第3話 最初の町

 退職金は雀の涙でもアニエスには身に着けた技がある。

 お金は使えばなくなるけれど、技術は一生ものだ。それを鍛えてもらったと思えば感謝の気持ちもなくはない。

 文句を言うのはよそうと思った。


「しっかり食べていくためには、癒しの聖女として売り出すしかないわ」


 アニエスは背中にのぼりを背負って旅に出ることにした。


『心の病、身体の病、切り傷、擦り傷、やけど、吐き気、腹痛、水虫、なんでも治します』


 王宮を出る時に着ていた黒に近いグレーのドレスは一張羅である。

 一張羅の意味のうち、「たった一枚の上等の着物」と「一枚しかなくて、着たきりで脱ぎ代えられない着物」のどちらも満たしている。

 つまり「上等」だけど、「代えがない」。

 

 あんまり汚したくないなぁと思いながら街道をどこへともなく、とぼとぼ歩いた。

 王都からはすでに出て、とりあえず北に向かっている。

 北に向かうのに理由はない。

 なんとなく、星を見れば同じ方向に進んでいるのがわかるし、迷子にならなくていいかなぁと思ったのだ。


 一つ目の町で、のぼりを背負ったままそのへんに立ってみた。

 水虫のおじさんが来たので治してあげた。

 水虫はとても治りにくいし、治れば本当に感謝される疾患だが、いかんせん劇的な感じに欠ける。


「これ、治ったんかい?」

「治りましたよ」


 おじさんは眉毛に唾を付けた。

 失礼な。


「お代をください」

「えー……?」


 えー……、じゃない。


「本当に治ってたら払うよ」

「治ってますってば」

「水虫っていうのはさ、今はすべっとしてても、そのうちプチプチできてくるもんなんだよ。できてこなかったら払うよ」


 その間、ここで待つの? 無理。


「じゃあ、いつかどこかで会ったら払ってくださいね」

「おうよ」


 仕方がない。次の客にかけよう。


 しばらくすると、大声で泣きながら歩いてくる十歳くらいの子どもを見つけた。


「そこのボクちゃん、ちょっとおいで」


 少年は右手にでっかいやけどしていた。

 アニエスは癒しの力を使って治してあげた。

 さっきまで赤く爛れていた場所がきれいに治っているのを見て、少年は目を丸くした。


「おねえちゃん、何をしたの?」

「私、聖女なの。だから、なんでも治せるのよ」

「すごい」


 それからは順調だった。


 下痢のおじいさん、鼻血がとまらなくなったお兄さん、ぎっくり腰のおばあさん、捻挫をした踊り子さん、心を病んだ小説家、首を寝違えたどこかの偉い人などを治した。

 

「お代は?」


 みんな喜んで自主的に財布を開いた。

 料金を決めていなかったので「お気持ちで」と言うと、みんな本当に、ほんの気持ちだけ払ってくれた。


 ほんの気持ちだけ。


 いいんだけど。

 喜んでもらえたし、今日のパンくらい楽勝で買えるし。


 でも、こういう仕事って波がある気がするから、少しずつでもお金は貯めたい。


 そう思っていると、一番最後の首の人が少し多めにお金をくれた。どこかの偉い人、ありがとう。


 三日、その町にいたら、だいたいの人が元気になってしまって、仕事がなくなった。

 小さな町なので仕方ない。

 

 アニエスは次の町に行くことにした。


「最初の町の皆さん、ごきげんよう。どうぞお達者で」

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