第7話 フォール城
王都を出てから十二の町を通過した。
ほとんどの町では三日、大きな町には一週間ほど滞在したので、フォールの郡都フォートレルに着いた時にはニヶ月が経っていた。
季節は春から夏に変わり、着た切り雀のドレスは擦り切れて、なんだか臭くなった。
時々下着一枚になって、宿で洗っているが、乾くのに時間がかかるので毎日は洗えない。
「北に向かっててよかったわ。南に行ってたら、今頃汗でぐちょぐちょだったわね」
新しいドレスを買うくらいのお金は貯まっていた。
いくつかの町で仕事の合間にお店を外から覗いてみたけど、中に入る勇気は出なかった。
アニエスはドレスを買ったことがない。
聖女の修行中は、ずっと今と同じグレーのドレスを着ていた。
傷んできたりサイズが合わなくなったりすると新しいものが支給されたけど、色も形もいつも同じだった。
だから、どんなドレスを買えばいいのかわからなかった。
ほかの聖女が何かの時に、ふつうの令嬢みたいなドレスを着ているのを見たことがある。
あれは何の時だったのだろう。
聖女の修行に休みはないのに、どこでどうやって手に入れたのか不思議だった。
朝は夜明けと一緒に起きてお祈り。お祈りの後は、泉の水を汲みに千段の石段を登る。
それが終わると午後のお祈り。
歴史などを学ぶ座学もあるし、礼法や治癒の実践授業もある。
夕方は滝に打たれる。
石段登りと滝行だけでも、けっこう大変だ。
誰かが見張っているわけではないから、やらなくてもバレないよ、とほかの聖女に言われたことがあるけど、泉の神様は、誰も見ていない時にこそ、真実の心が試されると言っていた。
毎日、水を汲みに行っていると、時々、神様が何かいいことを言ってくれる。
聖女は優しくなければいけないよ、とか。
人を助けるには、自分が強くなくてはいけないよ、とか。
肉は身体にいいよ、とか。
野菜も食べなさい、とか。
綺麗な服を着ていても、心が貧しくてはいけないよ……、とか。
(でも……)
擦り切れてちょっと臭くなったドレスを見下ろして、アニエスはブンブン首を振った。
「修行が足りないわ」
フォートレルの町は大きかった。
周囲を壁で囲まれた町で、昼間は誰でも通れるけれど、夜になると閉まる門が壁のあちこちに設けられていた。
大通りを歩いていくと、正面にお城が見えてきた。
なんとなく王都と造りが似ている。
規模も同じくらい。街並みも立派で、これまで通ってきたほかの十二の町とは全然違った。
まっすぐお城に向かって歩く。
お城に置いてもらえるかどうかで、この先の身の振り方が変わってくるので、街での施術は後回しだ。
城門には見張りの兵士が二人立っていた。
門番というよりも、兵士って感じ。
このへんは王都と全然違う。フォール城に当たる王宮を守っているのは、見た目は綺麗だけど、へにゃっとした感じの近衛兵で、飾りのようにたくさん立っていた。
ほかの聖女たちはきゃあきゃあ言ってたけど、アニエスから見るとイマイチだった。
王太子のエドモンも顔は綺麗だったけど、そんなに好きではなかったな、と思う。
聖女としてトップに立ちたかっただけで、婚約破棄については、もう何とも思っていなかった。
いかつい兵士の前に立って、アニエスはお辞儀をした。
「こんにちは」
「はい、こんにちは」
「何の用だい、お嬢ちゃん」
わりと緩い感じの兵士がにやにや笑いながら聞いてくる。
「トレスプーシュ辺境伯に会いに来ました」
「へえ。で、お嬢ちゃんは何者だい?」
「アニエス・ダルレ。聖女です」
いかつい二人の兵士は顔を見合わせた。一人が肩をすくめる。
また、偽物か、ともう一人の兵士が小声で呟いた。
「悪いね。聖女は、いらないんだ」
「でも、ここには怪我人がたくさんいるでしょ?」
「まあ、軍隊があるからね」
「その人たちの治癒は誰が行ってるんですか?」
医者と看護師がいるのだと兵士は言った。
アニエスは向かって右側に立つ兵士の右膝を見た。
「でも、あなたの膝はまだ痛むんじゃないの?」
兵士は目を見開いた。左側の兵士も、びっくりした顔でアニエスを見ている。
「ちょっと失礼」
アニエスはしゃがみこんで、兵士の右膝に手をかざした。
傷口はふさがっても、痛みが残る傷がある。我慢すればふつうに生活できるけど、いつも痛くて膝を庇っているはずだ。
アニエスが施術を終えると、兵士はさらに大きく目を見開いて、アニエスに聞いた。
「何をしたんだ」
「治したの。私、聖女だから」
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