第12話 ドレス
アニエスに与えられたのは城の本館にある聖女のための部屋だった。
バシュラール王国の城には、このような部屋がよくある。王宮から下がって各地で働く聖女のうち、それなりに力のある者が城に迎えられることは珍しくなかった。
辺境を守るフォールの城では、昔から聖女の役割が大きかったらしく、部屋は立派で、侍女までつけてもらえた。
兵舎は男所帯だが、家族がいる者は、城の敷地内に建つ家に住んでいた。
彼らの妻子が暮らしているため、城内にまったく女がいないわけではなかった。
ベルナールには姉がいて、ソフィと言う名のその人が、アニエスの相談相手になってくれた。
詳しい事情は聞かなかったが、ソフィは以前、外国の身分の高い人に嫁ぎ、その国の王が斃れ国を奪われたため、トレスプーシュ家に戻ってきたらしい。
国が崩壊すると貴族は身分を失い、人によっては命も失ったという。ソフィの夫だった人も、ソフィだけを逃がして亡くなったということだった。
そんな苦労があったにもかかわらず、ソフィはいつも穏やかに微笑んでいた。
二十八歳のベルナールより年上なはずだが、ベルナールと違って優しく可愛らしい感じの人で、アニエスもすっかり懐いて、気安くさせてもらっている。
採用を言い渡された翌日、ベルナールの執務室に行くと「おまえほどの聖女がなぜこんなところにいる」と聞かれた。
かいつまんで事情を話すと、ベルナールは顔をしかめた。
「インチキと言うより、見た目で負けたんじゃないか」
「見た目……」
「そのネリーと言う女は、美しいだろう」
言われてみれば、ネリーは美人だ。セリーヌ王妃にも負けない金髪碧眼のボンキュッボンである。
「でも、そんなことで……」
泉の神様も言っていたではないか。
人は見た目ではないよ、的なことを何度も。
「世の中ってのは、理不尽で間違ったことだらけだからな」
「でも、じゃあ、エドモンは最初からネリーを婚約者にしたかったってこと……?」
ベルナールは、自分の邪推かもしれないと言ったが、考えてみると思い当たるフシがあった。
アニエスに婚約破棄を言い渡した時、エドモンはアニエスを引き留める素振りを見せた。
無能だと言った手前もあるし、ネリーにも聖女としての力はあるだろうと信じていたから、アニエスが出ていくことを了承したようだが、本当は万が一に備えて王宮に残したかったのではないか。
つまり、エドモンは、アニエスのほうが力があると知っていた……?
エドモンが絡んでいたなら、アニエスにとっては思った以上に不利だったことになる。
ネリーがインチキをしたとバレても、うやむやにされただろうし、証拠を用意して訴えても何も変わらなかっただろう。
「泉の神様は、人は見た目じゃないっておっしゃったわ……」
「俺も、そう思う。だが、見た目に惑わされるなとわざわざ言うくらい、人は見た目に惑わされやすい」
ベルナールの言葉は容赦なく二つの事実をアニエスに突き付けた。
つまり、人は見た目に惑わされやすいと言う事実そのもの。そして、アニエスが……。
肩を落としてうつむいたアニエスに、ベルナールがいいことを言うふうに言った。
「だが、わかるやつには、ちゃんとわかる。おまえの力はすごい。だから、大勢の人間がはるばるフォールまで追いかけてきた。それがわからないなら、王太子がバカなんだ」
せっかくの言葉もアニエスの顔を上げさせることはなかった。
ずっと、心のどこかに押しやって気づかないふりをしてきたことが、急に大きな存在となって目の前に立ちはだかる。
(私……、そんなにブスなのかな……)
アニエスはドレスを買ったことがない。
――綺麗なドレスを着ていても、心が貧しくてはいけないよ。
泉の神様の言葉を胸に抱き、心が乱れるたびに、修行が足りないと首をブンブン振ってきた。
でも、アニエスだって……。
父や母に会いたいと泣いたこともあった。
欲しかったオモチャ一つ、買ってもらったことがない。
だから、最初から諦めていた。
けれど……。
アニエスだって、本当は綺麗なドレスが着てみたかった。
修行の日々や、ここまでの旅路を思い出して、なんだか無性に切なくなった。
しょんぼりとうつむいていると、ベルナールが鼻をひくひくさせた。
「おまえ、汗臭くないか」
兵士たちと同じ匂いだなとベルナールは笑った。
自分は構わないが、おまえ自身は気にならないのかと笑顔で聞いてくる。
花も恥じらう十八の乙女が気にならないはずがない。
鋼鉄の心が、ポキリと折れた。
アニエスは顔を真っ赤にしてポロポロと涙をこぼし始めた。
修行の日々で枯れはてたと思っていた涙が、堰を切ったように流れ出す。
ベルナールは驚いて飛び上がった。
「ど、どうしたんだ」
「だ……、だんでぼ……、あでぃばぜん……」
「なんでもないわけないだろう。おい、泣くな。理由を……」
ズビーッと豪快に鼻水をすすり上げるアニエスに、「俺か……」とベルナールが唸る。
アニエスの頭に大きな手が置かれた。
「泣かないでくれ。俺が、悪かった」
かがみこんで、顔の高さを合わせてから、ベルナールは謝った。
「俺は、デリカシーがないんだ」
困ったように続け、途方に暮れた顔で、ドアの外に立っている兵士に「ソフィを呼んでくれ」と言った。
泣いているアニエスを見たソフィは事のあらましを聞き、ベルナールをしこたま叱りつけてから「私がお世話をします」とアニエスを部屋から連れ出した。
そして、アニエスの身体を洗い、自分のドレスからアニエスに着られそうなものを選んで着せてくれた。
アニエスは今、それなりに綺麗な格好をしている。
髪の色も瞳の色も平凡な栗色。ウエストにくびれはないし、胸のあたりも大変ささやかなものだ。
でも、兵士たちはみんなアニエスを見ると言ってくれる。
「嬢ちゃん、けっこう可愛かったんだな」
照れくさいけど、嬉しい。
泉の神様はなんて言うだろうと思ったが、ソフィは「女の子なら当たり前よ」と言って、アニエスにたくさんのドレスを譲ってくれた。
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