第3話 五ヶ月目
例のブツは、家族の心臓でも、恋人の心臓でもないらしい。
じゃあ、だれのものなんだろう、とそこまで役人は考えて、別にだれのものでもいいことに気がついた。
見つかりゃいいのだ。
見つけさえすれば、奴隷になると言っているのだから。
見つけりゃいいのだ。
それが本当に弱みなのなら。
流石に五ヶ月も経てば、家の中は大抵さらい尽くしている。壁や地面、木々の中ではないと言う超能力男の言葉がウソでない限り、家の中にはないと思われた。
しかし、外と言っても、世界は広い。
エージェントたちに連絡したところで、時間は果たして足りるだろうか。超能力者は透過能力者の心臓も握っているので、自分が透明になって追っ手を撒くことがたびたびある。
サーモメーターで見つけ出すにも時間がかかり、その間、数時間だったり数日だったりするが、どこに行っているか、皆目見当もつかない状態である。
ようし、色仕掛けをしよう。
たわわな己の胸を見て、女はそう思った。
夕飯時。
当番制となった夕食を、もぐもぐ食べながら、会話をする。
「スーツはどうした? なんで今日はラフな格好をしているんだ?」
不思議そうにする超能力男の質問には答えずに、役人は微笑みを浮かべる。
「このおひたし……、すごくおいしいです」
「お。本当か! 君のなんちゃらタラレーゼやらシチューみたいなものには負けるが、これもなかなかいけるだろう!」
うれしそうな顔をする超能力男に、役人の心は少し傷んだ。
おひたしは美味しいが、褒めたのは別の目的からである。
目元が引きつりそうになるのを堪えて、にこと向かいの男に微笑みかける。
「お……?」
男は不可思議なものをみる目をした。
「ほんとうに今日はいつもとちがうな。風邪か?」
なんだかまるで通じていない気がする。
役人は席を立ち上がると、男の隣にそっと腰を殺した。
「そう、なんか、熱っぽいんです。見て、……くれませんか?」
じい、と上目遣いで超能力男を見上げる。
男は戸惑いを顔に浮かべるも、神妙な顔をして頷いた。
「お。おう。なにをすればいい?」
役人は、言葉を発さず、代わりに男の手をとると、自らの頬に当てた。
「どう、……熱い?」
「え……」
目に見えて動揺する超能力男に役人は内心、ほくそ笑んだ。
ふふふ、効いてる効いてる。
そう、これでいい。
決め手は『貴方の秘密を教えて』、だ。
このまま色仕掛けで責めていけば、この決め台詞を言う日もそう遠くないだろう。
ところが超能力男は思いがけない言葉を発した。
「熱い。熱が出てるんじゃないか?」
「え?」
「気付いてなかったのか? よくそんなんでランニングに出かけられたな」
「夕食前の……ランニングは、毎日の日課なので」
言われてみたら、体が本当に熱い気がしてきた。
悪寒がするわりに体は火照っているし、なんか頭も痛い気がする。
超能力男は真剣な顔で、彼女の顔を覗き込んでいた。
「ほら、だるいだろう。部屋に連れていってやるから、さっさと寝るといい」
そう言うが早いが、超能力男がひょいと役人を抱え上げる。
俗に言う、お姫様抱っこというやつである。
「あ、ちょっと、やめ」
咄嗟に暴れようとする彼女の耳に、思わずといった感じのつぶやきが聞こえた。
「あ。重……」
その瞬間、役人は暴れるのをやめて、男の腕の中におとなしく収まった。
「ほら、さっさと部屋に連れていってくださいよ。だるいんです。ほらほら早く」
急かす役人に、超能力男は顔を真っ赤にしながらノロノロ進んだ。
まさに牛歩の歩み。彼女が歩いた方がよっぽど早かっただろう。
ようやく彼女の自室にたどり着いた時には、男の方が病人のように息を荒げていた。
「いいから寝ておけ」
いいから、とは何事か。
そっと下された役人はフン、と息をつくと、のそのそとベッドに身を横たえた。
「ええ、お言葉に甘えて」
「水なんかも持ってきてやるから。枕元に置いておけばいいか?」
「ええ、……あの」
「ん?」
「ありがとうございます。自分が体調を崩しているなんて気がつきませんでした」
体調管理もできていなかったなんて金稼ぎとして失格である、そう落ち込む女に、超能力男は手をひらひらと振った。
「いいってことよ」
気軽にそう言うと、男は部屋から出ていった。
しかし、しばらくしてパタパタと足音がしたと思うと、男が駆け足で戻ってくる。
「あ、そうだ。いい忘れたことがあった!」
まどろみながら、女が返事をする。
「ん、…なんです?」
食器の洗う当番を代わってくれるとかだろうか、女は期待する。
「俺に色仕掛けをしようとしても無駄だぞ」
それだけ言うと、満足したのか男は去っていった。
パタンと扉が閉じられる。
残された役人はうめき声を一つあげた。
「くそっ……!」
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