第101話 抑うつ状態(適応障害)の治療

 前述の通り、非常勤で来られている源先生の息子さん、It先生は精神科医である。私自身の状態をコンサルトし、治療方針を立てていただくにはありがたい存在であった。It先生が当直の日に、自分のカルテをもって、先生に自分の状態を相談した。


 先生は診療所の状況、私の置かれている状況も理解されており、なるだけ休職を避けるように配慮しながら、カウンセリング、投薬調整をしてくださったが、どうしても仕事の同僚となるわけで、精神科の治療で必要な医師-患者関係を作るのに困難を感じておられたようだ。


 「保谷先生、今の状態では、治療に必要な医師-患者関係を作るのは、私が内情を知りすぎていて難しいです。先生のご自宅の近くで、私の信頼できる精神科クリニックをご紹介するので、そちらで治療を受けていただくのが適切だと思います」

 とおっしゃられ、いくつか候補を教えていただいた。そのうちの1か所を選び、It先生に紹介状を書いていただいた。


 初診の方のみ予約制で、午前診終了後に初診の方を診察、ということだったので、翌月初めに予約を取り、その日は午前診を途中で切り上げ、そのクリニックを受診した。先生は紹介状と、私からの話を聞くと、単刀直入に、

 「ちょっとしんどいね。しばらく仕事から離れないといけないね。休職が必要との診断書を書きますよ。いつから休めそうですか」

 とおっしゃられた。今日の明日、という形で休むと、私を希望して受診された患者さんが困るので、数日だが時間をおいて、翌週から休職、という形にした。


 受診を終えて診療所に戻り、新たに戻ってきた事務部長と総務課長、そして夜診の前に理事長の源先生にも報告し、翌週からの休業、ということで待合室に掲示を出してもらい、休職することとした。源先生と北村先生の二人体制となり、特に高齢の北村先生には申し訳なかったのだが、私が死んでしまうよりはましだろうと思い、休職させてもらうことにした。


 クリニックの先生からは、

 「毎週受診して、経過を見せてください」

と指示を受けていた。その時点での診断は

 「適応障害による抑うつ状態」

 であったが、鑑別診断として、見逃せないのが双極性障害(躁うつ病)である。反応性の抑うつ、あるいは単極性障害としてのうつ病など、いわゆる「うつ状態」は、発症している本人は非常にしんどいのだが、時に易怒性、焦燥感で周囲が困ることはあるが、自殺、自傷行為を除けば周囲の人を困らせることはあまりしない。


 双極性障害の方にうつの治療を行なうと「躁状態」に移行することがあり(躁転という)、躁状態はうつ状態とは逆で、本人はしんどくなく(逆にエネルギーが有り余っているような気分、全能感に支配されている)、分不相応な買い物をしたり、ひどく散財したり、借金をしたりなどの行動を起こすので、周囲が非常に困る状態となる。なので、抑うつ状態の方は、問診で躁症状を疑うエピソードがないかどうかを確認し、投薬で躁転の兆候がないかどうかを注意深くfollowする必要がある。そういうことで、毎週の受診を指示されたと考えている。


 というわけで、休職の体制に入った。給料については休職開始の月の分は、締め日までは有給休暇を使い、その後は傷病手当で対応する、と総務課長から話があったので、

 「それはもちろんOKです。お手間をかけます」

と返答。子供たちも中学生、小学校高学年となっていたので、私の口から、

 「しばらく仕事を休むこと、お金についてはあまり気にしなくてもよいので、そんなに心配しなくてもよい」

と説明した。


 休職中は安静を指示されていたが、妻からは

 「家にいるんだから」

と洗濯や食器洗い、昼食の用意などをするように言われた。

 「う~ん、安静、って何だろう」

とは思ったが、神経症の治療では古典的な治療になっている森田療法でも、規則正しく身の回りのことを行なうことは治療の一環として行われていたので、

 「まぁいいや」

と思い、頼まれた家事は行なっていた。


 「この機会に旅行に行こう!」

と妻から誘われたが、さすがにそれは病状の悪化を招くリスクが高いので、それは断った。


 時間があるので、空いた時間は、買って「積ん読」となっていたハリソン内科学の読破に使った。アメリカの教科書なので、感染症などは、アメリカではよく見るが日本ではほとんど見ない疾患について詳細に記載してある一方で、日本では研究が進んでいる膵腫瘍などの記載が薄かったりと、日本とアメリカの医療の違いが感じられた。

 しかし、「内科学」と記載しているが、医療の世界に限らず、現代社会が抱えているさまざまな問題について、内科学の視点から議論されており、そういう点では、世界レベルの教科書、という名に恥じない教科書であった。


 そんなわけで、4ヶ月ほど、休職した。今もクリニックには定期通院中である。

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