もみじが紅葉になるように恋めく――5
午後六時半には、学校は完全下校時間になる。図書室も当然閉室となるから、真澄と藍葉の二人だけの勉強会はそこでお開きになる。二人は図書室を後にした。冷たい風が吹き抜ける。あたりは薄暗くなっていた。真夏と違って、今は日が傾くのが早い。
「紙屋くん、寒くないの?」
真澄は問いかける。夕方気温が下がるのに備えて、しっかりとジャケットを着こなしたのに対して、藍葉は長袖のシャツ。今まで気にしてなかったけど、こうして外に出て彼の姿を見ていると、風邪をひかないかちょっと心配になる。
「去年まで真冬の体育館の床を裸足で踏みつけていたんだ。これぐらいはなんでもないよ」
「また強がってる」
男の子は、気温に応じて着るものを重ねるという発想がないのだろうか。へたをすれば体調を崩すかもしれないのに。
「そういうストイックなところも嫌いじゃないけど、しょうがないわね」
真澄は、鞄を開けた。中から一枚のカイロを取り出す。
朝晩が冷え込むという天気予報を見て、登校時にコンビニで買ったものだ。藍葉は体が頑丈だけど、体を冷やすようなことがあったらいけないと思って。
「手先だけでも温めておいて」
「おう、ありがとう」
藍葉は、カイロを受け取った。中身を取り出す。
「今夜はあったかく帰れそうだ」
「明日からはちゃんと上着、持ってくるんだよ」
二人は校門を出て、そのままバス乗り場に向かった。部活を終えた生徒たちで、バス乗り場には人が多い。一緒に話をしたら目立ってしまいそうで、真澄は藍葉に話しかけることができなくなる。
バスはすぐに到着した。二人は他の下校生と一緒に、そのバスに乗り込む。
いつものこの時間帯だと混雑していて、席に座れないのも珍しくない。だが今日は運よく二人掛けの座席を確保できた。
先に降りる藍葉が通路側で、真澄は通路側だ。
体がわずかに触れていることもあって、藍葉の体温を感じる。安心しきって、このまま寝てしまいそうだ。
「起こすのは俺が降りる時でいいか?」
藍葉がささやいてくる。
「眠くないよ。こういう短い時間だけでも勉強しないと」
真澄は強がって、膝の上の鞄をまさぐろうとした。だが、藍葉の手がそれを止める。
「短い時間だから、休んだらいい。帰った後で集中できるし」
「私、そんなに眠そうに見えた?」
「普段から根を詰めすぎなんだよ。学校帰りでバスが一緒になった時、三滝さん、よく疲れた顔で生徒会の資料を読んでいたし」
付き合う前から、真澄の生徒会の仕事が一段落する時間と、藍葉の部活が終わる時間が重なっていたこともあって、同じバスに乗ることはよくあった。
互いに気を遣っていないふりをしていたけれど、藍葉のほうは、実は真澄のことを見ていたのだ。
「そんな風に見られているなんて思ってもみなかった」
「ちゃんと起こすから」
「お言葉、甘えようかしら」
真澄は、目を閉じた。バスのかすかな揺れが心地いい。藍葉の体温が落ち着く。
ちょっと小さい頃を思い出した。
家族で遠くにドライブに出かけた時の事だ。母の茜が車を運転し、隆志は助手席で、真澄は後部座席に座っていた。隣には瀧彦。真澄が眠くなると、よく瀧彦の膝を枕にして寝ていたものだ。
なんだか懐かしくなる。
だから真澄は、あっという間に眠りに落ちていった。
眠りが深くなったから、二十分があっという間にすぎてしまった。
「三滝さん」
藍葉が、真澄の名前を呼ぶ。
「そろそろ着くから」
声を聞いて、真澄は目を開ける。
ちょうどバスの自動案内が、次は藍葉の自宅最寄りのバス停であることを告げていた。
藍葉が降車ボタンを押す。
「バスで寝るなんて久しぶりだった。ちょっと気持ちいいな」
真澄は伸びをする。
「家に着いてご飯を食べたら、また勉強なんだろう。あんまり無理をしすぎるなよ」
「うん」
バスが停車した。前方の降車ドアが開く。
今日、藍葉の顔を見て、話ができるのは、ここまでだ。
藍葉が立ち上がる。
「じゃあ降りるよ。寝すごしたりするなよ。それとカイロ、ありがとうな」
「私も、ありがとう」
「礼を言われることなんてしていないんだけど」
そう言い残して、藍葉はバスを降りていく。再びバスが走り出した時、真澄は歩道にいる藍葉に向かって手を振った。藍葉も手を振り返す。
「ありがとうと言いたくなること、してくれてるよ」
二人掛けの座席に一人取り残された中で、真澄は自分の鞄をかかえながらほほえんでいた。
やがてバスは、真澄の自宅最寄りのバス停に到着する。真澄はきちんとバスを降りて、暗い中、自宅のほうへと向かっていった。
やがて玄関先に明かりが灯った自宅の前に着く。
胸の中に満ちていた懐かしい気持ちは、ここにきて消えていった。
この先に待つのは……
真澄は思い切って、扉を開ける。
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