」

「ええ。だから驚いてしまって。そんなおじさんがいきなりスマホで女性をチェックっされていたから驚いてしまいました」

「まあ、今まであまり積極的に婚活してなかったから。このアプリも昨日今日始めたからね。写真も今日撮ったばかりだし」

「見せていただいてもいいですか?」

「…はい。スマホのパスワードは1010だよ」

マッチングアプリなんて高校生に見せていいのかわからなかったが、目の前で触らせるくらいならいいだろう。それに美鈴に見てもらった方が女性の意見も反映されていいかも知れない。

「おじさんのプロフィール見させてもらいますね…。お写真キレイですね。写真屋さんで撮ったんですか」

「…清潔感が大事かなと。自分で取るよりキレイにとってもらえるかなって」

「おじさん、プロフィールの内容適当ですね」

「まだあんまり更新できてないんだよね。どこまで入力すべきかわからなくて。これから調べてみるつもり」

まだ、職業と年収しか入力していない。

「そうなんですか。お写真もプロフィールも変えるべきかと思います」

「え…、写真も変えるべきなの?」

「はい。お写真がしっかりしすぎてて、お相手も緊張しすぎてしまうかもしれません。では撮ります、はーい3、2…い」

「ちょ、ちょ、待って」

美鈴がスマホのカメラを構えて写真を撮る。

「あ、自然体に撮れましたね。固まった笑顔より自然な方が女性も安心しますよ」

「…ありがとう」

「プロフィールも私の方で考えますね。あとで文案をラインします」

「そこまでしてくれなくても」

「おじさんの将来のお嫁さんが決まるかも知れないんですよ。絶対私も考えます」

「ありがとう、助かるよ」

どうやら美鈴はやる気らしい。異性と真剣に付き合おうなんて考えを持つのは15年ぶりだ。美鈴の意見は助けになるかもしれない。ありがたい限りだ。

「…じゃあケーキを食べよっか?覚えてたおじさん実は誕生日なんだよ?今年で30歳」

「覚えてますよ。もちろん。…珍しいですね。おじさんが自分からそういったことを言い出すのは」

確かに珍しい。どうやら美鈴に婚活を手伝ってもらえるのが嬉しく、自分が想定しているよりテンションが上がっているのかも知れない。

まさかあんなに小っちゃかった美鈴が、俺の人生を助けてくれるとは。

「美鈴の言葉が嬉しくて、テンションが上がっちゃっているからかも」

「え…」

「あんなに小っちゃかった美鈴が、まさか婚活の相談に乗ってくれるとはさ」

「…何年も前の話をしないでください」

「あ、ごめんね。年取るとだめだねー。昔の話ばっかりしちゃってさ。けど本当にありがとう」

「おじさんはいつもありがとうばっかりですよね」

「ははは。しつこくてごめんね」

美鈴は少しうざったく思ったのか、髪をかき上げ顔を伏せた。

「ごめんごめん。ケーキ食べよう。フルーツケーキだよ」

「…いただきます」

ケーキを食べ始めると、美鈴は機嫌を取り戻したのか。笑顔を見せた。このくらいの子は機嫌を取るのが簡単なのか難しいのか。

「美鈴、お茶のお替りいる?」

「おじさん、私がおじさんの分も注いできますよ」

「あ、ありがとう」

美鈴は手で俺を静止するようにして、そのままキッチンに向かった。

「おじさんは、良い旦那さんになると思います」

「…ありがとう。成れるように頑張るよ、何にせよ、まずはマッチングかな。旦那になるにはまず奥さんに出会わないと」

「…大丈夫ですよ」

美鈴が用意してくれた心なしか俺よりおいしいお茶を飲んで、美鈴が学校であった話を聞いた。美鈴は自分が何が好きなのか、何をしたいのかを話すのが得意じゃない。ただ、面白かったエピソードを語るのが好きなようで、食後はいつも楽しそうに語ってくれる。

「それで加奈子が田口君に言ったんです。旅行に行くなら他の人も一緒じゃないと嫌だって」

「へー。手厳しいね」

「そうでしょうか?ほかの人が要れば旅行に行くってことは加奈子もまんざらではないかと思いました」

「あ、そういう考えもあるのか。加奈子さんが誘う予定の男子が本命かと思った」

「おじさんは恋愛センス無いですね。加奈子はそこまで器用じゃないです」

「難しいなあ。田口君もそこまでわかってるかな?」

「…さあ。それはわかりませんが。ただ旅行に好きな人と行けるんですから。田口君もWinWinなんじゃないでしょうか」

そういって美鈴は指をダブルピースにする。

「…それで美鈴の分の旅行代、いくらになりそうなの?」

「…え?」

「加奈子さんは美鈴も誘ったんじゃないの?加奈子さんと田口君と他の男子だと、男女比2対1じゃない?」

「…私は誘われてません。それに誘われても行かないことを加奈子もわかっているはずです」

「あ、そうなんだ。けどもしお金を気にしているなら大丈夫だからね。友達と旅行なんて20台前半くらいまでしかないイベントなんだから」

「…ありがとうございます。けど行きませんから」

そう言って美鈴は少しうつむいた。行きたかったけど断ってしまったのだろうか。

いま伝えても意気地になるだけか。…あとでこの子のお母さん経由でお金を渡すか。

「…そろそろ暗くなってきたし、お母さんも帰ってくるだろうから、お家に帰ろうか」

「…はい、わかりました。…おじさん、これ誕生日プレゼントです」

「え!ありがとう!」

小さいノートとLamyのボールペン。そして手紙をもらった。

「おじさん仕事で使うかなって」

「大切にするね。昨年のカップもすごい嬉しかったけど。今年もとっても嬉しいよ」

「…もう帰ります」

美鈴は少し照れたのか、足はやに部屋を後にして家を出た。気持ちはわかるよ、プレゼントは渡す側も照れるもんだから。

けど、受け取る側はそれ以上に照れている。

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