第23話 成就

「閣下!」


 へなちょこ王太子の突然の攻撃に、辺境軍兵士たちが一斉に目を見開き、怒号を上げた。


「てめえ、閣下に何しやがる!」

「殺せ! やっちまえ!」


 相手が王族だろうと関係ない。彼らの忠誠はベルナールにある。

 ふだんから命令などなくとも自主的に動く兵士たちは、この時も迷わず剣を抜き、エドモンに襲い掛かった。


 王室付きの護衛の兵士たちが、命がけでエドモンを担ぎ上げ馬車に放り込む。指揮官が叫んだ。


「反撃!」

「無理です!」


 悲鳴のような命令無視の言葉が響き、少なくない怪我人を出しながら、王室の一行は来た道を一目散に逃げ帰り始めた。

 遅れた者は容赦のない攻撃を受けた。

 死体こそ出なかったものの、石の街道には血がいくつも飛び散り、生々しい匂いを放った。


 怒りの形相で追いかける最初の兵士が馬車を追うのを諦めた頃、背後から馬で追いついた別の兵士たちが後を引き継いだ。


「エドモンの首は、必ず取ってくる!」

「頼んだぞ!」


 砂埃を巻き上げて、逃げる馬車に迫る。

 しかし、フォートレルの町を出ようとしたところで、門衛が「帰城!」と旗を振った。


「城にのろしが上がっている。帰城命令だ。戻れ!」

「なんでだよ!」

「知るか!」

 

 城で起きたことをまだ知らない町の門衛たちは、「とにかく戻れ」と騎馬兵たちにきっぱりと言い放った。


「命令だ」


 自主性の土台にあるのは命令や規則を遵守する心だ。

 逃げてゆく王室一行を口惜し気に睨み、唾を吐きかけながらも、兵たちは城に戻っていった。


 騎馬兵たちが城に戻ると、診療所では医者と看護師がベルナールの手当てをしていた。

 ショックを受けたアニエスは、震えて施術ができないという。


「嬢ちゃん……」

 

 ソフィの胸に顔を埋めているアニエスに、誰も何も言えなかった。


 身体を包帯でぐるぐる巻きにしたベルナールが寝台の上からアニエスを呼んだ。


「アニエス……」

「閣下……」


 寝台の脇に膝を突き、ぽろぽろと涙を流すアニエスを、ベルナールが裸の胸に抱き寄せる。


「バカだな。このくらい、なんでもねえよ」

「閣下……、閣下……」

「元気出せ。おまえが泣いてちゃ、みんなが辛くて敵わん」


 アニエスが顔を上げ、ぐいっと頬を擦る。

 すぐにまた、涙がぽろぽろ流れ落ちて、赤い頬がびしょ濡れになった。

 ぶさ可愛いな、だの、萌える、だのと口の中で呟きながら、ベルナールがアニエスの手を握る。


「聖女は強くなきゃいけないんだろ。泣くな」

「ばい……」

「心を落ち着けて、おまえの力で、俺の傷を治してくれ。さっきはやせ我慢して、なんでもねえとか言ったが、実は痛くて敵わん。死にそうだ」


 アニエスの目から、またぶわわっと涙が溢れた。


「がっが……! じだだいで、ぐだざい……!」

「嘘だよ。死なねえよ。だから、早く治せ」

「ばいー……っ」


 二人のやり取りを見ていた医者と看護師と兵士たちは思った。


(閣下……、嬉しそうだ……) 


 アニエスが突然すっくと立ち上がった。

 ぐいっと目を擦ってきっぱりと言う。


「どこかに、滝はありませんか」

「滝?」

「心を、落ち着けてきます」


 デボラとメロディが目をぱちくりさせる。


(滝行……!)


「た、滝は、ないかな……?」


 ベルナールがくくっと笑い、「いてえ……」と言って顔をしかめた。


「閣下……!」

「アニエス、ちょっと来い」


 アニエスを手招き、近づくと「もっと」と言って、小さい頭の後ろに手のひらを置く。

 そのまま自分の上に引き寄せて、唇を重ねた。


 アニエス、しばし固まる。


 固まる……。


「どうだ。少しは落ち着いたか」


 こくりと頷いて、すぐにブンブン首を振った。

 だったら、もう一度と言って、ベルナールがアニエスを引き寄せた。


「ちょっと……」

「なんですか、これ……」


 くうう、と拳を握ったデボラとメロディが、あたりを萌え転がりながら診療所から出ていった。


「俺たちも、お邪魔かな……?」

「そのようですな……」


 医者と兵士も外に出る。


 心配そうに建物を囲む人垣に向かい、医者が「もう大丈夫だぞー」と叫んで、大きく手を振った。

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