第31話 父と母

 フォールの視察の時や途中で通り過ぎた地方の街道では、あまり気にならなかったが、王都に近づくにつれて、馬車ではなく馬に乗っていることが目立つようになってきた。


 ベルナールは王都にも城を持っているため、そこまで行けば馬車も馬も手に入る。

 けれど、アニエスの実家であるダレル子爵邸のほうがかなり手前にあって、ベルナールは、正式な挨拶は改めて行くとして、先に一度顔を出そうかと言った。


「久しぶりだし、早く母君に会いたいだろう?」


 旅に出た日のことを思い出し、アニエスは少しだけ返事に困った。

 もうそんなにかわいがられていないのだと、自分の口から言うのは切ない。心優しいベルナールに、余計な心配をさせてしまっても申し訳ない。


 近く訪問する予定であることは手紙で知らせてあった。

 中央から外れた場所にある、貴族の館にしては小規模な屋敷を訪ねると、父と母が出迎えてくれた。


「お父様、お母様……」

「ああ。よく来たね、アニエス」


 一応歓迎の言葉を口にしつつ、馬車もなく、一頭の馬に乗って訪ねてきたアニエスとベルナールを見て、両親はあからさまに肩を落とした。


 居間に落ち着くと、「まあ、婚約を破棄されたアニエスだ。そうそう条件のいい相手が現れるわけがない」と、父が母に小声でこそこそ耳打ちする。

 母は母で、ベルナールをチラリと見て、「顔で選んでしまったのね」とため息を吐いた。


 わりと、聞こえてますけど、とアニエスは遠い目になりながら思った。


 どうも自分の両親は、気持ちを隠すのが苦手というか、考えたことをそのまま顔や態度に出しやすい人のようだ。

 自分が損をしないことだけを考えて、消極的な圧力をかけてくる。

 アニエスを家から送り出したあの日もそうだった。そして、今も……。


 こんな男ではなく、もう少しマシな相手はいなかったのかと言いたげに、アニエスをじっとりと見つめる。


 そして、そんな両親だからか、ベルナールがフォールの辺境伯だと知ると、態度が一変した。


「辺境伯閣下ですと?」

「そんな高い身分の方が、アニエスを妻に迎えてくださるのですか?」


 ぱっと顔を輝かせた二人は、恥ずかしくなるくらいベルナールにおべっかを使い始めた。

 そして、あろうことか、そのすぐ後で、ベルナールに金の無心を始めたのだ。


「このところ、領地からの上がりが減ってしまってね……」

「王都で暮らしていると、いろいろと入り用なんですの。ドレスも最近は高価なものばかりで……」

「少しばかり、援助してもらうことはできないかね?」


 言葉数少なく相手をしていたベルナールは、黒い瞳をわずかに眇めて二人を見た。


「アニエスのために、何かしてやりたいとは考えないのですか?」

「え? アニエスに?」


 二人は慌てて「もちろん、持参金は持たせます」と笑う。


「私から借りた金の一部で?」


 それからベルナールは小さくまとめた旅の荷物の中から、革の袋を二つ取り出しテーブルの上に置いた。

 紐を解くと、中から金貨が現れる。かなりの枚数だ。


 父が目を輝かせて、革袋に手を伸ばした。

 ベルナールは、サッと革袋を引いて、父の手から遠ざけた。


「これが何だか、わからないだろうな」


 口調がいつものベルナールに戻っている。


「あんたたちの話を聞いて、俺は、アニエスがフォールに来た理由がわかった。フォールに来てくれたことには感謝するが、あんたたちがアニエスにしたことには、ちょっとした憤りを覚える」

「わ、我々が、アニエスにしたこと?」

「むしろ、しなかったことか」


 親としての愛情を十分に与えなかった。そうベルナールは言った。


「幼い頃に修行に出して、ずっと会っていなかったのは知っている。急に帰ってきて戸惑ったのもわかる。だが、ここはアニエスにとって、唯一の家だろう。なぜ、帰ってすぐに旅に出なければならないんだ」

「あ、アニエスは、自分から……」

「あんたらが、安心してここにいていいと言わなかったからじゃないのか。仮にもアニエスの生みの親だから、あまりひどいことを言うつもりはないが、あんたらは自分のことしか考えてない。少しもアニエスを大事にしていない。さっきからのやり取りで、俺にはそれがよくわかった」


 王太子を平気で蹴る男である。アニエスの親ということで、これでも最大限のオブラートに包んでしゃべっている。

 そうでなければ、「クソ野郎」の一言で全てだったはずだ。


「これは、アニエスが稼いだ金の一部だ。わずかな金しか持たずに家を出され、聖女として施術をしながら旅を続け、フォールに着いてからもたくさんの患者を癒してきた。初めは銅貨一枚、ニッケル貨数枚で施術を始め、今ではこの袋にいっぱいの金貨を十二も貯めてある」


「そんなに……?」


 呟いたのは、アニエスだ。

 衣食住が安定したため金のことはすっかり忘れていたが、聖女として採用された際に、何か契約を交わしたのは覚えている。施術で得た収入の何割がアニエスの取り分になるとか、そんな内容だった。


「なんで金貨を持ってきたんですか?」

「王都には安全な銀行がある」


 フォールに置いておいても貯まる一方で使い切れないだろうから、アニエスがそれでよければ、一部をそこに預けておけばいいと思ったのだとベルナールは言った。

 たぶん、厳密にはこの金貨はまだベルナールのものなのだ。預ける時にアニエスの名義にするということだろう。


「せっかくだから、王都で何か好きなものを買ってもいいしな。もっとも、欲しいものがあったら、俺がなんでも買ってやるが」


 二人の会話を聞いていた両親が、物欲しそうな目でアニエスを窺い見たが、ベルナールがピシャリと言った。


「自分で稼げ。援助はしない」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る