第5話 九ヶ月目
ガラガラがっしゃん。
ひどい音を立てて、玄関の戸が閉められる。
上司にどうにかしろ、と涙目で怒られて帰ってきた役人は、困ったなあと首をひねった。
もう九ヶ月目である。このままでは彼女の心臓が取られてしまう。彼女はまだまだこれから金稼ぎがしたい。心臓をとられるのは困る。
チワワによく似た上司は、ぷるぷる震えながらも彼女に言ったものだ。
『あのね、社会人なんだからちゃんと仕事はしてもらわないと困るんだよ。一体君、何年この業界にいるんだい』
『はあ』
『またそんな気の抜けた返事をして! いいかい、そんなんじゃクビだからね!』
『公務員にクビがあるんですか?』
『私に口答えをするな! いいから早く奴の弱みを握ってくるんだ』
『はあ』
スーツのシワを数えながら考えたものだ。
弟たちを食わしてやらねばならぬ。
役人が路頭に迷えば幼い弟たちは飢えて死ぬ。
しょうがないからしがない役人は仕事に精を出すことを決めた。
それに、なんだか上司は気になることも言っていた。
『防衛省から早くしろとせっつかれてんだ。頼むよ!』
「まいった、まいった」
だれもいないのをいい事に、一人おどけて肩をすくめる。
超能力男は大方人間兵器にでもされようとしているのだろう。人間とはなんと勝手でおろかなものだろう。かわいそうにかわいそうに。
居間でポップコーンを食べながら、ゲームをしていた超能力男は、役人の顔を見るなりコントローラーを投げ出して、笑い出した。
「うーわっ。ひっどい顔」
なにがおかしいのか、お腹まで抱えている。
ポップコーンが辺りに飛び散るのもお構いなしだ。
「ひ、ひひ。ひぃー。そんな顔をするなんて、よっぽどいい事があったんだろうね」
「ええ、そうですよ」
口元をへの字に結びながら、役人が答える。
「とびきりの朗報です」
「そりゃそうだろう」
ところが、役人の言葉で、男の顔は凍りついた。
「さっさと貴方の弱みをこちらに渡す事です。このままでは抹殺も辞さないそうですよ」
どこか投げやりに男が答える。
「えー。うーん。俺を傷つけることなんて、君たちにはできないくせに」
「ええ、だからこそ、不安なんでしょう。だからこそ、抹殺です」
「その心は?」
「死ぬまでどこぞへの幽閉。追っかけ続けられたら、いくら貴方だって逃げ切れない」
「それは素敵だありがとう。ぜひ朝食にはホカホカのご飯と、温泉たまごをつけてほしいね。三時のおやつもかかせない」
超能力男が皮肉げに笑う。
険悪な空気が流れた。
どうしたものか思案した役人は、ゆっくりとしゃがみこんで、地べたで不満そうに肘をついている超能力男と目線を合わせた。
初めてこんなにまじまじと顔を見るな。
そんな事を役人は思う。
「私は貴方に、閉じた暗い部屋の中で過ごすようなそんな人生、歩んでほしくありません」
言葉の持つ懇願の響きに、役人は驚く。
それから、言葉にして初めて、役人は超能力男のことがそこそこ好きな自分に気がついた。なんだかんだこの男と過ごした時間を彼女は気に入っていたのだ。
「ねえ、その心臓がどこにあるのか教えてくれないんですか?」
「えー……」
「こんなに頼んでいるのに? 私は、少しでも貴方と信頼関係を結べませんでしたか?」
「俺たち、そんなに信頼関係があったか? その聞き方はズルいぞ」
「分かっています。でもお願いです」
「うーん」
「……私は弟たちを路頭に迷わせるわけには行かないんです」
「え?」
「お願い、私を助けて。貴方の秘密をどうか教えて」
超能力男の手をとり、まるで祈るように自らの額に当てた役人に、彼はその灰色の瞳を瞬かせ、それからしぶしぶと口を開いた。
「しょうがないな。まったくもう。君じゃなきゃ教えなかったよ」
「え、ではーーー」
「ほら、さっさとペンと紙を持ってくるんだな。場所を教えてあげるから」
「っ、はい!」
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